ついに憧れの聖地、アイノラにやってきました(ここまでの道のりはこちらから)。
これこそアイノラ。これまで本の中の世界として憧れるしかなかった場所に来たと思うと、胸が熱くなります。
着いてみて思ったのは、「思ったより人里から離れていない」ということ。
確かにアイノラは、フィンランドらしい針葉樹の森の中にありますが、来しなの国道からは歩いて5分と離れていません。鉄道からもそう距離がないせいで、ときに列車の音も聞こえてきます。
シベリウスがアイノラに移り住んだのは、都会の喧騒を離れようとしたためだと言われています。
そのはずなのに、実際のアイノラには少々意外な感じもあります。シベリウスが住んでいた時代とは違い、アイノラの近くにも開発の波が徐々にやってきているという面もあるのでしょう。
ただ、この近くを走る鉄道は、シベリウスが移り住んだ時には既に開業していたのです(Wikipedia英語版'History of rail transport in Finland'、"FINNISH RAILWAYS in 19th century"、ともに2011年3月8日閲覧)。
考えてみると、シベリウスが都会を離れたのは、別に人を避けたかったからではなく、作曲活動に打ち込むため。作った曲を世に出すことを考えれば、完全に隠遁してしまうわけにもいかないんですよね。
自然豊かでありながら、その気になれば街にも出られる土地。アイノラのある辺りはまさにそうです。事前のイメージとはいささか違う面もありましたが、それゆえにあらためて感心したのでした。
それはさておき、まずは入場料を支払い、チケット代わりのシールをもらいました。これを服に貼ってから、アイノラを囲む森の中を歩いてみました。
アイノラの本棟となる、シベリウス一家の住居(シベリウスにとっては仕事場でもあった)の裏手を通ります。
別棟として建てられていたサウナ。
すぐそばに大きな井戸があります。ここから水を汲んでいたんですね。
それにしても、ここから住居までは少々距離があります。いかにサウナに入るとはいえ、冬場は戻る時に身体が冷えてしまうことはなかったんでしょうか。
こちらはポンプ式の井戸。生活に使う水は、おそらくこちらの井戸から汲んでいたのでしょう。
サウナのほかにも、敷地にはいくつも小屋が建てられています。
こちらはシベリウス一家の住居のすぐそばに建てられている小屋。1つは離れ、1つは家畜小屋だったそうです。
表側に回ってみました。きれいにペンキが塗られていますね。
先ほどの小屋の1つ。こちらは家畜小屋です。
森の中を歩いて、アイノラ本棟の裏手に来ました。ここから屋内に上がらせていただきました。
写真撮影不可だったため、ここでお見せすることはできませんが、中にはシベリウスが使用していたピアノ、当時の家具、蔵書、彼が息を引き取ったベッドがそのまま置かれています。
室内に飾られている、シベリウスの妻アイノの兄弟エーロ・ヤルネフェルトの絵画も、シベリウスが暮らした当時のもの。50年以上の時を越えて、その当時の様子が感じられた気がしました。
アイノラの住居の前。かつてはここに、世界中から来客がシベリウスに会いに訪れてきました。
森の中を歩きます。
生い茂る針葉樹の合間からさす光。短い夏の、何よりの贈り物です。この日はちょっと多過ぎる気もしましたが。
こうしてシベリウスも、森の中を歩きながら、霊感を得ようとしたり、作曲の合間に気分転換を図ったのでしょうか。
シベリウスが眠る墓。のちに妻アイノもここに埋葬されました。
誰かが手向けた花が、その亡き後50年を越えても敬愛され続けるシベリウスの存在の大きさを物語っている気がしました。
【参考情報+注意喚起】
アイノラは『地球の歩き方』のA29巻、北欧2009~2010年版で紹介されていますが、実は情報に間違いがあります。
同書の453ページには、「Järvenpää下車、徒歩10分」とありますが、先日のエントリでも書いたように、ヤルヴェンパーから歩くと、私の足でも40分かかりました。
おそらくヤルヴェンパーとキュレラ(Kyrölä)を混同したのが間違いのもとだと思いますが、『地球の歩き方』の情報を信じると、かなりしんどい思いをすることになります。
鉄道の場合は、アイノラの最寄駅はヤルヴェンパーの1つ手前のキュレラになります。ここからなら、歩いて10分少々あれば着くでしょう。
ただし、キュレラに泊る電車は本数が少ないので、一番便利なのは、便数が多く、アイノラのすぐ近くまで行けるバスのようです(ただし私は利用してないので詳細は不明)。
また、アイノラのウェブサイト(リンクは英語版)では、"Contact"のページで付近のgoogleマップを見ることができます(2011年3月9日時点)。
また、同ページには印刷に適した地図のページへのリンクも張ってあります(2011年3月9日時点、フィンランド語)。現地に行かれる方は、これらを参考にすることをお勧めします。
これこそアイノラ。これまで本の中の世界として憧れるしかなかった場所に来たと思うと、胸が熱くなります。
着いてみて思ったのは、「思ったより人里から離れていない」ということ。
確かにアイノラは、フィンランドらしい針葉樹の森の中にありますが、来しなの国道からは歩いて5分と離れていません。鉄道からもそう距離がないせいで、ときに列車の音も聞こえてきます。
シベリウスがアイノラに移り住んだのは、都会の喧騒を離れようとしたためだと言われています。
そのはずなのに、実際のアイノラには少々意外な感じもあります。シベリウスが住んでいた時代とは違い、アイノラの近くにも開発の波が徐々にやってきているという面もあるのでしょう。
ただ、この近くを走る鉄道は、シベリウスが移り住んだ時には既に開業していたのです(Wikipedia英語版'History of rail transport in Finland'、"FINNISH RAILWAYS in 19th century"、ともに2011年3月8日閲覧)。
考えてみると、シベリウスが都会を離れたのは、別に人を避けたかったからではなく、作曲活動に打ち込むため。作った曲を世に出すことを考えれば、完全に隠遁してしまうわけにもいかないんですよね。
自然豊かでありながら、その気になれば街にも出られる土地。アイノラのある辺りはまさにそうです。事前のイメージとはいささか違う面もありましたが、それゆえにあらためて感心したのでした。
それはさておき、まずは入場料を支払い、チケット代わりのシールをもらいました。これを服に貼ってから、アイノラを囲む森の中を歩いてみました。
アイノラの本棟となる、シベリウス一家の住居(シベリウスにとっては仕事場でもあった)の裏手を通ります。
別棟として建てられていたサウナ。
すぐそばに大きな井戸があります。ここから水を汲んでいたんですね。
それにしても、ここから住居までは少々距離があります。いかにサウナに入るとはいえ、冬場は戻る時に身体が冷えてしまうことはなかったんでしょうか。
こちらはポンプ式の井戸。生活に使う水は、おそらくこちらの井戸から汲んでいたのでしょう。
サウナのほかにも、敷地にはいくつも小屋が建てられています。
こちらはシベリウス一家の住居のすぐそばに建てられている小屋。1つは離れ、1つは家畜小屋だったそうです。
表側に回ってみました。きれいにペンキが塗られていますね。
先ほどの小屋の1つ。こちらは家畜小屋です。
森の中を歩いて、アイノラ本棟の裏手に来ました。ここから屋内に上がらせていただきました。
写真撮影不可だったため、ここでお見せすることはできませんが、中にはシベリウスが使用していたピアノ、当時の家具、蔵書、彼が息を引き取ったベッドがそのまま置かれています。
室内に飾られている、シベリウスの妻アイノの兄弟エーロ・ヤルネフェルトの絵画も、シベリウスが暮らした当時のもの。50年以上の時を越えて、その当時の様子が感じられた気がしました。
アイノラの住居の前。かつてはここに、世界中から来客がシベリウスに会いに訪れてきました。
森の中を歩きます。
生い茂る針葉樹の合間からさす光。短い夏の、何よりの贈り物です。この日はちょっと多過ぎる気もしましたが。
こうしてシベリウスも、森の中を歩きながら、霊感を得ようとしたり、作曲の合間に気分転換を図ったのでしょうか。
シベリウスが眠る墓。のちに妻アイノもここに埋葬されました。
誰かが手向けた花が、その亡き後50年を越えても敬愛され続けるシベリウスの存在の大きさを物語っている気がしました。
【参考情報+注意喚起】
アイノラは『地球の歩き方』のA29巻、北欧2009~2010年版で紹介されていますが、実は情報に間違いがあります。
同書の453ページには、「Järvenpää下車、徒歩10分」とありますが、先日のエントリでも書いたように、ヤルヴェンパーから歩くと、私の足でも40分かかりました。
おそらくヤルヴェンパーとキュレラ(Kyrölä)を混同したのが間違いのもとだと思いますが、『地球の歩き方』の情報を信じると、かなりしんどい思いをすることになります。
鉄道の場合は、アイノラの最寄駅はヤルヴェンパーの1つ手前のキュレラになります。ここからなら、歩いて10分少々あれば着くでしょう。
ただし、キュレラに泊る電車は本数が少ないので、一番便利なのは、便数が多く、アイノラのすぐ近くまで行けるバスのようです(ただし私は利用してないので詳細は不明)。
また、アイノラのウェブサイト(リンクは英語版)では、"Contact"のページで付近のgoogleマップを見ることができます(2011年3月9日時点)。
また、同ページには印刷に適した地図のページへのリンクも張ってあります(2011年3月9日時点、フィンランド語)。現地に行かれる方は、これらを参考にすることをお勧めします。