会津若松に着いたのは14時前。この後15時ちょうどに発車する会津鉄道の快速で南下を始めることになる。
あと10分ほど着くのが早ければ、その一本前の臨時列車に乗れたのだが、こればかりはダイヤの都合上致し方ない。
会津鉄道はかつての国鉄会津線が廃止されるのに伴い、その後を引き継ぐべく設立された第三セクターの鉄道会社である。
当初は全線でディーゼルカーが行き来する盲腸線だったが、後に野岩鉄道(やがんてつどう、後述)によって東武鉄道に連絡するようになった。そして一部区間は電化され、浅草から直通の電車も走るようになった。
ただ、大震災の煽りで列車の運転ダイヤに変更があり、会津若松の駅内には臨時の時刻表が掲げられていた。この辺は小型の時刻表ではつかみきれない。変更があることは分かっても、どう変更されたかが分からないのだ。
もっとも、私が乗る予定の列車には変更はないので、結果としては何の影響もないことになる。
さらにその横を見ると、会津若松から西に抜ける磐越西線と只見線が7月末の水害で一部不通となり、代行バスすらないとの案内もある。
仮にダイヤが乱れていて、列車が動いているだけだったとしても、それで御の字なのだ。後にこのことをさらに実感する事態が出てくるのだが、それについては後日書きたい。
会津鉄道の快速「AIZU尾瀬エクスプレス」。会津若松と会津鉄道の終点会津高原尾瀬口とを結んでいる。ちなみにこの地方では「会津○○」という名前の駅がやたら多い。
車内には風鈴が飾られていた。最近のローカル私鉄は少しでも乗客の関心を引くためか、車内にこのような装飾を施す例をあちこちで見かける。
さて、列車は15時ちょうどに会津若松を発車。西若松までは乗り入れ先のJR只見線を走り、会津鉄道本来の路線に入って最初の停車駅芦ノ牧温泉に降り立った。この日の最大の目的地、猫駅長「ばす」のいる駅である。
芦ノ牧温泉駅はその名の通り芦ノ牧温泉の玄関口で、列車の行き違いもできれば人間の駅員もいる、会津鉄道では比較的大きな駅である。
駅の外に保存されていたかつての駅名標。このように、以前は「上三寄」という駅名だったが、温泉の名を冠した方が目立つのか、第三セクター化された時に改称されている。
そのため、駅名板もこの通り比較的新しい。
駅の外には、かつて使われていたディーゼルカーが保存されている。これは国鉄時代に作られ、主に都市近郊で使われていた車両であるが、後にトロッコ列車に改造されて会津鉄道で活躍していた。
駅内の売店では、「ばす」のグッズや地元の特産品などが数多く並んでいた。ばすの力もあって、そこそこ客が来るのであろう。
実際、私が駅にいた間も、観光客と思しき人々が入れ替わり立ち替わり駅を訪れていた。もっとも、そのほとんどが列車の乗客ではなかったのだが……
駅の待合室。ホテルの案内があるのはさすが温泉地の駅というところか。書棚もあり、時間を過ごすのに困ることはなさそうである。
ただ、肝心のばすの姿が見当たらない。ここが普段の居場所のようだが(なぜかもっちぃのぬいぐるみがある)、ご覧の通り。
駅長室。ばすの名の由来となったねこバスのぬいぐるみはあるが、本人、もとい、本猫は不在のようである。
事前に問い合わせた勤務時間に合わせて来駅したつもりなのだが……
気になったので、売店で買い物をするついでに駅員氏(人間)に尋ねてみると「パトロール中」とのこと。つまりは、暑いので朝から外に出て行っているということだ。
言われてみれば、先に問い合わせた時も、「なにぶん毛皮を着ておりますので、暑い時間は外に出るかも知れません」という話があった。
なかなか味のある表現だとは思ったが、確かに冷房のない駅舎よりは、風通しの良い外の日陰の方が過ごしやすいのだろう。
ともあれ、出掛けてしまったものは仕方がない。しばらく駅を見てみることにした。
ばすのプロフィール。駅長就任は平成20(2008)年4月24日、1日8時間勤務で仕事は(気が向いたら)乗客の出迎えや巡回、さらに悩み相談では聞き役に徹してくれるそうだ。
吉ケ原駅のコトラ駅長(第1回参照)の写真もあった。以前来たことがあるらしい。猫駅長の仕事も意外と大変である。
ばすはメディアの取材を受けることもあるらしく、駅にきた芸能人のサインが飾ってあった。
向かいのホームにたたずむ石像。やはり、猫。
駅にはかつて使われていた転轍機が保存されていた。昔は信号とポイントは手動で、この転轍機を使って切り替えていたのだ。
そうこうするうち、次の列車がやって来た。結局ばすはパトロールに出掛けたままで、私としては空振りである。
ともあれ、これも旅ではある。この列車に乗り込み、さらに南を目指す。
あと10分ほど着くのが早ければ、その一本前の臨時列車に乗れたのだが、こればかりはダイヤの都合上致し方ない。
会津鉄道はかつての国鉄会津線が廃止されるのに伴い、その後を引き継ぐべく設立された第三セクターの鉄道会社である。
当初は全線でディーゼルカーが行き来する盲腸線だったが、後に野岩鉄道(やがんてつどう、後述)によって東武鉄道に連絡するようになった。そして一部区間は電化され、浅草から直通の電車も走るようになった。
ただ、大震災の煽りで列車の運転ダイヤに変更があり、会津若松の駅内には臨時の時刻表が掲げられていた。この辺は小型の時刻表ではつかみきれない。変更があることは分かっても、どう変更されたかが分からないのだ。
もっとも、私が乗る予定の列車には変更はないので、結果としては何の影響もないことになる。
さらにその横を見ると、会津若松から西に抜ける磐越西線と只見線が7月末の水害で一部不通となり、代行バスすらないとの案内もある。
仮にダイヤが乱れていて、列車が動いているだけだったとしても、それで御の字なのだ。後にこのことをさらに実感する事態が出てくるのだが、それについては後日書きたい。
会津鉄道の快速「AIZU尾瀬エクスプレス」。会津若松と会津鉄道の終点会津高原尾瀬口とを結んでいる。ちなみにこの地方では「会津○○」という名前の駅がやたら多い。
車内には風鈴が飾られていた。最近のローカル私鉄は少しでも乗客の関心を引くためか、車内にこのような装飾を施す例をあちこちで見かける。
さて、列車は15時ちょうどに会津若松を発車。西若松までは乗り入れ先のJR只見線を走り、会津鉄道本来の路線に入って最初の停車駅芦ノ牧温泉に降り立った。この日の最大の目的地、猫駅長「ばす」のいる駅である。
芦ノ牧温泉駅はその名の通り芦ノ牧温泉の玄関口で、列車の行き違いもできれば人間の駅員もいる、会津鉄道では比較的大きな駅である。
駅の外に保存されていたかつての駅名標。このように、以前は「上三寄」という駅名だったが、温泉の名を冠した方が目立つのか、第三セクター化された時に改称されている。
そのため、駅名板もこの通り比較的新しい。
駅の外には、かつて使われていたディーゼルカーが保存されている。これは国鉄時代に作られ、主に都市近郊で使われていた車両であるが、後にトロッコ列車に改造されて会津鉄道で活躍していた。
駅内の売店では、「ばす」のグッズや地元の特産品などが数多く並んでいた。ばすの力もあって、そこそこ客が来るのであろう。
実際、私が駅にいた間も、観光客と思しき人々が入れ替わり立ち替わり駅を訪れていた。もっとも、そのほとんどが列車の乗客ではなかったのだが……
駅の待合室。ホテルの案内があるのはさすが温泉地の駅というところか。書棚もあり、時間を過ごすのに困ることはなさそうである。
ただ、肝心のばすの姿が見当たらない。ここが普段の居場所のようだが(なぜかもっちぃのぬいぐるみがある)、ご覧の通り。
駅長室。ばすの名の由来となったねこバスのぬいぐるみはあるが、本人、もとい、本猫は不在のようである。
事前に問い合わせた勤務時間に合わせて来駅したつもりなのだが……
気になったので、売店で買い物をするついでに駅員氏(人間)に尋ねてみると「パトロール中」とのこと。つまりは、暑いので朝から外に出て行っているということだ。
言われてみれば、先に問い合わせた時も、「なにぶん毛皮を着ておりますので、暑い時間は外に出るかも知れません」という話があった。
なかなか味のある表現だとは思ったが、確かに冷房のない駅舎よりは、風通しの良い外の日陰の方が過ごしやすいのだろう。
ともあれ、出掛けてしまったものは仕方がない。しばらく駅を見てみることにした。
ばすのプロフィール。駅長就任は平成20(2008)年4月24日、1日8時間勤務で仕事は(気が向いたら)乗客の出迎えや巡回、さらに悩み相談では聞き役に徹してくれるそうだ。
吉ケ原駅のコトラ駅長(第1回参照)の写真もあった。以前来たことがあるらしい。猫駅長の仕事も意外と大変である。
ばすはメディアの取材を受けることもあるらしく、駅にきた芸能人のサインが飾ってあった。
向かいのホームにたたずむ石像。やはり、猫。
駅にはかつて使われていた転轍機が保存されていた。昔は信号とポイントは手動で、この転轍機を使って切り替えていたのだ。
そうこうするうち、次の列車がやって来た。結局ばすはパトロールに出掛けたままで、私としては空振りである。
ともあれ、これも旅ではある。この列車に乗り込み、さらに南を目指す。
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