そういえば、11年前の「あの日」も火曜日だったんですよね……
「あの日」についての私の思いは、11年間そう変わっていません。その思いは去年の今日と同じ日のエントリに書きましたので、よろしければそちらをお読みいただければと思います。
ただ、もし1点だけ付け加えさせていただけるなら……
3日前の日経夕刊に、「阪神大震災の被災者の76%が震災体験の風化を感じている」という内容の記事がありました(2006年1月13日日経夕刊1面)。
11年前のことで、記憶が薄れているというのはある程度は仕方がないことなのかも知れません。ただ、76%という数字は私にとってはショックでしたし、焦りを感じずにはいられなくなっています。
先ほどご紹介した、去年のエントリの中で書いた一言。これを、改めて繰り返したい。
震災は、まだ終わってない。
間違っても、終わったことにしたらあかん。
今、このエントリを読んでくださっているあなたへ。
どうぞ、不慮の災害への備えは十分にしてください。
何かあってからでは、どうしようもないのです。いくら悔やんでも、取り返しがつかないのです。
だから、どうか、私たちの経験を役立てていただきたい。
あなたにとってかけがいのない人を、そしてあなた自身を守るために。
【1/18追記】
ハムぞー所長のエントリで、もしもの時に役立つ防災用品が紹介されています。
基本的なグッズはここで紹介されていますし、コメント欄でも役に立つモノや知恵について書かれていますので、ぜひご参考にしてください。
「あの日」についての私の思いは、11年間そう変わっていません。その思いは去年の今日と同じ日のエントリに書きましたので、よろしければそちらをお読みいただければと思います。
ただ、もし1点だけ付け加えさせていただけるなら……
3日前の日経夕刊に、「阪神大震災の被災者の76%が震災体験の風化を感じている」という内容の記事がありました(2006年1月13日日経夕刊1面)。
11年前のことで、記憶が薄れているというのはある程度は仕方がないことなのかも知れません。ただ、76%という数字は私にとってはショックでしたし、焦りを感じずにはいられなくなっています。
先ほどご紹介した、去年のエントリの中で書いた一言。これを、改めて繰り返したい。
震災は、まだ終わってない。
間違っても、終わったことにしたらあかん。
今、このエントリを読んでくださっているあなたへ。
どうぞ、不慮の災害への備えは十分にしてください。
何かあってからでは、どうしようもないのです。いくら悔やんでも、取り返しがつかないのです。
だから、どうか、私たちの経験を役立てていただきたい。
あなたにとってかけがいのない人を、そしてあなた自身を守るために。
【1/18追記】
ハムぞー所長のエントリで、もしもの時に役立つ防災用品が紹介されています。
基本的なグッズはここで紹介されていますし、コメント欄でも役に立つモノや知恵について書かれていますので、ぜひご参考にしてください。
この記事の上に写真だけで本文が何もないエントリを作成しました。お分かりの方もいらっしゃるでしょうが、このエントリの投稿日時は阪神・淡路大震災が発生した時刻に合わせております。
このエントリは、震災の記憶を改めて心に留めるためのものであります。この時間には私も震災で犠牲となった方々に黙祷を捧げることにしております。
ですので、もし皆さんの中でご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、この記事に刻まれた時、5時46分30秒に1分間の黙祷を捧げていただきますよう、よろしくお願いいたします。
なお、明日1月17日は勝手ながら最低限の活動(スパムコメント・TBの削除等)を除き、ブログ上での活動を控えさせていただきたいと思います。
したがいまして、記事にコメント・トラックバックをいただきましても、レスが遅れる場合があります。
誠に勝手ではございますが、明日1日は震災の被害に思いを馳せる日にしたいと思っております。
それ以降は普段と変わらず皆さんに楽しい話題を提供したいと思っておりますので、ご理解のほどよろしくお願いしますm(_ _)m
http://www.buffaloes.co.jp/info/info.asp?n=1009
「震災10年を示す「がんばろうKOBE 10th」のロゴが外されるのを期に」って外されるんじゃなくて外すんやろ~も~って感じですが。
というかつけたり外したりせんと、神戸にある限りつけれてればいいのに…という気持ちですね。ヘンな言い方かもしれませんが、防災効果もあると思うんだけどなぁ…。
個人的には、「がんばろうKOBE」にはどうしても思い入れがあるので、ブルーウェーブではない球団がワッペン?を付けるのは正直なところ抵抗があるんですよ(^^;;)
それにオリックス本社が大阪ドームを買った日には、あるいは神戸から(ry
今年の正月に実家に帰った折、久々に家族全員がそろい、年越しならぬ、年明けそばを食べながらしみじみと話したのが「震災の時のこと」でした。
幸い自宅は難を逃れましたが、水もガスもない日々、生活水や洗濯を両親が大阪に出向いて調達したこととか
当初学生だった私や弟達がどのような毎日を過ごしたか、とか。
今でも、「正月→震災」になっちゃってるのかなあ。
ちなみに、震災犠牲者のための記念館(記念碑?)の壁に、祖母の名前は刻まれていないそうです。
きっとそういう方は、阪神間や淡路島には多いんでしょうね。
私自身も、1月は元旦を迎えて、十日えびすがあって、そして1.17があって、というのが流れになりつつあります。おそらくこの先ずっとそうなのでしょう。
あの時からは気が遠くなるくらい時間が経って、私自身も周囲の環境も変わってしまい……でも、時間が止まったままの人もいるわけで……
生まれてこの方旅行以外北海道以外で住んだ事がありませんが、あの日の衝撃は忘れられません。最初は何がなんだかわかりませんでした。会社のテレビは一日中TVを映し出してました。申し訳有りませんが、これが日によっては日中も-気温の北海道で起こったならばと置き換えてみて震えてました。
TVでは耐震構造・基準・大雪等今日も昨日も派手に?報道がなされてますが、現地とスタジオご意見番との距離をどうしても感じてしまいます。長く暮らしていると色々な音や映像で雪の状態でああこれは大変だと感じています。今日朝タイマーでまた黙祷をさせていただきます。
「天災は忘れた頃にやってくる」との諺とともに、備えの大切さ、人と人との交流の大切さを忘れず、「安心」「安全」な日常を送れる事に対し、今日一日この書き込みをしている時だけでも、深く感謝する次第です、。
たった11年前の震災の教訓を、最近世間を騒がす「耐震強度擬装問題」に関わる人達に、今一度問いたい・・・。
ご自身のおかれた環境に置き換えて考えるというのは、非常に大事なことです。
何かあったときに自分や周囲の人を守るためには、自分のいる場所で災害が起こった時のことを想定しないといけないですからね。
まつさんの身に災害が降りかかった時に、どうすればご自身や周囲の方々を守ることができるか、ぜひお考えいただければと思います。
>テレビ報道
まぁ、テレビはこんな時には使えない(むしろ報道陣がジャマ)というのは被災地の人間がみんな痛感していることでして(苦笑)
阪神・淡路の場合はサンテレビが例外でしたが、他は東京のキー局の都合のいいようにしか動きませんからね……
>耐震強度擬装問題
昨日が証人喚問でしたが、証人も証人ならこれをネタにする政治家にもくだらない人間が少なくないようで……
http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/2dcd536c1ecbb16d8c2ca1e9e43acf0b