八戸で東北新幹線を降りた。新青森まで乗り通す手もないではないが、十和田観光電鉄への乗り換えを考えると大回りにもほどがある。
乗り換えの時間があるので、売店で昼食を調達する。駅弁の種類が豊富なのもうれしいが、さらに目を引いたのが、地場産のつまみだ。
キオスクや売店で売っている酒のつまみと言えば、ほとんどが大量生産の規格品。値段は安いが、旅の風情を感じるには向いていない。
ところが、流石は海の街八戸というべきか、地元産の海産物系のつまみが結構ある。どうせ呑み鉄の旅である。これらを肴に一杯と決まった。
つまみと地酒のワンカップを買って売店を出ると、構内は乗客がほとんどいなくなっていた。八戸が終着駅だったころは、乗り換え客で賑わったであろう駅も、途中駅になると、とたんに閑散としてしまうのだ。
ともあれ、われわれはここで乗り換えるのだ。かつての東北本線の青森県内区間を引き継いだ第三セクター、青い森鉄道に乗って、十和田観光電鉄の始発駅、三沢を目指す。
ちなみに、隣に停まっているのは、同じく東北本線の岩手県内区間を引き継いだIGRいわて銀河鉄道の車両である。元は同じ形式の車両のはずだが、所属する会社が違う。
両社の営業区間は県境にある目時駅で分かれているが、さすがに運転区間まで分断するわけにはいかず、このように乗り入れているのだ。
それにしても、まぁ大した雪の着き方である。大阪から6時間ちょっとで、こんなところまで来てしまえる事実に、妻も私も呆然とするばかりであった。飛行機ならまだしも、鉄道で6時間ちょっとなのだ。
八戸からはJR八戸線も出ているが、こちらは在来線の端の方から発着する。かつてはすべてJRの駅だったのが、いまや隅に追いやられた感じである。いや、自ら縮小したというべきか。
ちなみに、JR八戸線も東日本大震災で大きな被害を受け、現在も一部区間が不通になっているが、この3月に全線で運転が再開できることになったそうだ。被災したJRの路線では、初のことである。
青い森鉄道の電車に乗り込む。車両にはキャラクター「モーリー」のラッピングがしてある。失礼ながら車両自体が没個性そのものなだけに、こういう形で独自性をアピールしなければならない。
とはいえ、キャラクターとしてはシンプルで親しみやすく、変にゆるキャラを狙った感じが無くて好感を持った。3次元もぜひ見てみたいものだ。
電車はほぼ定刻通りに八戸を出た。ローカル線の常としてワンマンカーだが、アテンダントも乗車している。
最近は地方私鉄や第三セクターで、アテンダントが乗車するところが増えたように思う。経費削減のために車掌をつけなくなったのに、アテンダントなら経営には影響しないのだろうか。考えてみれば不思議である。
さておき、20分ほどで三沢に着いた。観光客向けの大きな看板がまず目についた。
その中にはこんなものもあった。なんでも、この「キリスト伝説」は知る人ぞ知る「竹内文書」に示されたものらしい。
胸が熱くなる話ではあるが、ええと、地方の村の観光資源として役に立っているのなら、まぁ……
改札に上がってみると、今度はこんなものを見つけた。青森だからりんごは分かるし、三沢に米軍基地があるのも知っているが、こちらも観光資源扱いである。
さらに見上げると軍用機が。
駅前広場に出ると、いかにも日本なこけしが立っているが、
横のポストを見ると、やはり軍用機である。見えにくいのはご容赦願いたい。
ちなみに、改札から駅前までの階段には、こんな赤い飛行機が描かれていた。"Miss Veedol"というのが名前であろう。
調べてみたら、「ミス・ビードル」号は世界で初めて太平洋無着陸横断に成功した機体らしい。本物はその後失われてしまったが、アメリカで作られた復元機が日本に貸し出され、三沢基地で記念飛行も行われたそうだ。
それにしても、沖縄では米軍基地の存在があれほど問題視されているというのに、三沢では完全に地元に溶け込んでいる。記念飛行だって日本側が提案し、米軍が協力して実現したものなのだ。
どちらが良くてどちらが悪い、という問題ではない。とにかく空気がまるで違うのだ。とすれば、なぜ違うのか。簡単に答えが出るとは思えないし、出すべきでないのかも知れないが……
さておき、十和田観光電鉄の三沢駅へと向かう。
乗り換えの時間があるので、売店で昼食を調達する。駅弁の種類が豊富なのもうれしいが、さらに目を引いたのが、地場産のつまみだ。
キオスクや売店で売っている酒のつまみと言えば、ほとんどが大量生産の規格品。値段は安いが、旅の風情を感じるには向いていない。
ところが、流石は海の街八戸というべきか、地元産の海産物系のつまみが結構ある。どうせ呑み鉄の旅である。これらを肴に一杯と決まった。
つまみと地酒のワンカップを買って売店を出ると、構内は乗客がほとんどいなくなっていた。八戸が終着駅だったころは、乗り換え客で賑わったであろう駅も、途中駅になると、とたんに閑散としてしまうのだ。
ともあれ、われわれはここで乗り換えるのだ。かつての東北本線の青森県内区間を引き継いだ第三セクター、青い森鉄道に乗って、十和田観光電鉄の始発駅、三沢を目指す。
ちなみに、隣に停まっているのは、同じく東北本線の岩手県内区間を引き継いだIGRいわて銀河鉄道の車両である。元は同じ形式の車両のはずだが、所属する会社が違う。
両社の営業区間は県境にある目時駅で分かれているが、さすがに運転区間まで分断するわけにはいかず、このように乗り入れているのだ。
それにしても、まぁ大した雪の着き方である。大阪から6時間ちょっとで、こんなところまで来てしまえる事実に、妻も私も呆然とするばかりであった。飛行機ならまだしも、鉄道で6時間ちょっとなのだ。
八戸からはJR八戸線も出ているが、こちらは在来線の端の方から発着する。かつてはすべてJRの駅だったのが、いまや隅に追いやられた感じである。いや、自ら縮小したというべきか。
ちなみに、JR八戸線も東日本大震災で大きな被害を受け、現在も一部区間が不通になっているが、この3月に全線で運転が再開できることになったそうだ。被災したJRの路線では、初のことである。
青い森鉄道の電車に乗り込む。車両にはキャラクター「モーリー」のラッピングがしてある。失礼ながら車両自体が没個性そのものなだけに、こういう形で独自性をアピールしなければならない。
とはいえ、キャラクターとしてはシンプルで親しみやすく、変にゆるキャラを狙った感じが無くて好感を持った。3次元もぜひ見てみたいものだ。
電車はほぼ定刻通りに八戸を出た。ローカル線の常としてワンマンカーだが、アテンダントも乗車している。
最近は地方私鉄や第三セクターで、アテンダントが乗車するところが増えたように思う。経費削減のために車掌をつけなくなったのに、アテンダントなら経営には影響しないのだろうか。考えてみれば不思議である。
さておき、20分ほどで三沢に着いた。観光客向けの大きな看板がまず目についた。
その中にはこんなものもあった。なんでも、この「キリスト伝説」は知る人ぞ知る「竹内文書」に示されたものらしい。
胸が熱くなる話ではあるが、ええと、地方の村の観光資源として役に立っているのなら、まぁ……
改札に上がってみると、今度はこんなものを見つけた。青森だからりんごは分かるし、三沢に米軍基地があるのも知っているが、こちらも観光資源扱いである。
さらに見上げると軍用機が。
駅前広場に出ると、いかにも日本なこけしが立っているが、
横のポストを見ると、やはり軍用機である。見えにくいのはご容赦願いたい。
ちなみに、改札から駅前までの階段には、こんな赤い飛行機が描かれていた。"Miss Veedol"というのが名前であろう。
調べてみたら、「ミス・ビードル」号は世界で初めて太平洋無着陸横断に成功した機体らしい。本物はその後失われてしまったが、アメリカで作られた復元機が日本に貸し出され、三沢基地で記念飛行も行われたそうだ。
それにしても、沖縄では米軍基地の存在があれほど問題視されているというのに、三沢では完全に地元に溶け込んでいる。記念飛行だって日本側が提案し、米軍が協力して実現したものなのだ。
どちらが良くてどちらが悪い、という問題ではない。とにかく空気がまるで違うのだ。とすれば、なぜ違うのか。簡単に答えが出るとは思えないし、出すべきでないのかも知れないが……
さておき、十和田観光電鉄の三沢駅へと向かう。
三沢基地の米軍兵は air force のエリート部隊なので、地元で悶着を起こすことはめったにありません。そこが海兵隊の沖縄と違うところだ、と、当の米兵に聞きました。
もう、三沢や十和田を離れられたでしょうか。十和田には、すぱげ亭という美味しいスパゲッティー屋があります。駅から少し南下したところでしょうか。三沢では「キッチン ぶーけ」の黒いカレーが懐かしいですね。あ、そうだ! ニューミヤキのチャーハンは、日本中転勤で食べ歩いた人間としても、食べた中では日本一だったと断言します。また、食べたいですね。
さて、今年の関西独立リーグの開幕日は、村上監督のブログによると3月24日、13:00から、キッピースタジアムだそうです。兵庫vs06とのこと。また、06の開幕日は4月8日、ナイターみたいです。両方とも愛媛からとなりますが、観に行く予定です。(仕事が入らなければ)
それでは。
なるほど、同じ米軍でもだいぶ違うんですね。
安易に比較して論じることはできなさそうです。
実は、旅行自体はかなり前の話なので、三沢も十和田も離れてしまったのですが、
ただ、これから行く人には非常に参考になると思います。
特に十和田は、電車の廃止を間近に控えていますし、駆け込み需要はあるでしょうね。
>関西独立リーグの開幕日
住之江での06開幕試合が特に楽しみです。
今年は06中心に、カンドクにはのめり込めそうですよ。
(三沢の黒いカレー、チャーハン食べてみたいです)
佐世保バーガーという観光資源ができたわけですし、
それを考えると、むしろメリットも結構大きそうです。
>エンタープライズ闘争
時代が時代でしたし、何より地元以外から反対者が押しかけてきたわけですし、
地元の人々の感覚がどうだったかは、難しいところではありますね。