にわか日ハムファンのブログ記念館

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〔2012年夏・北海道・東日本パスの旅〕(18)南三陸町へ

2012-09-29 22:08:20 | さすらいブロガー旅情編
 南三陸町でのイースタンリーグ観戦の日が来た。
 仙台駅東口にツアーのバスが止まっているというので、ホテルを出てバスを探す。が、あろうことか、東口のどこにバスが停まっているのかを調べていなかった。
 何とか駅前を歩き回り、それらしいバスを見つけたのは発車3分前。バスガイドさんに座席を確認し、バスに乗り込む。
 置いていかれるという最悪の事態は避けられたものの、同行の友人には心配をかけ、妻には無言で怒られる始末。それでも間に合ったのだからいいじゃないか、と開き直る間に、バスは南三陸町に向けて出発した。
 バスは仙台駅東口から、クリネックススタジアムの前を通る。ちなみに私の乗った車両はファイターズファン率が高い一方、バスガイドさんは尋ねるまでもなくイーグルスファン。
 それから、仙台市内を抜けて仙台東部道路へ。この道路がなかったら、特に仙台市内の津波被害はさらに大変なことになっていたであろう。
 仙台東部道路からは三陸自動車道に移り、途中のパーキングエリアで休憩した後、松島という名前とは似ても似つかぬ山間部を走る。
 東松島市から石巻市、夏なのにところどころ枯れた水田の色。
 高速を降り、気仙沼線と並行して走る。しかし列車が運行されているのはわずかな区間で、あとは、あの日から時間が止まったまま。
 列車が来ない駅を通り、峠道を越えて下っていくと、フロントガラスの先で視界が開け、太平洋が見えた。
 ……来てしまったのだ。
 戸倉の集落から、もう一度峠を越える。その先に、志津川の光景が広がった。テレビで、ネットで、何度も見て、それでも絵空事であってほしかった光景が、現実のものとして、われわれの前に突きつけられた。



 津波が襲った跡は、多くのところでがれきの撤去が進んでいる。鉄道の高架橋も、かつてそこを走っていたことを何とか示すぐらいに残っているだけである。



 ここが志津川の中心地。残された建造物の基礎は津波の爪痕なだけではない。この土地で確かに人々が暮らしてきたこと、この土地が人々の喜びも悲しみも、毎日包み込んできたことの証しなのだ。



 志津川駅方面を望む。ここはJR気仙沼線の主要駅の1つ、南三陸町の玄関口だったはずだ。
 気仙沼線の不通区間は、普通にやっても復旧まで数年はかかる。加えて乗客が多く見込めないローカル線を、大打撃を負ったJR東日本に復旧させるのは、いかにもきつい。
 現在この区間は路線バスによる振り替え輸送を行っているが、明日8月20日からはBRT(バス高速輸送システム)という方法を取り入れるという。
 これが本格化すれば、かつての線路のうち残った部分の多くが舗装道になり、バスがその上を走ることになる。
 ただ、いったん舗装した道が、再び手間と費用をかけて鉄道になるのだろうか。不安の声は後を絶たない。



 南三陸町防災庁舎跡。
 地震発生後、庁舎には町の職員が詰め、防災無線で高台への避難を繰り返し、津波第1波の到来まで呼びかけた。
 しかし、押し寄せる津波は、災害への対策となるはずの庁舎を全て呑み込んだ。津波の高さは庁舎の高さすら越え、屋上に避難していた職員の多くを流し去っていった。
 今残された庁舎の骨組みには花束が捧げられ、遠方からの見学者だろうか、バスで訪れる人もいた。災害への備えを訴えるには、残念ながら、その悲劇を打ちつけるしかない。人間は鈍いのだ。
 われわれのバスはその横を通り、JR線を跨いだらしく、その先の合同庁舎横、仮設の商店街前で停車した。ここで30分程の見学時間が設定されている。



 すぐそばの森の緑が抉り取られている。津波が襲ったのだろう。



 合同庁舎横にあった建物は、外壁を残し、内側はすべて流し去られてしまっている。



 合同庁舎。建物の左上に、何かあるのが見えるだろうか。



 津波が到達した高さを示す標示。あの日この場にいなかった者が、この標示をどう信じられるだろう。
 しかし、信じられるかどうかなど、事実にとっては関係がない。想像できないことが事実たり得ない、などと思うのは、この世界に対する人間の思い上がりでしかないのだ。



 合同庁舎の隣には、地元の人々が開いた「南三陸さんさん商店街」が置かれている。海産物を焼く香ばしい匂いが漂う。



 建物こそ仮設だが、万国旗や幟を掲げ、賑わう雰囲気を演出している。



 こういう形で、店がとりあげられたりもする。



 ここが商店街の目抜き通りになるだろうか。何やら音楽が聞こえてきた。



 チェロの合奏団、おそらく地元の人々だろう。「上を向いて歩こう」を演奏していた。
 私のような冷血漢ならいざ知らず、この町を初めて直に目にする人は、やはりその光景に胸を掻き毟られ、瞳からも心からも涙があふれてくることだろう。
 ただ、この町はもう十分以上に人々の涙を受けたはずだ。そんな町がもう涙で濡れなくて済むように、上を向いて歩くべき、か。

 酒屋で一升瓶を仕入れ、発送の手配をお願いしてからバスに戻ると、バスガイドさんがイーグルスのユニを羽織っていた。夏季限定のイーグルスターのユニ、試合に備えて臨戦態勢だ。
 ならば、われわれも万全の備えで対抗しないのは失礼というものだ。どんな理由があっても、遠慮するのは嘘だ。本気でなきゃ嘘だ。
 心は、球場へと移っていった。


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