ようやく斜陽館に着いた。その存在を知ってから二十有余年、今日は芦野公園から半時間以上、本当に長かったが、ついにたどり着いたのだ。
それにしても、鮮やかな赤屋根、北側には高く堅固なレンガの壁、今でこそ建物の多い金木だが、この屋敷ができた当時はさぞ威圧感があったことだろう。
いよいよ中に入る。しかし、悲しいことに、念願叶ったことよりも、久方ぶりに暖房にあたることができたことの方に、感動を覚える。もはや文学も何もあったものではない。
さて、斜陽館は太宰の父津島源右衛門が明治末、太宰が生まれる直前に建てた豪邸である。2階建ての母屋に米蔵も3つある、文字通りの豪邸である。
戦後になると津島家が手放し、その後は長らく旅館「斜陽館」として使われてきたが、平成に入り旧金木町が買い取り、現在は太宰を記念する展示館となっている。
板の間と台所跡。大家族に使用人も含めると、大勢の人々がここで暮らしていたはずだが、それにしては小さい。
威圧感のある仏壇。今でも光沢を保っている。
さらに進むと二階への階段に出る。ここからは洋風の作りになっている。
ここだけ見れば紛うこと無き洋風建築である。外観からは想像もつかないが、2階にも和室はある。
2階からは庭が見渡せる。この季節のことで、低い庭木は雪除けで覆われている。
再び階下に降りる。ここはかつて金融業を営んでいた津島家の執務室である。背を向けている側で、小作人など金を借りにきた人々に対応していたとのことだ。
右手の大きな金庫が、往時の津島家の勢いを示すようである。
そして、津島家の栄光を何より物語るのが、屋敷内に作られた蔵である。
かつてこの中に小作人が作った米がうずたかく積み上げられていて、その光景が、のちに太宰となる津島家の「オズカス」に影を落としたのだろう。
これで一通り見るべきものは見て回った。名残惜しいが、これで斜陽館を辞することにした。隣に商業施設と思しきものができているので、寄ってみることにする。
太宰……ラーメン。
太宰は金木にとって切り札なのかも知れない。例え有夫の夫人と心中して自分だけ生き残り、婚外子を作り、あげく不倫相手と心中して死んだ男だとしても、観光資源となることは事実ではあろう。
ただ、それはそれだとしても、ラーメン……当の太宰がどう思うことやら。
普段の私なら、ここまで書いておいて注文するのだが、このときばかりはさすがにためらった。中二病罹病期の自意識が蘇って、私を制止したのだ。致し方なく、さらに歩くことに。
先ほどは太宰の本家を訪れたが、そこからわずかに離れたところに、太宰が家族を連れて疎開したときの座敷があるという。
そこまで歩いてみようと思ったら、途中の道が「メロス坂」とのこと。はたしてメロスがこんな街中をはしっていたか、どうか。
ともあれ、この路面で走るなど正気の沙汰ではなく、滑らないように歩いていくと、太宰の疎開先にたどり着いた。
太宰疎開の家。玄関の奥に看板があるのが見えると思うが、「賃物件」と書いてある。
当然、この家に太宰が疎開していたわけではない。
こちらが太宰が疎開していた新座敷。本家と比べるとはるかに小さな佇まいだが、それでも他の家からすれば、それなりの規模ではある。
「見学受付」とある。もちろんそれを期待してここまできたのである。
しかし、新座敷はまるで雰囲気とは異なる囲いで閉ざされている。その理由を知るに時間はかからなかった。いわく、「休館日」。
とりあえず、今はただ次またここに来る機会があることを祈るのみである。
坂を登って、金木駅の近くまで来た。
メロス坂の起点というだけあって、走れメロリンQ、もとい走れメロスの冒頭部分が掲げられている。
金木駅に着いた。芦野公園以来経験してきた世界から外界に戻るゲートをようやく見つけた気分である。
とはいえ、金木はあくまで金木のようである。
さて、金木からはストーブ列車で五所川原に向かう予定だが、列車が来るまでまだ間がある。駅の2階が食堂なので、昼食をとるとする。
津軽そばに若生(わかおい)のおにぎり。若生というのは若い昆布のことらしい。出汁用の昆布とはまるで異なる柔らかさである。
熱源を補給したところで階下へ。階段には立佞武多の絵を描いた凧が飾ってあった。
この凧といい。地元の文化資源を最大限に活用することは良いことだ。それ自体は良いことだ。
なのだが、ものにはやり方というのがあって、
あんまりだ。あんまりにもあんまりなナレーションをつけたものだ。
地下の太宰は、自分はこんなことは言わないはずだと、恥ずかしさに身悶えているに相違ない。
【参考】
・ 五所川原市「太宰治記念館【斜陽館】」
・ 太宰ミュージアム「太宰治記念館『斜陽館』」
それにしても、鮮やかな赤屋根、北側には高く堅固なレンガの壁、今でこそ建物の多い金木だが、この屋敷ができた当時はさぞ威圧感があったことだろう。
いよいよ中に入る。しかし、悲しいことに、念願叶ったことよりも、久方ぶりに暖房にあたることができたことの方に、感動を覚える。もはや文学も何もあったものではない。
さて、斜陽館は太宰の父津島源右衛門が明治末、太宰が生まれる直前に建てた豪邸である。2階建ての母屋に米蔵も3つある、文字通りの豪邸である。
戦後になると津島家が手放し、その後は長らく旅館「斜陽館」として使われてきたが、平成に入り旧金木町が買い取り、現在は太宰を記念する展示館となっている。
板の間と台所跡。大家族に使用人も含めると、大勢の人々がここで暮らしていたはずだが、それにしては小さい。
威圧感のある仏壇。今でも光沢を保っている。
さらに進むと二階への階段に出る。ここからは洋風の作りになっている。
ここだけ見れば紛うこと無き洋風建築である。外観からは想像もつかないが、2階にも和室はある。
2階からは庭が見渡せる。この季節のことで、低い庭木は雪除けで覆われている。
再び階下に降りる。ここはかつて金融業を営んでいた津島家の執務室である。背を向けている側で、小作人など金を借りにきた人々に対応していたとのことだ。
右手の大きな金庫が、往時の津島家の勢いを示すようである。
そして、津島家の栄光を何より物語るのが、屋敷内に作られた蔵である。
かつてこの中に小作人が作った米がうずたかく積み上げられていて、その光景が、のちに太宰となる津島家の「オズカス」に影を落としたのだろう。
これで一通り見るべきものは見て回った。名残惜しいが、これで斜陽館を辞することにした。隣に商業施設と思しきものができているので、寄ってみることにする。
太宰……ラーメン。
太宰は金木にとって切り札なのかも知れない。例え有夫の夫人と心中して自分だけ生き残り、婚外子を作り、あげく不倫相手と心中して死んだ男だとしても、観光資源となることは事実ではあろう。
ただ、それはそれだとしても、ラーメン……当の太宰がどう思うことやら。
普段の私なら、ここまで書いておいて注文するのだが、このときばかりはさすがにためらった。中二病罹病期の自意識が蘇って、私を制止したのだ。致し方なく、さらに歩くことに。
先ほどは太宰の本家を訪れたが、そこからわずかに離れたところに、太宰が家族を連れて疎開したときの座敷があるという。
そこまで歩いてみようと思ったら、途中の道が「メロス坂」とのこと。はたしてメロスがこんな街中をはしっていたか、どうか。
ともあれ、この路面で走るなど正気の沙汰ではなく、滑らないように歩いていくと、太宰の疎開先にたどり着いた。
太宰疎開の家。玄関の奥に看板があるのが見えると思うが、「賃物件」と書いてある。
当然、この家に太宰が疎開していたわけではない。
こちらが太宰が疎開していた新座敷。本家と比べるとはるかに小さな佇まいだが、それでも他の家からすれば、それなりの規模ではある。
「見学受付」とある。もちろんそれを期待してここまできたのである。
しかし、新座敷はまるで雰囲気とは異なる囲いで閉ざされている。その理由を知るに時間はかからなかった。いわく、「休館日」。
とりあえず、今はただ次またここに来る機会があることを祈るのみである。
坂を登って、金木駅の近くまで来た。
メロス坂の起点というだけあって、走れメロリンQ、もとい走れメロスの冒頭部分が掲げられている。
金木駅に着いた。芦野公園以来経験してきた世界から外界に戻るゲートをようやく見つけた気分である。
とはいえ、金木はあくまで金木のようである。
さて、金木からはストーブ列車で五所川原に向かう予定だが、列車が来るまでまだ間がある。駅の2階が食堂なので、昼食をとるとする。
津軽そばに若生(わかおい)のおにぎり。若生というのは若い昆布のことらしい。出汁用の昆布とはまるで異なる柔らかさである。
熱源を補給したところで階下へ。階段には立佞武多の絵を描いた凧が飾ってあった。
この凧といい。地元の文化資源を最大限に活用することは良いことだ。それ自体は良いことだ。
なのだが、ものにはやり方というのがあって、
あんまりだ。あんまりにもあんまりなナレーションをつけたものだ。
地下の太宰は、自分はこんなことは言わないはずだと、恥ずかしさに身悶えているに相違ない。
【参考】
・ 五所川原市「太宰治記念館【斜陽館】」
・ 太宰ミュージアム「太宰治記念館『斜陽館』」
自分はさほど太宰に詳しくないのですが、ここに出てくる「津軽の7つの雪」と太宰が関係あるんでしょうかね?
自分はこの曲大好きなんですが…。
自分が「人間失格」やらを読んで思ったイメージからすれば、太宰は自分を道化にしたかったのかなとも思ったりするので、ラーメン食べてもよかったのでは?とも思ったりします^^;;
歌詞の着想を得たのが太宰の小説「津軽」の冒頭、
さらにその元ネタの「東奥年鑑」らしいです。
http://ameblo.jp/dam-oyaji/entry-10215695920.html
実際に「東奥年鑑」昭和16年版に遡って調べた猛者もいます(笑)
http://d.hatena.ne.jp/notenki/20081202/1228183611
私自身もこの歌、どこか幻想的な感じがするところが好きです。
>ラーメン
小説の中の太宰は、おどけるところもある一方、妙に恰好をつけたがるところもあり、
はたしてあれを見たときにどう思うか、
判断がつかなかったんですよね。
といいつつ、実はちょっと後悔しています[;;0J0]