(フィンランド・エストニアの旅、過去のエントリはこちら)
展望台から大聖堂に戻ってきました。今回は中を見学することもできそうです。
入ってみると、10ユーロ出せば尖塔上へのガイドツアーに参加できるとの案内がありました。
ガイドツアーということで、人が集まらないと開催されないのかなとも思いましたが、とりあえず参加申し込み。
ところが、結局は私たち2人とガイドさんだけでツアー開催。ガイドさんは、アルバイトかな?という感じの、大学生ぐらいの女性です。
そもそも、ツアーと言っても上に登って降りるだけですし、10ユーロも払ってガイドを頼まなければならない必要って……と訝しくなります。
ですが、実際に登り始めてみて分かりました。細い尖塔に階段を作っているせいで、とにかく階段が急で、足元がものすごく悪いんです。
普通に登って降りてだけでも大変ですが、途中転んだりしたときに、そばに誰もいずに気づかれなかったら大変なことになりかねません。そんな時に備えてガイドが付いている、ということなんですね。
ともあれ、あっぷあっぷしながら何とか尖塔のてっぺんにたどり着きました。
トームペア城とアレクサンドル・ネフスキー聖堂です。トームペア城の塔にはエストニアの国旗がひるがえっています。
タリン旧市街からフェリーターミナル。観光都市タリンの面目躍如、という感じでしょうか。
フェリーの向こうに見えるのは、タリンのテレビ塔です。
真ん中に見える楕円状の建物がある辺りが「歌の原」です。
ここは第二次大戦後に建設された野外ステージなのですが、ソヴィエト支配末期にはエストニアやバルト三国の独立運動を象徴する場所になりました。
特に1988年には、この歌の原に30万人ともいわれるエストニア人が集結、禁止されていたエストニア民謡を合唱するという出来事もあったのです。
後にエストニアをはじめとするバルト三国が再独立を勝ち取ったのはご存知の通り。バルト三国の再独立は、この出来事から「歌う革命」とも呼ばれるようになりました。
という歴史をひも解いてみるとふと思ったのですが、ソ連の侵攻や独ソ戦など、タリンは20世紀にたび重なる戦禍を被っているはずです。
なのに、旧市街がまとまった形で残っていたのは、よくよく考えてみると不思議なことです。他のヨーロッパの街では完全に破壊されたところもありますし。
ガイドさんに片言の英語で尋ねてみたのですが、怪訝そうな顔をして「この辺は戦場にならなかったんじゃないかしら」という答えが返ってきたのみでした。うーん、そうなのかなぁ……
ともあれ、大聖堂からの眺めを堪能した後、再び下町へと戻ることにしたのでした。
タリン旧市街の山の手と下町との間には、「長い足」「短い足」という2つの坂道があります。私たちが通ったのは「長い足」の方でした。
坂の途中で絵描きさんが絵を売っていました。売れているのかなぁと、ちょっと疑問を感じました。
坂を下りきったところから1枚。
ラエコヤ広場に戻ってみると、先ほど見た列車が止まっていました。しかも、「トーマス」だそうです。スペルは違いますが(笑)
乗ってみようかという気もしたのですが、残りの日程と時間を考えると、そこまですることもないかと思ったので、パスすることにしました。
と思ったら、今度はさらに変わった乗り物を発見。バーなんですがペダルがついていて、全員で漕いで動かすというシロモノです。真ん中のバーテンさんがハンドルを握って進路を決めています。
お客さんはみんなものすごいテンションで楽しそう。運動しているので酔いが回るんでしょう。日本でもできないかなぁと一瞬思ったんですが、よくよく考えたら飲酒運転になりますね[;;0J0]
ただ、お酒より何より食事です。歩き回って、さすがにお腹が減ってます。ラエコヤ広場のオープンカフェでお昼ご飯にしました。
腹ごしらえもできたところで再出発。まず訪れたのはニコラス聖堂です。
聖ニコラスは船乗りの守護聖人。ここには15世紀の芸術家バーント・ノトケの手による絵画「死の舞踏」が展示されています。
「死の舞踏」は、王侯貴族から聖職者、庶民に至るあらゆる階層の人々が、骸骨の姿で擬人化された「死」に魅入られ、その恐怖に正気を失い踊り狂うという題材の絵画で、中世末期には多く描かれたといいます。
ノトケの「死の舞踏」現存するものはこの教会にある1点のみという貴重な作品です。「死」に囲まれ、恐怖に顔を歪めながら踊り狂う人々の足元には、死の不可避さをうたう詩が記されています。
ただ、残念ながら撮影はできなかったので、関心のある方は他の資料(例えば英語版Wikipediaの画像)か、現地でご覧になってください[;;0J0]
このほか、ニコラス聖堂には昔からの写真がいくつも展示されていたのですが、中には過去の戦災や火災の被害、そこからの再建の様子を記録した写真もありました。
人間はとにかく、聖堂自体は死から再生を果たした、ということにはなるでしょうか。
続いて訪れたのは、ラエコヤ広場近くにある聖霊教会。14世紀に記録の残る由緒ある教会です。
入っていきなり驚いたのが、デンマークの国旗。なんでこんなところに、と思ったのですが、そもそもタリンを開いて14世紀半ばまで支配していたのがデンマーク人なんで、変な話ではないんですよね。
教会内部。今まで見てきた教会からすると、天井がかなり低い印象です。
祭壇はそれなりに賑やかです。自分のイメージするカトリックの教会の系統です。ただ、豪華絢爛というのとは、ちょっと違う感じがします。
教会なので当然オルガンもあります。これも大人しめかな?
ステンドグラスにはキリストの生涯が描かれています。いくつも教会を見ていると、だんだんパターンが分かってきたような気もします(笑)
聖霊教会から北東に歩きます。こちらはブラックヘッド・ギルド会館。14世紀末以来の歴史があります。
ちなみに「ブラックヘッド・ギルド」というのは、かつて独身の商人と船主が加入することになっていたギルドですが、史料に乏しく詳しいことは分かっていないようです。
また「頭が黒い」という名前は、黒人の殉教者聖モーリシャスに由来すると言われています。こちらが玄関にあったレリーフですが、そういうわけで黒人の横顔が描かれているようです。
こちらもギルドの紋章。中央の人物が、先ほどのものと一緒ですね。
ここからさらに北に歩いて、タリン旧市街の見ものの1つ、聖オレフ教会に向かいます。
展望台から大聖堂に戻ってきました。今回は中を見学することもできそうです。
入ってみると、10ユーロ出せば尖塔上へのガイドツアーに参加できるとの案内がありました。
ガイドツアーということで、人が集まらないと開催されないのかなとも思いましたが、とりあえず参加申し込み。
ところが、結局は私たち2人とガイドさんだけでツアー開催。ガイドさんは、アルバイトかな?という感じの、大学生ぐらいの女性です。
そもそも、ツアーと言っても上に登って降りるだけですし、10ユーロも払ってガイドを頼まなければならない必要って……と訝しくなります。
ですが、実際に登り始めてみて分かりました。細い尖塔に階段を作っているせいで、とにかく階段が急で、足元がものすごく悪いんです。
普通に登って降りてだけでも大変ですが、途中転んだりしたときに、そばに誰もいずに気づかれなかったら大変なことになりかねません。そんな時に備えてガイドが付いている、ということなんですね。
ともあれ、あっぷあっぷしながら何とか尖塔のてっぺんにたどり着きました。
トームペア城とアレクサンドル・ネフスキー聖堂です。トームペア城の塔にはエストニアの国旗がひるがえっています。
タリン旧市街からフェリーターミナル。観光都市タリンの面目躍如、という感じでしょうか。
フェリーの向こうに見えるのは、タリンのテレビ塔です。
真ん中に見える楕円状の建物がある辺りが「歌の原」です。
ここは第二次大戦後に建設された野外ステージなのですが、ソヴィエト支配末期にはエストニアやバルト三国の独立運動を象徴する場所になりました。
特に1988年には、この歌の原に30万人ともいわれるエストニア人が集結、禁止されていたエストニア民謡を合唱するという出来事もあったのです。
後にエストニアをはじめとするバルト三国が再独立を勝ち取ったのはご存知の通り。バルト三国の再独立は、この出来事から「歌う革命」とも呼ばれるようになりました。
という歴史をひも解いてみるとふと思ったのですが、ソ連の侵攻や独ソ戦など、タリンは20世紀にたび重なる戦禍を被っているはずです。
なのに、旧市街がまとまった形で残っていたのは、よくよく考えてみると不思議なことです。他のヨーロッパの街では完全に破壊されたところもありますし。
ガイドさんに片言の英語で尋ねてみたのですが、怪訝そうな顔をして「この辺は戦場にならなかったんじゃないかしら」という答えが返ってきたのみでした。うーん、そうなのかなぁ……
ともあれ、大聖堂からの眺めを堪能した後、再び下町へと戻ることにしたのでした。
タリン旧市街の山の手と下町との間には、「長い足」「短い足」という2つの坂道があります。私たちが通ったのは「長い足」の方でした。
坂の途中で絵描きさんが絵を売っていました。売れているのかなぁと、ちょっと疑問を感じました。
坂を下りきったところから1枚。
ラエコヤ広場に戻ってみると、先ほど見た列車が止まっていました。しかも、「トーマス」だそうです。スペルは違いますが(笑)
乗ってみようかという気もしたのですが、残りの日程と時間を考えると、そこまですることもないかと思ったので、パスすることにしました。
と思ったら、今度はさらに変わった乗り物を発見。バーなんですがペダルがついていて、全員で漕いで動かすというシロモノです。真ん中のバーテンさんがハンドルを握って進路を決めています。
お客さんはみんなものすごいテンションで楽しそう。運動しているので酔いが回るんでしょう。日本でもできないかなぁと一瞬思ったんですが、よくよく考えたら飲酒運転になりますね[;;0J0]
ただ、お酒より何より食事です。歩き回って、さすがにお腹が減ってます。ラエコヤ広場のオープンカフェでお昼ご飯にしました。
腹ごしらえもできたところで再出発。まず訪れたのはニコラス聖堂です。
聖ニコラスは船乗りの守護聖人。ここには15世紀の芸術家バーント・ノトケの手による絵画「死の舞踏」が展示されています。
「死の舞踏」は、王侯貴族から聖職者、庶民に至るあらゆる階層の人々が、骸骨の姿で擬人化された「死」に魅入られ、その恐怖に正気を失い踊り狂うという題材の絵画で、中世末期には多く描かれたといいます。
ノトケの「死の舞踏」現存するものはこの教会にある1点のみという貴重な作品です。「死」に囲まれ、恐怖に顔を歪めながら踊り狂う人々の足元には、死の不可避さをうたう詩が記されています。
ただ、残念ながら撮影はできなかったので、関心のある方は他の資料(例えば英語版Wikipediaの画像)か、現地でご覧になってください[;;0J0]
このほか、ニコラス聖堂には昔からの写真がいくつも展示されていたのですが、中には過去の戦災や火災の被害、そこからの再建の様子を記録した写真もありました。
人間はとにかく、聖堂自体は死から再生を果たした、ということにはなるでしょうか。
続いて訪れたのは、ラエコヤ広場近くにある聖霊教会。14世紀に記録の残る由緒ある教会です。
入っていきなり驚いたのが、デンマークの国旗。なんでこんなところに、と思ったのですが、そもそもタリンを開いて14世紀半ばまで支配していたのがデンマーク人なんで、変な話ではないんですよね。
教会内部。今まで見てきた教会からすると、天井がかなり低い印象です。
祭壇はそれなりに賑やかです。自分のイメージするカトリックの教会の系統です。ただ、豪華絢爛というのとは、ちょっと違う感じがします。
教会なので当然オルガンもあります。これも大人しめかな?
ステンドグラスにはキリストの生涯が描かれています。いくつも教会を見ていると、だんだんパターンが分かってきたような気もします(笑)
聖霊教会から北東に歩きます。こちらはブラックヘッド・ギルド会館。14世紀末以来の歴史があります。
ちなみに「ブラックヘッド・ギルド」というのは、かつて独身の商人と船主が加入することになっていたギルドですが、史料に乏しく詳しいことは分かっていないようです。
また「頭が黒い」という名前は、黒人の殉教者聖モーリシャスに由来すると言われています。こちらが玄関にあったレリーフですが、そういうわけで黒人の横顔が描かれているようです。
こちらもギルドの紋章。中央の人物が、先ほどのものと一緒ですね。
ここからさらに北に歩いて、タリン旧市街の見ものの1つ、聖オレフ教会に向かいます。