先日来注目された駒大苫小牧問題ですが、昨日の高野連の決定により、同校の優勝は取り消されないことになったようです。詳細についてはこちらの記事(朝日新聞)をご参照ください。
私自身は今回の不祥事で駒苫ナインの栄誉が否定されるいわれなど全くないと思っていました。それだけに、あるべき決定が出た今はほっと胸をなでおろしています。
ですが、今回の決定やそれに対する反応については引っ掛かる部分がないではありません。今後のことを考える上でもそれらを無視するのはどうかと思いますので、ここであえて指摘しておきたいと思います。
【高野連「暴力のない高校野球を目指して」の危うさ】
今回の事件を受けて、高野連は脇村会長の名前で全国の高校に緊急通達を出しています(全文はこちらの記事(朝日)で公開されています)。
私も先ほどこの通達の全文を読みましたが、内容についてはまさに「正論」という印象を受けました。
ですが、反対のできない「正論」ほど怖いものはありません。この通達の内容が間違っているとは思わないのですが、得てしてこういう「正論」は内容より言葉のみが独り歩きする危険があります。
下の事件などは、その危険が表面化した最たる例ではないでしょうか。
「岡山城東の山崎監督、コーチ辞任=部員への暴力理由に-アジアAAA選手権」
(時事通信・8月28日0時31分更新)
記事を読む限りここで明るみになった「暴力」は何らかの被害をもたらしたわけではありません。
もし生徒にケガを負わせたり、精神的な苦痛を与えたのなら辞任は仕方ないでしょう。いくらなんでもこれで辞任に追い込まれるのは行き過ぎと思わざるを得ません。処罰の必要があるとして、譴責や戒告のようなもので済ませられたはずです。
暴力追放は大事なことです。ですが、暴力がなくなりさえすればいいというものではないでしょう。
何でもいいから暴力は取り締まれとなれば、暴力のうちにも入らないような振る舞いが密告の対象となり、誰もがそれに怯えなければならない、いわば恐怖社会に近い高校野球が出現しかねません。それは別の「暴力」が支配する高校野球です。
結局のところ、監督による指導であれ高野連の通達であれ、限度を考えないと醜い結果に陥るということを認識することが大事なのでしょうね。
【被害生徒の父親も野球部員に謝罪すべきではないのか?】
今回高野連が駒大苫小牧に対して出した措置については賛否両論あることでしょう。私自身はすでに述べたように賛成なのですが、今回の措置が甘いと感じる方もいらっしゃるでしょうし、当然ながらそれはそれで自由であると思っています。
ですが、それでも「アンタが偉そうに言うな」と思ってしまう相手もいるわけでして……というのは、先ほど読んだこの記事に以下のような部分があったのです。
(゜Д゜)ハァ?
「寛大な措置」といいますが、ひょっとしてこの方は本来優勝旗を返還すべきところを、高野連が温情で許してくれたとでもおっしゃりたいのでしょうか?
あるいはこれも高野連への社交辞令なのかも知れませんが、それにしてもこんな他人事のような、ある種評論めいたことを言う前に、この父親は言うべきことがあるはずです。
今回の問題は生徒が暴力を受けて負傷したこと、そしてそのことに関して学校側から不誠実な対応を受けたことがそもそもの発端です。その意味では、この父親が被害者である生徒のために動くのは間違ったことではありません。
「子どもが殴られたぐらいでガタガタ抜かすな(-_-メ)」という意見もあるでしょうが、それに対しては「どつくにも程がありまんがな」というのが答えになると思います。
ただ体罰云々の話は別として、この父親が責められるべきは対応を決定的に誤ったことです。学校側の姿勢に怒り心頭になったのでしょうが、弁護士を立てたり高野連に相談したりするならまだしも、週刊誌を使うという最悪の選択をとってしまったことです。
その結果、一生徒の問題を日本中が注目するスキャンダルに発展させてし、何の責任もない野球部員たちに無用な不安を与ええつぃまったのです。
父親本人にとってこのような事態になったのは本意ではないでしょう。しかし、ここまで事態が深刻化した決定的な原因はマスコミが動いたことです。そうである以上、この父親には野球部員に不安を与えたことに対して一定の責任があるはずです。
したがって、彼は上で述べたような偉そうなことを言う前に、野球部員に対して無用にことを荒立て、彼らの心を傷つけたことを謝罪すべきではないでしょうか。
私は被害生徒やその父親に対するバッシングに組するつもりなど毛頭ありません。ですが、被害者だからといってこの父親の行動をすべて正当化する気もありません。罪のない野球部員にとって、彼は加害者としか映らないでしょうから。
ちなみに、被害生徒の父親に対してはKIDさんの記事が見事に的を射た批判を行っていますので、ご参考にどうぞ。
私自身は今回の不祥事で駒苫ナインの栄誉が否定されるいわれなど全くないと思っていました。それだけに、あるべき決定が出た今はほっと胸をなでおろしています。
ですが、今回の決定やそれに対する反応については引っ掛かる部分がないではありません。今後のことを考える上でもそれらを無視するのはどうかと思いますので、ここであえて指摘しておきたいと思います。
【高野連「暴力のない高校野球を目指して」の危うさ】
今回の事件を受けて、高野連は脇村会長の名前で全国の高校に緊急通達を出しています(全文はこちらの記事(朝日)で公開されています)。
私も先ほどこの通達の全文を読みましたが、内容についてはまさに「正論」という印象を受けました。
ですが、反対のできない「正論」ほど怖いものはありません。この通達の内容が間違っているとは思わないのですが、得てしてこういう「正論」は内容より言葉のみが独り歩きする危険があります。
下の事件などは、その危険が表面化した最たる例ではないでしょうか。
「岡山城東の山崎監督、コーチ辞任=部員への暴力理由に-アジアAAA選手権」
(時事通信・8月28日0時31分更新)
記事を読む限りここで明るみになった「暴力」は何らかの被害をもたらしたわけではありません。
もし生徒にケガを負わせたり、精神的な苦痛を与えたのなら辞任は仕方ないでしょう。いくらなんでもこれで辞任に追い込まれるのは行き過ぎと思わざるを得ません。処罰の必要があるとして、譴責や戒告のようなもので済ませられたはずです。
暴力追放は大事なことです。ですが、暴力がなくなりさえすればいいというものではないでしょう。
何でもいいから暴力は取り締まれとなれば、暴力のうちにも入らないような振る舞いが密告の対象となり、誰もがそれに怯えなければならない、いわば恐怖社会に近い高校野球が出現しかねません。それは別の「暴力」が支配する高校野球です。
結局のところ、監督による指導であれ高野連の通達であれ、限度を考えないと醜い結果に陥るということを認識することが大事なのでしょうね。
【被害生徒の父親も野球部員に謝罪すべきではないのか?】
今回高野連が駒大苫小牧に対して出した措置については賛否両論あることでしょう。私自身はすでに述べたように賛成なのですが、今回の措置が甘いと感じる方もいらっしゃるでしょうし、当然ながらそれはそれで自由であると思っています。
ですが、それでも「アンタが偉そうに言うな」と思ってしまう相手もいるわけでして……というのは、先ほど読んだこの記事に以下のような部分があったのです。
暴力を受けた野球部員の父親は27日、「日本高野連の寛大な措置にうれしく思っています。汗まみれになってとった大優勝旗が1年間預かれることになって本当によかった」と語った。(朝日新聞・8月28日01時28分更新記事より抜粋)
(゜Д゜)ハァ?
「寛大な措置」といいますが、ひょっとしてこの方は本来優勝旗を返還すべきところを、高野連が温情で許してくれたとでもおっしゃりたいのでしょうか?
あるいはこれも高野連への社交辞令なのかも知れませんが、それにしてもこんな他人事のような、ある種評論めいたことを言う前に、この父親は言うべきことがあるはずです。
今回の問題は生徒が暴力を受けて負傷したこと、そしてそのことに関して学校側から不誠実な対応を受けたことがそもそもの発端です。その意味では、この父親が被害者である生徒のために動くのは間違ったことではありません。
「子どもが殴られたぐらいでガタガタ抜かすな(-_-メ)」という意見もあるでしょうが、それに対しては「どつくにも程がありまんがな」というのが答えになると思います。
ただ体罰云々の話は別として、この父親が責められるべきは対応を決定的に誤ったことです。学校側の姿勢に怒り心頭になったのでしょうが、弁護士を立てたり高野連に相談したりするならまだしも、週刊誌を使うという最悪の選択をとってしまったことです。
その結果、一生徒の問題を日本中が注目するスキャンダルに発展させてし、何の責任もない野球部員たちに無用な不安を与ええつぃまったのです。
父親本人にとってこのような事態になったのは本意ではないでしょう。しかし、ここまで事態が深刻化した決定的な原因はマスコミが動いたことです。そうである以上、この父親には野球部員に不安を与えたことに対して一定の責任があるはずです。
したがって、彼は上で述べたような偉そうなことを言う前に、野球部員に対して無用にことを荒立て、彼らの心を傷つけたことを謝罪すべきではないでしょうか。
私は被害生徒やその父親に対するバッシングに組するつもりなど毛頭ありません。ですが、被害者だからといってこの父親の行動をすべて正当化する気もありません。罪のない野球部員にとって、彼は加害者としか映らないでしょうから。
ちなみに、被害生徒の父親に対してはKIDさんの記事が見事に的を射た批判を行っていますので、ご参考にどうぞ。
毎日、朝日に支配されている高校野球なんて
‥‥
ただ、高野連が通達1つで事足れりと考えている限り、この種の問題や密告は後を絶たないと思います。
こどもに中傷したりネットで本名晒して誹謗したりする事も肯定される世の中って…怖いですね。
残された課題は,とても重要なものですね。
正直,見落としていました。
それはおそらく,自分の中での主たる感心が,結局は,高野連の処分(とくに優勝の取扱と春季大会の取扱)にあったからかも知れません。OKが出たからホッとした,というのが正直なところでした。ここで思考停止したのが原因です。
もちろん,被害者の父親の一連の行動にはハナから疑問を持っていたので,今回のご意見,とても共感しております。
大事なことは,今後このような現代的な課題に高野連がどう真摯に取り組んでいくか,ということですね。
高野連の下した判断は,良きにつけ悪しきにつけ,高校野球関係者にとって重要な行動基準(判断材料)になるわけですから。その自覚を高野連には持ってもらいたい。
また,球児の保護者も,わが子を過度に保護することばかりでなく,全体の中の自分の位置づけと役割を自覚して,教育という視点から,高校球児をバックアップしていただきたい。
なお高校球児(学生)も,周りの喧騒に振り回されない強い心を(社会の荒波を生き抜く「人」としての知恵と見識を),部活や授業などの学生生活(=勉強)を通じて,身につけてもらいたい。勉強は本来,一期一会の「出会い」を活かしあうためにするのではないでしょうか(遥か昔の自分と今の私に対する自戒を込めて)。
ともかく,高野連と保護者には,「教育」という視点を常日頃から自覚して頂き,真に学生が有意義な学生生活をおくれるよう,将来を見据えた誠実な教育態度とポリシーを示して欲しいものです。
ただ気になるのは、彼の父親は下手に事を荒立てたら世間の袋叩きに遭うことぐらい分からなかったのかということですね。
むろん叩く方が悪いに決まっているのですが、むざむざ叩かれに行くのもどうかという気もします。
ただ、その後出てきた動きの中には納得行かないものもあったので、一件落着ムードに水を差すようですが、あえて問題視してみた次第です。
>高野連
通達で「暴力はいけない」というのは結構なことですが、いけないと言うだけで済むなら楽な話ですよね。
そうである以上、高野連は暴力反対のお題目を唱えるだけではなく、もし暴力事件が起きた時に高校側がどう対応すべきかなど、実際的な話まで伝えるべきでしょう。
>高校球児(学生)
これも同感ですね。ただ駒苫ナインは今回の事件を通じ、周囲に左右されない意志を育めたのではないかと思います。彼らの今後の活躍を期待したいですね。
一番早くダメージを与えられる、かつ自分がヒーローとして祭り上げられるという点で、マスコミにリークという手を使ったのでしょうが、そこに自分の息子の心理的ダメージまで計算されていたかどうか。
その点で、マスコミ(週刊誌なのでやや異質かもしれませんが)の良心に期待というのは、難しいのでしょうかね…
相手側にダメージを与えるという意味では、確かにマスコミを使うのは手っ取り早いですよね。
ただ子どもへの影響を見落としていたとしたら、親としては非常に軽率といわれても仕方ないと思います。
しかも、特にゴシップ誌を使ったというのはフォローのしようがありませんね。メディアサイドは面白おかしく書き立ててナンボでしょうから、この辺は期待すべくもないでしょうし……
そして、それは確かに「正論」だなって思っています。
でも、
今の私は、あえて逆の事を言わないとイケナイって
思っています。
つまり
「この件を表沙汰にした事で親を責めるのは
逆に日本の社会を悪くしないか?」
って事です。
詳しくは、ちゃんとした記事を書こうと思っていますが
「表沙汰にする」事で責められるってのは
どう考えても「健全な社会」じゃないって思うんです。
(「表沙汰にする」って事で責められる社会だからこそ
内部告発とかが、殆ど行われないんだろうって思いますし。)
記事では被害生徒の父親の批判に偏ってしまいましたが、不祥事を表沙汰にすることまで否定するのはおかしい、というご意見には私も賛成です。
実際こういう内部告発が出た時には得てして世論は告発者叩きに走るわけで(紳助の暴力沙汰など最たる例では?)、それを是認してしまうのは密告を横行させるのに劣らず恐ろしいですからね。
ただ、だからこそこの父親には対応をしっかり考えてほしかったという気はします。
そもそも彼の失態はマスコミを焚きつけたことにあるわけで、記事にも書きましたが弁護士を立てるなり高野連に行くなり、あるいは学校法人の上層部に直談判するなりの方法があったはずです。
彼個人が痛い目に遭うならまだしも、子どもがいるわけですからね。