昨日の報道で西宮球場(阪急西宮スタジアム)の取り壊し工事が始まったことを知りました。
すでに閉鎖と取り壊しが決まっていたので、いつか必ずこの時が来るのは分かっていました。
ただ、今まで西宮北口駅を通り過ぎるたびにその雄姿を見て、「ひょっとしたらこのまま…」という儚い希望をどうしても捨てられなかったので、やはりショックを受けたのは事実です。
それで居ても立ってももいられず、仕事前に西宮球場に寄り道して、写真に収めてきました。
ただ、複数の画像を貼る方法が分かりません…どなたか詳しい方、お教えくださいm(__)m
と、思っていたら!
先ほどマンガウルフさんから貼り付け方法を教えていただきましたので(ありがとうございます!)、早速残りの写真も公開しました。
当然中には入れないので、外からの写真ばかりですが、まずはご覧ください。
これが球場正面のロゴ。「阪神甲子園球場」は貫禄があるけど、こちらはシュッとまとまって、スタイリッシュ。
入場券売場跡です。
行事案内板。行事予定は、当然ない。横に貼ってたタカラヅカのポスターも、いつのなんだか…
外野席入口です。「ご来場ありがとうございます」というのが何か寂しい…
少し左に回って、バックネット側入場口。このそびえたつ感じ、好きだなぁ~。
6号門上のロゴ。微妙に字体が違います。
さらに回って、競輪のバンクを運び込んだ搬入口跡から、内野スタンドを撮ってみました。
バックスクリーン跡。あのオーロラビジョンはもうありませんが、時計は今でもしっかりと時を刻んでいました。
球場敷地南側の外壁。テニスの絵があるのは、球場隣に大きなテニスコートがあったから。小さい頃親父に連れて行ってもらったものです。
球場南隣、荒れ放題の西宮球技場跡。アメフトのグラウンドとして使われていたので、アメフト好きの方には辛い写真かもしれませんが…
さて、球場の話に戻りましょう。西宮球場は1937年に完成した、日本有数の歴史ある球場です。
ただその歴史は、親会社の阪神急行電鉄(現阪急電鉄)が阪神電気鉄道と常に張り合ってきたのと同様、甲子園球場と対照的なものでした。
甲子園球場がヤンキースタジアムを参考にしたのに対し、西宮球場はリグレー・フィールドにならった二層式球場。
また甲子園は野球の聖地として全国に名を轟かせるのに対し、西宮球場は地味ながらも、野球以外のスポーツやエンターテインメントの本場でした。
試合のない日にバンクを組み、競輪場として使っていたのをご存知の方も多いでしょう。
あるいはアメリカンフットボールをなさっていた方なら、西宮球場という響きには特別の思いを感じる方も多いのではないでしょうか。
そのほか、ある時はフリマ、夏には西宮市民祭りなど、イベントでの活用度は甲子園など足元にも及ばないものがありました。
ただ私にとっての西宮球場は、何より吹奏楽のメッカ、マーチングバンドの祭典「3000人の吹奏楽」の会場なのです。
ここからはプチ自慢モードなので、読みたくない方は飛ばしてください…
実は私、中3の時に「3000人の吹奏楽」で、西宮球場のグラウンドに立ったことがあります。
西宮の中学合同バンドでマーチングに参加し、3000人合同演奏にも加わったんですね、ええ。
当時西宮の公立中学は殴る蹴るで演奏レベルを維持させるというのが一般的で、私も理由なく他校の教師にどつかれそうになりながら練習していました。
ですが、球場そのものには何の悪印象もありません。むしろ、リハなどの合間に球場内を見て回り、優勝したときの写真パネルなどを見たことを、今でも懐かしく覚えています。
長くなるといけないのでプチ自慢終わり(^^;)
西宮球場が消え去るということは、単に野球場がなくなることだけではなくて、関西、特に阪神間の文化を担ってきた「阪急の文化」が消えることを意味するような気がしてなりません。
思えば阪急ブレーブス消滅に始まり、ファミリーランドも閉園され、「阪急」の象徴は次々と記憶の彼方に消えていきました。
かつて、「阪急」が高級感の象徴だった時代がありました。特に、私のように阪神沿線に住む者にとって、「阪急沿線」、特に神戸線沿線は、自分には手の届かない世界のように思えたものです。
そのせいか、高校時代に気になる女の子は、どういうわけか阪急神戸線で通学していました(これは私だけじゃないはずだ!阪神沿線で育った男子諸君、正直に言ってみよう!)。
ですが…JRの攻勢に音を上げたのか、バブルと震災の痛手のせいか、阪急はかつてのブランドイメージをかなぐり捨てているようにしか思えません。
近年の消費者金融業参入は、その際たるもののように思えます(別に消費者金融そのものをどうこう言うつもりはないですけどね。ただ、20年前の阪急なら絶対手を出さなかったと思う)。
あるいは、電車一つ見ても、昔のようなスタイリッシュなものはどんどん淘汰され、無駄にメタリックの目立つ、ゴテゴテしたのが目立ってなりません。
確かに、時代は変わるものです。それに、阪急とて企業として生き残らなければなりません。不採算事業からは撤退し、収益性の高い事業を手がけていく必要があるのは当然です。
ですが…どうしても思ってしまうことがあります。
西宮球場の跡には阪急百貨店をはじめ商業施設がオープンすると聞いています。それが悪いと言うのではありません。
ですが、そうしてできる施設が、かつてのスタジアムのように、子どもたちをはじめ、足を運ぶ人々に、夢や感動を与えることができますか?
「阪急」という企業に、憧れを抱いてもらうような施設ができますか?
阪急沿線に住む人々に、「阪急」の誇りと愛着を変わらず与えられますか?
西宮球場がそんなところに生まれ変わって、「阪急」がかつての輝きをとりもどすまで…
さよなら、「阪急」。
そして、ありがとう、西宮球場。本当に、本当に、ありがとう…
すでに閉鎖と取り壊しが決まっていたので、いつか必ずこの時が来るのは分かっていました。
ただ、今まで西宮北口駅を通り過ぎるたびにその雄姿を見て、「ひょっとしたらこのまま…」という儚い希望をどうしても捨てられなかったので、やはりショックを受けたのは事実です。
それで居ても立ってももいられず、仕事前に西宮球場に寄り道して、写真に収めてきました。
ただ、複数の画像を貼る方法が分かりません…どなたか詳しい方、お教えくださいm(__)m
と、思っていたら!
先ほどマンガウルフさんから貼り付け方法を教えていただきましたので(ありがとうございます!)、早速残りの写真も公開しました。
当然中には入れないので、外からの写真ばかりですが、まずはご覧ください。
これが球場正面のロゴ。「阪神甲子園球場」は貫禄があるけど、こちらはシュッとまとまって、スタイリッシュ。
入場券売場跡です。
行事案内板。行事予定は、当然ない。横に貼ってたタカラヅカのポスターも、いつのなんだか…
外野席入口です。「ご来場ありがとうございます」というのが何か寂しい…
少し左に回って、バックネット側入場口。このそびえたつ感じ、好きだなぁ~。
6号門上のロゴ。微妙に字体が違います。
さらに回って、競輪のバンクを運び込んだ搬入口跡から、内野スタンドを撮ってみました。
バックスクリーン跡。あのオーロラビジョンはもうありませんが、時計は今でもしっかりと時を刻んでいました。
球場敷地南側の外壁。テニスの絵があるのは、球場隣に大きなテニスコートがあったから。小さい頃親父に連れて行ってもらったものです。
球場南隣、荒れ放題の西宮球技場跡。アメフトのグラウンドとして使われていたので、アメフト好きの方には辛い写真かもしれませんが…
さて、球場の話に戻りましょう。西宮球場は1937年に完成した、日本有数の歴史ある球場です。
ただその歴史は、親会社の阪神急行電鉄(現阪急電鉄)が阪神電気鉄道と常に張り合ってきたのと同様、甲子園球場と対照的なものでした。
甲子園球場がヤンキースタジアムを参考にしたのに対し、西宮球場はリグレー・フィールドにならった二層式球場。
また甲子園は野球の聖地として全国に名を轟かせるのに対し、西宮球場は地味ながらも、野球以外のスポーツやエンターテインメントの本場でした。
試合のない日にバンクを組み、競輪場として使っていたのをご存知の方も多いでしょう。
あるいはアメリカンフットボールをなさっていた方なら、西宮球場という響きには特別の思いを感じる方も多いのではないでしょうか。
そのほか、ある時はフリマ、夏には西宮市民祭りなど、イベントでの活用度は甲子園など足元にも及ばないものがありました。
ただ私にとっての西宮球場は、何より吹奏楽のメッカ、マーチングバンドの祭典「3000人の吹奏楽」の会場なのです。
ここからはプチ自慢モードなので、読みたくない方は飛ばしてください…
実は私、中3の時に「3000人の吹奏楽」で、西宮球場のグラウンドに立ったことがあります。
西宮の中学合同バンドでマーチングに参加し、3000人合同演奏にも加わったんですね、ええ。
当時西宮の公立中学は殴る蹴るで演奏レベルを維持させるというのが一般的で、私も理由なく他校の教師にどつかれそうになりながら練習していました。
ですが、球場そのものには何の悪印象もありません。むしろ、リハなどの合間に球場内を見て回り、優勝したときの写真パネルなどを見たことを、今でも懐かしく覚えています。
長くなるといけないのでプチ自慢終わり(^^;)
西宮球場が消え去るということは、単に野球場がなくなることだけではなくて、関西、特に阪神間の文化を担ってきた「阪急の文化」が消えることを意味するような気がしてなりません。
思えば阪急ブレーブス消滅に始まり、ファミリーランドも閉園され、「阪急」の象徴は次々と記憶の彼方に消えていきました。
かつて、「阪急」が高級感の象徴だった時代がありました。特に、私のように阪神沿線に住む者にとって、「阪急沿線」、特に神戸線沿線は、自分には手の届かない世界のように思えたものです。
そのせいか、高校時代に気になる女の子は、どういうわけか阪急神戸線で通学していました(これは私だけじゃないはずだ!阪神沿線で育った男子諸君、正直に言ってみよう!)。
ですが…JRの攻勢に音を上げたのか、バブルと震災の痛手のせいか、阪急はかつてのブランドイメージをかなぐり捨てているようにしか思えません。
近年の消費者金融業参入は、その際たるもののように思えます(別に消費者金融そのものをどうこう言うつもりはないですけどね。ただ、20年前の阪急なら絶対手を出さなかったと思う)。
あるいは、電車一つ見ても、昔のようなスタイリッシュなものはどんどん淘汰され、無駄にメタリックの目立つ、ゴテゴテしたのが目立ってなりません。
確かに、時代は変わるものです。それに、阪急とて企業として生き残らなければなりません。不採算事業からは撤退し、収益性の高い事業を手がけていく必要があるのは当然です。
ですが…どうしても思ってしまうことがあります。
西宮球場の跡には阪急百貨店をはじめ商業施設がオープンすると聞いています。それが悪いと言うのではありません。
ですが、そうしてできる施設が、かつてのスタジアムのように、子どもたちをはじめ、足を運ぶ人々に、夢や感動を与えることができますか?
「阪急」という企業に、憧れを抱いてもらうような施設ができますか?
阪急沿線に住む人々に、「阪急」の誇りと愛着を変わらず与えられますか?
西宮球場がそんなところに生まれ変わって、「阪急」がかつての輝きをとりもどすまで…
さよなら、「阪急」。
そして、ありがとう、西宮球場。本当に、本当に、ありがとう…
私は以前、阪急神戸沿線に住んでいましたが、西宮球場には「競輪」というイメージが強いです。
「阪急ブレーブス」名前は知っていましたが、見に行ったことはなかったのです。
というわけで足を運んだ記憶はないのですが、駅前に用事があったとき、その姿を見、日祝日には何らかの催しがあることを意識し、とくに月に一度のフリマには「いつか行きたい」と思いつつ…もう、なくなってしまうのですね。
学生時代、震災で同駅手前で落ちた高架を横目に通学し、球場周辺が崩壊してしまった様は今でもくっきり目に焼きついています。
あれから9年、駅周辺もすっかり様変わりしてしまい
今はどこに何があるのやら…。
私は今でも阪急女で、住まいも職場も阪急沿線。阪急文化圏からほとんど出ることがありません。あの愛すべき「あずき色」は(以下長くなるので省略。
ただ確かに、最近の阪急電鉄の駅前開発については、何とも言えないものがありますね。
「文化の違い」って存在するのでしょうか?
阪神電車は甲子園に行く時以外は利用しませんが、どちらがどう、という意識をしたことはありません。
ただ覚えているのは、震災の時に、不幸にして阪急より南方向にあった、阪神沿線の被害が多かったことだけです。
最後に、夢見る阪神沿線男君に一言。
阪急神戸線で通学している女子学生って大したことないよ…
orz←サンプルとしては不適格
僕は大阪出身なので日生球場がなくなったときが感慨深かったです。
藤井寺も閉鎖らしいですね。
古き良き想い出の場所がなくなっていくのは寂しいです。
さて、画像を記事中に張る方法ですが…
1.画像フォルダを開くとサムネイルとして6枚ずつ画像が表示されますね
2.で、その画像自体をクリックしてみてください。
新しいウインドウが開き、画像のみがチョコンと表示されますね。
3.そのウインドウのアドレスをコピーします。
4.で、いつもの記事投稿画面にいってください。
右上の方に「URL」「IMG」というボタンがありますね。「URL」は、記事中にリンクを張りたいときに使います。
で、今回は画像なので「IMG」(イメージってことです)をクリックしてください。
5.「画像のURLを入力してください」とでます。
そこに、さきほどコピーしておいたアドレスを入れます。
6.「OK」をクリックすると、「リンク先うんぬん…」とでます。
もし、“画像をクリックすると他のページに飛ぶ”といった使い方をしたい場合は、ここに飛びたいページのアドレスを入れればよいのですが、画像を表示させたいだけの場合は、空白にしてから「ok」をクリックしてください。
7.すると記事中に変な文字列がでますね。これが「タグ」とよばれるものです。プレビュー画面をチェックして、画像が記事中に挿入されているか確認すればそれでOKです。
もしわからなければ、またごえんりょなく。
僕も西宮の写真がみたいので(笑)!
街の様子は普通なら徐々に変わっていって、それでもその変わる速度に追いつけなくて郷愁に浸ってしまうのに…
あの震災で、思い出の詰まった街が崩れ去ってしまって、自分の過去までもが突然断ち切られたような思いは、今もずっとあります。
私は西宮球場に通っていたわけではないですが、そんなせいか、球場がなくなると懐かしい西宮北口の最後の象徴が消えるようで、寂しくてなりません…
ちなみに、阪神文化と阪急文化の違いはやはりあると思いますよ。今は昔より人口移動が増えて、だいぶ違いが薄くなったようですが。
以前テレビ番組で大学生くらいの女の子が言ってましたが、阪神電車はジャージで乗れても、阪急電車はちゃんとメイクしないと乗れないとか(笑)。
あるいは、阪神百貨店では地下1階の食料品売場と立ち食い(!)のスナックパークに行って、阪急百貨店では高級な服を買うとか(苦笑)。
言い出せばキリがありませんが、やはり下町対山の手という違いは残っていると思います。
関係ないですが、個人的には阪神百貨店B1のイカ焼きが大好きです(笑)
御大本人も話が出るたび自慢げに見えますが(笑)。
これまで日生が消え、大阪が消え、今西宮が消え、藤井寺もなくなるんですね…
藤井寺といえば1989年の近鉄優勝でしょうか。
その前年に10.19のあの悔しい思いがあっただけに、選手もファンも喜びを爆発させていたのを今でも覚えています。
ただ、あの時グラウンドに真っ先に下りた中に阪神ファンが結構混ざっていたように思うのですが…
記憶違いでしょうかね?
西宮壊し始めましたか・・・。学生時代は、アメフトに夢中であった自分としては「西宮ボウル」が忘れられません。結局、自分があの地に立つ事はありませんでしたが数々の名勝負が生まれた場所として忘れられません。関学が優勝した時とかね・・・。
初めて野球を見に行ったのは後楽園の日ハム対阪急ブレ。当時日ハムファンであった自分には憎き対戦相手でした(笑)。川崎に続いて、いい球場が失われ客の入らないドームが増える昨今悲しい限りです。
実家が阪急京都線沿線で、親の実家が阪急神戸線沿線ということで、
阪急には縁があったものの、残念ながら西宮球場には行く機会がなかったんです。
でも、西宮北口の十字に直交していた線路と、垣間見える球場といえば、
何だか懐かしい気分になります。
それだけに、取り壊しは寂しいですね。
そう言えば7月頃、若手アイドルがFMラジオ番組で、
「プロ野球速報で『中・巨・ヤ・広・横』はわかるけど、何で阪神だけ『神』なんだかわかんねぇ!」
とか激しく言ってましたっけ(嘆)
世の中、そんなものかもしれません・・・
自分は京都ですが「この世でいちばんかっこええんは阪急電車やっ」と思って育ちました。
もちろん「この世でいちばんオサレな人は阪急沿線の人」で、「オサレを目指す人は阪急百貨店で買いもん」ですた、ええと、四条河原町の高島屋は、まあ、考えへんことにして(笑)
(ただし大阪西川の高級ふとんを買うときだけは、なぜか四条河原町大丸の外商がステイタス高い。なんでや?)
言うまでもなく「この世でいちばんかっこええ球団は阪急やっ」と本気で思うてました、ちゅうより、いまもそうとしか思われへんですねえ。
ええと、福本サンは、ちびっ子のころは「この世でいちばんハンサムやっ」ですたが、いつのまにか自分のなかでは、お笑い系に移籍しますた(笑)
でも、「ハンサム」でした、「男前」ではなく。
なにか突出してハイカラなイメージがありました、阪急ブレーブスには、あるいはあらゆる「阪急文化」には。
西宮は遠かったので、もっぱら阪急戦は西京極でしたが、こうして写真を掲載していただけると、すごい「あのころの阪急らしさ」がよみがえります。
ホンマ撮影してくれはってありがとうございます。
藤井寺も廃止なんですね…
世の中には、近鉄命名権売却に始まった、いまだかつてない球界の激動のことを、「長嶋さんが倒れたことに象徴されているように感じる」という向きが多いようですが、個人的には、ずっと鈴木貴文コーチの逝去が影を落としているように思えてなりません。
藤井寺のバッターボックスの土と一緒に、永遠の眠りにつかれたんですよね…
夏だと言うのに、すこし物悲しいですね。
歴史を感じさせるロゴが、ほんとうに寂しいです。
ちなみに僕の下の名前は「高志」というのですが、ぼくがうまれた年に新人王をとった「山口高志」(現阪神2軍コーチ)から由来しています。ぼくと同じ出身大学、ぼくの数回目の誕生日に引退と、すくなからず彼には因縁を感じますし、オリックスファンだったこともある僕としてはGS神戸の方に愛着があるといえども、西宮は子どもの頃よくテレビでみていたなという記憶も新鮮で…
やはりさみしいですね。
はじめまして。
関西でアメフトといえば、やはり西宮スタジアムですよね。
そう思うと、いまアメフトに打ち込んでいる学生たちにとって、西宮に代わる「聖地」といえる場所ができるのかどうか、心配でなりません。
そうそう、川崎の話が出たので思い出しましたが、最近になって川崎球場の人工芝が張り替えられ、アメフト専用ラインが埋め込まれたそうです。
今はアサヒビール・シルバースターが主に利用しているのだそうです。
プロ野球の球場としての使命は終えましたが、川崎には関東アメフト界の聖地に生まれ変わってほしいです。
【kuniさん】
今の西宮北口は、神戸線今津線のダイヤモンドクロスがあった頃からすると、信じられないほどの変わりようです。
なにせ、10年前の名残すら震災であらかた消し去られた街ですからね…
>そう言えば7月頃、若手アイドルがFMラジオ番組で、
「プロ野球速報で『中・巨・ヤ・広・横』はわかるけど、何で阪神だけ『神』なんだかわかんねぇ!」
とか激しく言ってましたっけ(嘆)
これは問題ですね。10000歩譲って今はなきブレーブスのことを考えないとして、「阪」って書いたら大「阪」バファローズはどないなるねん(怒
【RROSEさん】
やっぱり「阪急」は電車から何から格好よかったですよね。特に某マラソン電車よりははるかに(苦笑)
そして、ブレーブスも…あまたの勇士たちのことを語りだすとキリがないのですが、特に私の中では、ブーマーが一番印象に残っています。
何せ、物心ついてはじめて覚えた外国人の名前が「ブーマー・ウェルズ」なので(笑)
それにしても西京極…来年こそ公式戦がありますようにorz
…と言いたい所ですが、駅から近いから寄りはするものの、オサレな人が多すぎて、店員さんもキレイで洗練されすぎているため、気後れしてゆっくり買い物ができないんです(オサレ失格ポイントその1)。
足を伸ばして阪神百貨店で、優し~い店員さんに、じっくりアドバイスもらって買い物することが多いです。空いてますし。
それに、大きい声で言えませんが、サイズも豊富ですし(オサレ失格ポイントその2)
服以外では、阪神百貨店の上階の○ャトルセゾン、2回の○フタ○ーンティでインテリアを見たり、5階の食器売り場をうろつくのが好きです。
でも買ったインテリアの飾り方がいまいち分からず…(オサレ失格ポイントその3)。
地下で好きなのは、ケーキ屋さん、紅茶屋さん(○ピシエ)ですね。
それから、タイガースショップはいつ行ってもスゴイ人ですね!
この間、試合前に「なりきりトラッキー」(つけ耳のこと)買いに行ったらレジが長蛇の列でした。
この年でシラフでトラの耳orz…(オサレ失格ポイントその4)
ルパートはん!イカ焼き好きなら阪神百貨店より甲子園で食べなはれっ!(←大阪のオバチャン丸出し、 オサレ失格決定的)
…本当に阪急文化人ですか?(自問自答)
今でも寂しい気持ちが一杯なのですが、こうして西宮球場や「阪急」の思い出を多くの人と共有する機会ができ、自分が感じていた喪失感が少し埋まった気がします。
特に、3歳から西宮で育った「宮っ子」の私にとって、西宮球場の雄姿を皆さんに見てもらえる形で残せたことは、何より誇らしいことなのです。
ですから、マンガウルフさんには本当に感謝しています。どうもありがとうございました。
ただあくまで最近のことですから(^^;)、ある意味穴場になっているのかも知れません。
ちなみに、いか焼きは甲子園にはないはずです(苦)。
それに、その気になればクール便で冷凍モノが全国どこでも手に入りますが、やはり本場は阪神地下1階。
締めは改札そばのスタンドでミックスジュースといきましょう。
どローカルなネタばかりで済みません。他地域の方は関西に来られたときに参考になさってください(^^;)
出来ればかけらでもいいから、ほしいなあ。
私も阪急沿線で育ちました。親の影響で阪神戦しかテレビを見てなかったのですが、小学校の同級生にタダ券を貰って一緒によく見に行きました。オヤジの会社も年間指定席を買わされていて、そこへも行ったような記憶があります。
福本、大熊、加藤秀、長池、森本・・・。素晴らしいチームでした。今でも余裕で勝てるチーム力では?
競輪バンクがあったので、外野の端は荒れていて、それゆえ阪急の外野手は鍛えられていると聞いたことがあります。そのため後楽園に続いて、人工芝に切り替えるのも早かった。
ヒゲの応援団長の声も素晴らしかった。絶対に罵倒ではなくユーモアに溢れていて、相手も苦笑いするような野次。
オレンジ色のあの掲示板も既になく、寂しいですね。
その時に故杉浦元監督もいらしていて、依頼者と一緒に野球盤をしていたのを覚えています。
同じように、西宮でも藤井寺でもできたらいいですよね。
特に西宮なら、福本さんとダイヤモンドを走るとか…できないかなぁ…
福本さんは朝日放送もしくはサンテレビ。
「ナイトスクープ」は朝日放送で丁度いいけど。
しかし、一度出してみる価値はあるかもしれませんね。
TV界では「柳の下にどじょうは二匹いる」そうなので。
そこで関テレで阪急OBといえば、うん西本さんだ。
最近テレビでもご無沙汰だが、お元気でしょうか?
サンテレビでかまぼこの宣伝の中ではおみかけしますが。
ただ、確かに最近は野球中継などでもお見かけしませんね。気になるところです。
私にとって阪急の監督といえば上田さんなんですよ。
もちろん、ハムの監督もなさった方ですが、子どもの頃にずっと阪急の監督をなさっていたので、そのイメージが強いのです。
あの頃は阪神がダメでも阪急が強かった。今となっては叶わぬ夢ですが、西宮市民としては、一生に一度でいいから今津線シリーズが見たかったです…
そうそう、店の名前は忘れましたが(それじゃ宣伝効果ナシ?)ありましたね~。
ちなみに私の書いたCMは・・
板さん「野球、オモロイでんな」
西本氏「板さん、ハモ」。で、ルパードさんの書いた
セリフを・・・。
全く会話になっていないのと、西本さんのセリフ回しが最高のCMでした。
ちなみに、阪急が頃は西宮市内に2つ球団があった!
まるでニューヨークかシカゴのようだ。
「連れて行ってもろたこと、ありません」
確か、日本料理のお店のCMでしたね。
河久?川久?なんかそんな名前だったような…
こういうCMって、コテコテとかベタという言葉で片付けられない関西文化の深さを象徴していたような気がするんですよ。
それこそ「阪急」の文化に通じるような。
ただ、今はあんまりそういうのがないですよね。
この辺はちょっと気になるテーマなので、また記事にしてみたいと思います。
さて近鉄オリ合併にも思うのですが、場所が近いからくっつけましょかみたいな考えは最初、経営者にあったでしょう。
しかし文化とはそういう簡単なもんやおまへんで。
私の野球観戦友達といっていいのか、70代の温厚で熱心な阪急ファンのおいちゃんがいるのですが、
「合併どう思います」という私の質問に、
「中村ノリ来ますんやろ、うちのカラーとちゃいますがな。そんなんあかん!」
近鉄と阪急(あえて)、全然違う!!
ドイツとフランスぐらい違う。
誰か東京の電車で例えてください。詳しくないもので・・。
私も土曜日に西宮球場に行ってきました。
写真のひとつひとつが私の撮った写真と似ていて
親近感を覚え、トラックバックさせていただきました。
>ハムぞーさん
東京の電車だと、東急と京成のようなものだと思います。
なんせ総武線しか知らないもので(水道橋行き)。
さてブーマーといえば、打席に入ったとき首の周りを矢鱈触っていたことを思い出しました。窮屈だったんでしょうか?
あとブーマーパンとか、ありましたね。
関西には私鉄が創った文化というものがあるといいますね。
先日もたかじんの昼の番組で、私鉄5社の沿線の女の子20人ずつを集めたのがありましたが、確かに服装から何から違う違う(笑)。
それと似たような雰囲気の違いが関東の私鉄沿線にもある、ということでしょうか?
関西では私鉄のほうが困る。
このように京阪神の人の流れを私鉄は支えてきました。
関東よりも革新的で、結構な年齢である私の記憶でも阪急は自動改札しか覚えがないのです。
ついこの間まで、関東では駅員が立っていたので「ダサ」と思ってしまいました。
阪急、阪神、南海、近鉄、京阪と関西大手5私鉄と言いますが、京阪以外は球団持ってましたもんね。
しかしセリーグの阪神だけになってしまう・・。
「たこ焼き売り場」になってた。
短い間やったなあ~。
ショック!やはり「梅田まで来い」ということかしらん。
あの熱気ある売り場がいいんでしょう。
西宮は冷凍したネタを焼いてたし、なんか細々としていたし。
関東から来た友人と大阪ドーム観戦の時に買っていったら、ビールに合うとパクパク食べて、私の分まで食べていきました。関西庶民文化普及に一役買った?
ところでイカ焼きのレジにいた、全て暗算で代金を計算するばあちゃんはどうしてるかな。
ちなみに甲子園は「ゲソ焼き」だったような・・・。
イカには違いないですね。
ヤクルトの古田も川西で、よく西宮に見に行っていたとか。ちなみに私は古田と同い年です。もしかしたら同じ試合を同じスタンドで応援していたのかも。
もしも願がかなうなら、もう一度1塁側スタンドから紙テープを投げてみたい。
確かに、あまり儲かっているようではなかったですからね。それに明らかに雰囲気に合ってませんでしたし。
やはりいか焼きは梅田阪神のB1のごみごみした中で買って立ち食いで食べるのが一番ということなのでしょう(笑)
なので、最後の勇士を見に行かれるならまだ間に合いますので、早めにいかれてはいかがでしょうか。
古田の話は初耳でした。でも確かに、川西で能勢電の沿線住民だったのでしょうから、西宮まで来ても全く不思議ではありませんよね。
それにしても、西宮球場に思い入れのある方は本当にたくさんいらっしゃるんですね。
画像を見て、おんなじところを撮影していたので、
おもわず苦笑してました。
わたしも当日は、何も残ってないとは、わかりつつグルグル球場周辺を回ってました。
あと気になってるのは、
「みどりのチャリティ」2000人の吹奏楽・・・って書いてある碑があるのですが、
それは、どうなるのでしょうか。
ほんと、西宮球場がなくなるのは、寂しいですよね。
2000人の吹奏楽の碑は何とか残してほしいです。
私の中では、西宮球場はマーチングバンドの憧れの地でもありましたし、その記念がなくなってしまうのも辛いことです。
野球ファン以外に様々な人々から西宮球場が愛された証として、阪急電鉄には何とか保存の方法を考えてもらいたいです。
東京の私鉄も、東京文化の基礎になっているんですが、それは猪瀬直樹の『ミカドの肖像』に詳しいです。
西武・堤オーナー兄弟にもツッコミたおしている本なので、ご一読をおすすめします。
その本の骨子に、東京文化は「ミカド=神」の土地で決まるというのがあるのですが、私鉄にせよ、どんな電車にせよ、主要道路にせよ、やはり天皇の御領地の「たたり」を避けたとか、平将門の首塚の「呪い」を避けたとか、ぜんぶそういう謎伝説があるのがおもろいです。
でも、東京の文字どおりの「阪急地帯」といえば、有楽町でしょう。
その一帯は、ほんとに阪急の土地で、関西人には、独特の感慨をもたらしてくれます。
宝塚劇場があって、有楽町阪急があって、残念ながら今はなくなりましたが、まだ阪急ブレーブスがあったころは、数寄屋橋阪急がえらいオサレで。
古田も、たしか阪急子供クラブに入ってたはずですよ。
となると、東京横浜で競合する阪神が京急というところでしょうか。
有楽町は私の中では「オトナの街」という印象があって、まだヒヨっ子の私にはなかなか足が向くところではなかったのです。
ただ、今度機会があれば、行ってみようかなぁ…
自分のブログに貼り付ける画像を探していて、たどり着きました。
やっぱり熱い思いがあります。
ありがとう(泣)
ちなみに、取り壊し開始といっても、今は準備の準備段階といったところのようで、まだ球場の姿は残っています。今ならまだ勇姿を見ることはできますよ。
北口の駅から当然のように見えてたのに。。。
タイムスリップしそうです。
私も球場がなくなるというのがいまだに信じられない部分がありますが、北口の様子も変わりつつありますし、いずれは球場のない北口に慣れてしまうのでしょうね…
見落としてしまい、お手数かけさせ、すみません。
こんな端折りはいかがでしょうか(って少しヒツコい?)
見落としてしまい、お手数かけさせ、すみません。
いえいえ。この記事も大分下がっていましたからね。これを探し出すというのは無茶な話ですよ。
>こんな端折りはいかがでしょうか(って少しヒツコい?)
いいと思いますよ。
何と言いますか、関西の外人さんっぽくていいです(^^)
今日仕事の都合で西宮北口に行きましたが、照明灯が降ろされてました。
我が研究所でも取材等いろいろ資料を入手しましたので、近日中(公開日未定)に「西宮球場特集」をお送りする予定です。
いよいよ、その時が迫っているようです。
この球場があったことを記憶にしっかりと留めるためにも、研究所の記事を楽しみにしています。