![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/12/d74a2bd9d1daf349b51ad34da8fceeeb.jpg)
関空からの飛行機は函館空港に無事到着。空港からは市電の始発駅である湯の川電停まで出て、函館市電に乗り換える予定である。
バスがあれば良かったのだが、生憎見つからなかったので、電停まではタクシー利用を利用する。初乗りこそ大阪より安かったものの、その後運賃は短い間隔で100円刻みに上がっていく。思わず背筋が凍る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ab/d0bead5283bfa93e33dffbca82ae5808.jpg)
ともあれ、15分ほどでなんとか湯の川に到着した。
函館市電は2番と5番の2系統のみ。番号が飛んでいるが、おそらく昔は1,3,4番もあったのだろう。実際、函館市電は過去に路線の廃止を繰り返しながら現在に至っている。
残る2つの系統も、湯の川から大部分は同じ路線を走り、異なるのは数箇所の停留所のみ。どちらも函館駅前に行くので、まずはこの電車に乗ることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/dc/6469266d376a4b47aebddc29e455f01e.jpg)
車内の吊り広告。ビール電車は各地の路面電車で定着した感がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/69/c0465871fd72818102f082b3a97d802d.jpg)
一方、全国各地の私鉄・公営路線で急速に増えているのがこの「鉄道むすめ」。こちらは函館市電の運転士、松風かれん嬢だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/79/a34afd567de8eca030ca8b421bf8f415.jpg)
こんな感じで、関連グッズも売っている。
ちなみに、もう1人の女性は「函館ハイカラ號」車掌の柏木ゆの嬢。「嬢」とはいかにも古臭いし、下手をするとジェンダーの観点で批判されかねないが、他に良い表現が思い浮かばないのでご容赦願いたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c0/0c1e196c32e5a58b8391fa3691334f72.jpg)
さて、電車は市内の表通りをのんびり走り、函館駅前に着いた。さすがは函館、マンホールのフタもイカである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/bf/cc3f48c7621795c4b10487720f5b11e2.jpg)
本来ならこの電停を通り越して終点まで行きたいのだが、そうすると時間に余裕がなくなるし、最悪次の電車に乗れなくなってしまう。
ただ、函館駅前にいる分には、それはそれで時間が余る。なので、しばらく市電を撮ってみる。左側は9600形「らっくる号」。各地の路面電車で増えているノンステップの電車だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/89/169aeb56c8da12c7733cd6c1c1fb8f9b.jpg)
らっくる号が函館駅前を発車すると、入れ替わりに古風な電車が入ってきた。先程の「函館ハイカラ號」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/66/18f0b01777c33c84e14fdbd3c83de8be.jpg)
幸い、停留所2つ分ぐらいなら行って帰る時間はある。乗るとしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/1f/eab1b8e1c52b9da26f3c3d85f525c47d.jpg)
「函館ハイカラ號」は明治末期に製造され、千葉県で初めて運用されたのちに函館に渡って来た電車である。
その後除雪用電車に改造、転用されたが、函館市制70周年記念事業の一環で旧来の姿に近い形に復元され、1993年から旅客営業に再び用いられるようになっている。
当時の電車の常として、電停からの乗降口に扉はない。そのため、運転台は正面に窓こそあるものの、左右は吹きさらしである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/91/55eb374c242cd9671bb08c2b6bc26945.jpg)
その運転台の仕組み。通常の空気圧によるブレーキのほかに手ブレーキ(人力によるブレーキ)がある。現在からすれば空気式のブレーキは必須だが、製造当初は手ブレーキのみだったのかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/41/c2d1859960ba9437c268415fd7608fef.jpg)
電車はほどなく魚市場通電停に到着。もう少し乗っていたいが、予定上そうも言っていられない。ここで電車を見送ることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/5c/1022c8ec615fcc0e0af1785a946fe75c.jpg)
少しして折り返しの電車が到着。再び函館駅前に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d3/12fd74f08777c52e5a65f3b0cc1c228c.jpg)
JR函館駅の駅舎は、かつての連絡船を模したであろう様式になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a3/6a5a9239ff39a9e6df1b8414b2322833.jpg)
函館駅前のビル。新幹線の開業まであと少し。並行在来線の扱いやターミナルの移動、ローカル線の廃止問題も孕んではいるものの、少なくとも表面を見る限りでは新幹線歓迎ムードのようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/1fb18930108ca018395dc297e364042d.jpg)
函館からの電車に乗る前に、港に停泊中の摩周丸を撮影。実は10年ぶりの再会であるが、その時も外から見るのみだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/70/fe76bac6ec8f876622541b90d66e1781.jpg)
摩周丸の近くに展示されてあった、大雪丸の錨。青函連絡船の廃止からすでに年月が経ち、往時の船は、保存されていたものも含めて少なくなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/87/3116b557a7509747d4fd78e0075aa06c.jpg)
津軽丸の錨と、蒸気機関車D51の動輪。函館がターミナルとして、おそらく最も賑わっていた時代の証人である。
それから時代は移った。本州と北海道の往来の主役は、鉄道と連絡船から飛行機へと変わった。さらに青函トンネル開通によって連絡船は姿を消した。
そして、新幹線の延伸によって、鉄道の玄関は函館から新函館へと移る。さらに新幹線が札幌まで開通すれば、函館という土地自体が、他の北海道の各地と同様の、通過点の1つとなることは避けられまい。
時代は1つの街の栄枯に関わらず、冷ややかに移ろいゆく。ただ、その遺物だけが目の前に積み重なり、またこれからも重なりゆくのだろう。
バスがあれば良かったのだが、生憎見つからなかったので、電停まではタクシー利用を利用する。初乗りこそ大阪より安かったものの、その後運賃は短い間隔で100円刻みに上がっていく。思わず背筋が凍る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/ab/d0bead5283bfa93e33dffbca82ae5808.jpg)
ともあれ、15分ほどでなんとか湯の川に到着した。
函館市電は2番と5番の2系統のみ。番号が飛んでいるが、おそらく昔は1,3,4番もあったのだろう。実際、函館市電は過去に路線の廃止を繰り返しながら現在に至っている。
残る2つの系統も、湯の川から大部分は同じ路線を走り、異なるのは数箇所の停留所のみ。どちらも函館駅前に行くので、まずはこの電車に乗ることになった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/dc/6469266d376a4b47aebddc29e455f01e.jpg)
車内の吊り広告。ビール電車は各地の路面電車で定着した感がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/69/c0465871fd72818102f082b3a97d802d.jpg)
一方、全国各地の私鉄・公営路線で急速に増えているのがこの「鉄道むすめ」。こちらは函館市電の運転士、松風かれん嬢だそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/79/a34afd567de8eca030ca8b421bf8f415.jpg)
こんな感じで、関連グッズも売っている。
ちなみに、もう1人の女性は「函館ハイカラ號」車掌の柏木ゆの嬢。「嬢」とはいかにも古臭いし、下手をするとジェンダーの観点で批判されかねないが、他に良い表現が思い浮かばないのでご容赦願いたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/c0/0c1e196c32e5a58b8391fa3691334f72.jpg)
さて、電車は市内の表通りをのんびり走り、函館駅前に着いた。さすがは函館、マンホールのフタもイカである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/bf/cc3f48c7621795c4b10487720f5b11e2.jpg)
本来ならこの電停を通り越して終点まで行きたいのだが、そうすると時間に余裕がなくなるし、最悪次の電車に乗れなくなってしまう。
ただ、函館駅前にいる分には、それはそれで時間が余る。なので、しばらく市電を撮ってみる。左側は9600形「らっくる号」。各地の路面電車で増えているノンステップの電車だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/89/169aeb56c8da12c7733cd6c1c1fb8f9b.jpg)
らっくる号が函館駅前を発車すると、入れ替わりに古風な電車が入ってきた。先程の「函館ハイカラ號」だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/66/18f0b01777c33c84e14fdbd3c83de8be.jpg)
幸い、停留所2つ分ぐらいなら行って帰る時間はある。乗るとしよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/1f/eab1b8e1c52b9da26f3c3d85f525c47d.jpg)
「函館ハイカラ號」は明治末期に製造され、千葉県で初めて運用されたのちに函館に渡って来た電車である。
その後除雪用電車に改造、転用されたが、函館市制70周年記念事業の一環で旧来の姿に近い形に復元され、1993年から旅客営業に再び用いられるようになっている。
当時の電車の常として、電停からの乗降口に扉はない。そのため、運転台は正面に窓こそあるものの、左右は吹きさらしである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/91/55eb374c242cd9671bb08c2b6bc26945.jpg)
その運転台の仕組み。通常の空気圧によるブレーキのほかに手ブレーキ(人力によるブレーキ)がある。現在からすれば空気式のブレーキは必須だが、製造当初は手ブレーキのみだったのかも知れない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/41/c2d1859960ba9437c268415fd7608fef.jpg)
電車はほどなく魚市場通電停に到着。もう少し乗っていたいが、予定上そうも言っていられない。ここで電車を見送ることにした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/5c/1022c8ec615fcc0e0af1785a946fe75c.jpg)
少しして折り返しの電車が到着。再び函館駅前に戻る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/d3/12fd74f08777c52e5a65f3b0cc1c228c.jpg)
JR函館駅の駅舎は、かつての連絡船を模したであろう様式になっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/a3/6a5a9239ff39a9e6df1b8414b2322833.jpg)
函館駅前のビル。新幹線の開業まであと少し。並行在来線の扱いやターミナルの移動、ローカル線の廃止問題も孕んではいるものの、少なくとも表面を見る限りでは新幹線歓迎ムードのようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/8d/1fb18930108ca018395dc297e364042d.jpg)
函館からの電車に乗る前に、港に停泊中の摩周丸を撮影。実は10年ぶりの再会であるが、その時も外から見るのみだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/70/fe76bac6ec8f876622541b90d66e1781.jpg)
摩周丸の近くに展示されてあった、大雪丸の錨。青函連絡船の廃止からすでに年月が経ち、往時の船は、保存されていたものも含めて少なくなっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/87/3116b557a7509747d4fd78e0075aa06c.jpg)
津軽丸の錨と、蒸気機関車D51の動輪。函館がターミナルとして、おそらく最も賑わっていた時代の証人である。
それから時代は移った。本州と北海道の往来の主役は、鉄道と連絡船から飛行機へと変わった。さらに青函トンネル開通によって連絡船は姿を消した。
そして、新幹線の延伸によって、鉄道の玄関は函館から新函館へと移る。さらに新幹線が札幌まで開通すれば、函館という土地自体が、他の北海道の各地と同様の、通過点の1つとなることは避けられまい。
時代は1つの街の栄枯に関わらず、冷ややかに移ろいゆく。ただ、その遺物だけが目の前に積み重なり、またこれからも重なりゆくのだろう。