先週の金曜日、読売・清武球団代表の記者会見で表面化した、読売グループ最高権力者・渡邊恒雄球団会長への反乱。
前回のエントリを立ててから、いくつか注目すべき話が出てきましたので、あらためて取り上げたいと思います。
まず出てきたのは、清武球団代表に対する渡邊氏の反論。下記のリンクに全文が掲載されています(別ウインドウまたは別タブで開きます)。
■ 【巨人】渡辺球団会長の反論談話全文(ニッカン・2011年11月12日)
確かに非常に簡潔かつ分かりやすい文章になっています。さすがは新聞記者から今の地位を築いた人物、自身の名前を付して公にする文章には、やはり惹きつけるものがあります。
とはいえ、第4段落、「当時の代表らが学生選手に小遣銭を与えたという事実」というところには、正直なところ呆然としてしまいました。
「小遣銭」という昭和前半以前の小説にありそうな表現はさておき、当時大問題となった100万円単位の金銭が「小遣銭」とは。
これが2,000円程度の交通費なら分からないではないですが、実際の金額と表現との乖離を見るに、結局はまるで問題とは思ってなかったのであろうことが透けて見えます。
もっとも、この件は問題の本質とは異なります。真の問題はその直後、オーナー交代の経緯についての、一見すれば非常に明快かつ当然と理解されかねない文章なのです。
プロ野球球団のオーナーとは、その球団における最高権力者かつ責任者です。当然ながらヒラの取締役よりは上位に位置すべき存在であり、そうでなければ内部統制上の矛盾が生じていると考えられます。
ところが、ここに記されている内容は、他ならぬ「平取締役」がオーナーの交代を決めたという事実です。
本文には他の幹部やオーナーと「相談の上」とありますが、相談して後任を決めたのが誰かは、文意からおのずと明らかでしょう。
加えて、「桃井君」(「平取締役」がオーナーを君づけで呼ぶこと自体凄いことです)の「これまでの功績と権威を損なわないよう」「巨人軍の代表取締役は桃井社長一人とする」と決めたのが誰なのかも、また明らかです。
はたして「平取締役」がいかなる根拠によって、そのような権限を持ち得るのか?持ち得たとしたら、オーナーとは何なのか?
読売新聞グループの権力構造はこの際問題ではありません。問題は球団という組織の内部を統制する制度が理に適っているのかどうかです。むしろ、権力構造が制度に優越するなら、それは矛盾と理解されるべきです。
さらに、後半はGMとしての清武氏に対する非難に終始しています。巨人ファンでもない私が深入りすることは避けますが、非難の中には否定し難いものもあるかも知れません(とはいえ、論調の尊大さには閉口しますが)。
ですが、それらが「平取締役」の現場介入を正当化するわけではありません。もし正当化されるのであれば、何のためにGM制度を置いたのか。そもそも、GMの任命権者とは誰なのか。
ここでも、やはり問題の本質は制度にあるのです。つまり、これもまた内部統制上の矛盾を示しているのです。GMの資質をことさらに非難するのは、論点のすり替えに過ぎません。
渡邊氏の記述は非常に流麗で巧みに自らの正当性をアピールしているように見えます。正直に言うと、私もこの文章を一読した時は惑わされそうになりました。それだけ非常にできた文章です。
後半の罵倒ぶりを含めて(!)、アジテーターとしての氏の能力には感服する限りです。やはり訓練を受けた場所が違います。ソ連の衰亡を見ながら育った世代の私には、氏のような訓練など望むこともできません。
とはいえ、氏の文章を深く読めば、読売球団に存在する内部統制上の矛盾を読み取ることができます。そして、そのような矛盾の背景がグループの権力構造にある以上、矛盾はグループ全体に関わるものなのです。
はたして、清武氏は上の反論や避難に対してさらに反論をかぶせてきました。
■ 【巨人】清武GMの再反論コメント全文(ニッカン・2011年11月12日)
「最小限のことのみ申し上げます」というだけあって、簡潔な文章ではあります。
ただ、渡邊氏が「クライマックスシリーズ(CS)開始前の十月二十日にコーチ人事を示された」と記した点を突いて、事実関係の誤りを批判しているのが、やはり最大のポイントというべきでしょう。
本エントリ執筆現在、渡邊氏からの再々反論は出ていませんが、流れからして、いずれは何らかの文書が出ることも十分想像できますし、その際にはあらためて取り上げることになるかも知れません。
他方、清武氏は、
「原監督が自らも了承し、契約書を取り交わすばかりになっていたコーチ人事について、GMやオーナーになんの相談もせず、密かに会長に直訴したなどということは信じることができません」
と記していますが、この点においてもう1人の当事者からの発言が出てきました。
■ 前言翻した原監督「非公式にというかね。固有名詞が挙がった」(スポニチ・2011年11月14日)
前言を翻したとは穏やかならぬ表現ですが、同紙によれば、11日時点で原監督は江川氏招聘に関する渡辺氏とのやりとりを否定したものの、渡辺氏の声明文を受ける形で前言を翻したそうです(同・2011年11月14日)。
ちなみに、このような経緯は報知でも記されています(報知・2011年11月14日)
原監督がどのようなニュアンスで渡邊氏と話したかを明らかにすることはできません。ですが、渡邊氏が原監督との対話によって江川氏の招聘を思いつき、実現に向けて動いたことは間違いないでしょう。
とすると、やはりここでも「平取締役」がGMやオーナーを差し置いて権力を振るうという内部統制上の矛盾が見えてきます。
特に、渡邊氏のコメントが出た後に、原監督がそのコメントに合うように発言を変えたことは、擁護のしようがありません。結局は彼も読売新聞グループの人間、内部の論理で動くしかできなかったと評せざるを得ません。
では、どうすれば良いのか?四方丸く収まる方法はあり得ますが、おそらくそんな方法は当事者の誰一人求めていないでしょうから、ここで論ずるには値しますまい。
その上で、次善の解決法があるとすればどのようなものかという点も含め、下記の記事はきわめて参考になります。
■ 誤用ではない、清武GMの「コンプライアンス」発言(Newsweek・コラム&ブログ「プリンストン発 新潮流アメリカ」・2011年11月14日)
解決法として示されているのが渡邊氏の立場からのものだけなのが唯一気になりますが、その点を除けば、この問題について必読といっていいほどの見識が示されています。
私が本エントリのタイトルで「コンプライアンス」という言葉を改めて取り上げたのも、上記の記事でこの言葉についてあらためて考え直したからです。
再三記していることですが、この問題は一プロ野球球団のものにとどまりません(おそらく、清武氏の主張とは別の意味で、となるでしょうが……)。
だからこそ、この問題は報じられ方も含め、決して見過ごすことのできないものだと私は考えています。
前回のエントリを立ててから、いくつか注目すべき話が出てきましたので、あらためて取り上げたいと思います。
まず出てきたのは、清武球団代表に対する渡邊氏の反論。下記のリンクに全文が掲載されています(別ウインドウまたは別タブで開きます)。
■ 【巨人】渡辺球団会長の反論談話全文(ニッカン・2011年11月12日)
確かに非常に簡潔かつ分かりやすい文章になっています。さすがは新聞記者から今の地位を築いた人物、自身の名前を付して公にする文章には、やはり惹きつけるものがあります。
とはいえ、第4段落、「当時の代表らが学生選手に小遣銭を与えたという事実」というところには、正直なところ呆然としてしまいました。
「小遣銭」という昭和前半以前の小説にありそうな表現はさておき、当時大問題となった100万円単位の金銭が「小遣銭」とは。
これが2,000円程度の交通費なら分からないではないですが、実際の金額と表現との乖離を見るに、結局はまるで問題とは思ってなかったのであろうことが透けて見えます。
もっとも、この件は問題の本質とは異なります。真の問題はその直後、オーナー交代の経緯についての、一見すれば非常に明快かつ当然と理解されかねない文章なのです。
プロ野球球団のオーナーとは、その球団における最高権力者かつ責任者です。当然ながらヒラの取締役よりは上位に位置すべき存在であり、そうでなければ内部統制上の矛盾が生じていると考えられます。
ところが、ここに記されている内容は、他ならぬ「平取締役」がオーナーの交代を決めたという事実です。
本文には他の幹部やオーナーと「相談の上」とありますが、相談して後任を決めたのが誰かは、文意からおのずと明らかでしょう。
加えて、「桃井君」(「平取締役」がオーナーを君づけで呼ぶこと自体凄いことです)の「これまでの功績と権威を損なわないよう」「巨人軍の代表取締役は桃井社長一人とする」と決めたのが誰なのかも、また明らかです。
はたして「平取締役」がいかなる根拠によって、そのような権限を持ち得るのか?持ち得たとしたら、オーナーとは何なのか?
読売新聞グループの権力構造はこの際問題ではありません。問題は球団という組織の内部を統制する制度が理に適っているのかどうかです。むしろ、権力構造が制度に優越するなら、それは矛盾と理解されるべきです。
さらに、後半はGMとしての清武氏に対する非難に終始しています。巨人ファンでもない私が深入りすることは避けますが、非難の中には否定し難いものもあるかも知れません(とはいえ、論調の尊大さには閉口しますが)。
ですが、それらが「平取締役」の現場介入を正当化するわけではありません。もし正当化されるのであれば、何のためにGM制度を置いたのか。そもそも、GMの任命権者とは誰なのか。
ここでも、やはり問題の本質は制度にあるのです。つまり、これもまた内部統制上の矛盾を示しているのです。GMの資質をことさらに非難するのは、論点のすり替えに過ぎません。
渡邊氏の記述は非常に流麗で巧みに自らの正当性をアピールしているように見えます。正直に言うと、私もこの文章を一読した時は惑わされそうになりました。それだけ非常にできた文章です。
後半の罵倒ぶりを含めて(!)、アジテーターとしての氏の能力には感服する限りです。やはり訓練を受けた場所が違います。ソ連の衰亡を見ながら育った世代の私には、氏のような訓練など望むこともできません。
とはいえ、氏の文章を深く読めば、読売球団に存在する内部統制上の矛盾を読み取ることができます。そして、そのような矛盾の背景がグループの権力構造にある以上、矛盾はグループ全体に関わるものなのです。
はたして、清武氏は上の反論や避難に対してさらに反論をかぶせてきました。
■ 【巨人】清武GMの再反論コメント全文(ニッカン・2011年11月12日)
「最小限のことのみ申し上げます」というだけあって、簡潔な文章ではあります。
ただ、渡邊氏が「クライマックスシリーズ(CS)開始前の十月二十日にコーチ人事を示された」と記した点を突いて、事実関係の誤りを批判しているのが、やはり最大のポイントというべきでしょう。
本エントリ執筆現在、渡邊氏からの再々反論は出ていませんが、流れからして、いずれは何らかの文書が出ることも十分想像できますし、その際にはあらためて取り上げることになるかも知れません。
他方、清武氏は、
「原監督が自らも了承し、契約書を取り交わすばかりになっていたコーチ人事について、GMやオーナーになんの相談もせず、密かに会長に直訴したなどということは信じることができません」
と記していますが、この点においてもう1人の当事者からの発言が出てきました。
■ 前言翻した原監督「非公式にというかね。固有名詞が挙がった」(スポニチ・2011年11月14日)
前言を翻したとは穏やかならぬ表現ですが、同紙によれば、11日時点で原監督は江川氏招聘に関する渡辺氏とのやりとりを否定したものの、渡辺氏の声明文を受ける形で前言を翻したそうです(同・2011年11月14日)。
ちなみに、このような経緯は報知でも記されています(報知・2011年11月14日)
原監督がどのようなニュアンスで渡邊氏と話したかを明らかにすることはできません。ですが、渡邊氏が原監督との対話によって江川氏の招聘を思いつき、実現に向けて動いたことは間違いないでしょう。
とすると、やはりここでも「平取締役」がGMやオーナーを差し置いて権力を振るうという内部統制上の矛盾が見えてきます。
特に、渡邊氏のコメントが出た後に、原監督がそのコメントに合うように発言を変えたことは、擁護のしようがありません。結局は彼も読売新聞グループの人間、内部の論理で動くしかできなかったと評せざるを得ません。
では、どうすれば良いのか?四方丸く収まる方法はあり得ますが、おそらくそんな方法は当事者の誰一人求めていないでしょうから、ここで論ずるには値しますまい。
その上で、次善の解決法があるとすればどのようなものかという点も含め、下記の記事はきわめて参考になります。
■ 誤用ではない、清武GMの「コンプライアンス」発言(Newsweek・コラム&ブログ「プリンストン発 新潮流アメリカ」・2011年11月14日)
解決法として示されているのが渡邊氏の立場からのものだけなのが唯一気になりますが、その点を除けば、この問題について必読といっていいほどの見識が示されています。
私が本エントリのタイトルで「コンプライアンス」という言葉を改めて取り上げたのも、上記の記事でこの言葉についてあらためて考え直したからです。
再三記していることですが、この問題は一プロ野球球団のものにとどまりません(おそらく、清武氏の主張とは別の意味で、となるでしょうが……)。
だからこそ、この問題は報じられ方も含め、決して見過ごすことのできないものだと私は考えています。
ルパートさんが仰るとおり、何事もなかったように渡辺主筆(そして読売グループ?)に阿る論調のメディアがかなり多く、「コップの中の嵐」と物事を卑小化して伝える向きもその一助となっているのかなあと悲しく思います。
こんなことでも読者・視聴者たる我々のリテラシー能力が試されてるんで、気は抜けません。
もっとも、権力者は法規や契約よりも自分が上位にあると思いがちなのですが、
「王といえども神と法の下にある」というのが近代国家の原点なわけですし。
メディアのヘタレっぷりは残念ですが、今に始まったことでもないですし、
おっしゃるようにわれわれの批判的な読みの能力が問われていると思います。
何より、そのメディア内部での経験が長い清武氏のこと、
このぐらいの逆風は十分予想できてると思うんですよ。
その上で、彼がどのような手を打ってくるのか、ぜひ引き続き見てみたいです。
特に、ネット上での反応を見る限りジャイアンツファンの多くは、「自分の解任に抵抗したいだけのGMのせいで贔屓チームが恥をかかされた」という見方になってしまっているようですし。
「権力構造が制度に優越する」例があまりにも多過ぎるため、それで動いている会社はそれでいいんだと当然視する人も少なくありませんしね。
各所の書き込みを読んでみると、どうもそういう主張にとどまらない感じはするんですよね。
自分が属する組織で理不尽が罷り通っている以上、
他でも通らないと気が済まない、と言ってしまうとアレかもしれませんが。
で、巨人ファンからすれば、チーム編成絡みで不満があるのは理解できます。
ただ、事ここに至っては、それじゃ済まないんですよね。
仮に不満があるとして、それを解消する真っ当な手続きを踏まないと、となるわけで。