2004年が終わろうとしています。
私にとって2004年という年は本来日ハム元年、パ・リーグ元年でした。5月15日、軽い気持ちでヤフーBBスタジアムへ日ハム戦を観に行ったのが、思いもかけず熱烈な応援の中に入ってしまい、気がつけばにわか日ハムファンになっていました。
結局この日は9回の猛追及ばず惜敗、次に観に行った大阪ドームのバファローズ戦は岩隈投手に抑えられて連敗。試合内容こそ冴えないものの、それまで甲子園以外の球場にほとんど行ったことのなかった私にとって、レフトスタンドの雰囲気は新鮮で、心を惹かれるものでした。
いい表現が思いつかないのですが、讀賣の黒い影が常にちらついていたセと違い、日ハムの試合、パ・リーグの試合では純粋に野球や応援そのものを楽しむことができる、そんなことを私は感じていたのかもしれません。
しかし、そんな楽しみは6月13日のあの発表によって消え去りました。
最初はわけが分かりませんでした。身売りならまだしも、それまで歴史上の出来事でしかなかった球団合併が現実に起こるというのは、あまりに実感の薄いことでした。
ただ、実際に合併があれば11球団では収まらない、さらに消える球団が出てくるであろうことは容易に想像がつきました。それに両球団のファンではないとはいえ、両球団は関西に生まれ育った私にとって慣れ親しんだ存在です。それが消えてしまうことにおいそれと納得できるわけはありません。
なぜ合併なのか?他の選択肢はなかったのか?そんな問いは私だけのものではなかったはずです。いや、両球団のファンにとって私などとは比べ物にならないほど痛切な思いを抱えていたことでしょう。
それなのに、どちらの球団からも謝罪はおろか、何の説明もありませんでした。それどころか、この機に乗じて阪神の久万オーナーに至っては8球団1リーグという以前からの持論をぶる始末。
これまで阪神がどれほど弱かろうが、私は阪神ファンで恥ずかしいと思ったことはありません。ですが、この頃だけは本気で阪神ファンであることが恥だと感じていましたし、阪神ファンを辞めることも真剣に考えました。
(もっとも、3歳の頃から甲子園でタイガースと共に生きてきた私にそんなことが本当にできたかは分かりませんが(苦笑))
それはさておき、そんな絶望的な状況に1つの転機が訪れました。ライブドア堀江社長の登場です。
ライブドアという企業や堀江社長という人物に問題がないことはないでしょうし、彼の真意は今もって分かりません。
ですが、そんなことは私にとって大した意味のないことでした。それよりも、座して死を待つよりは流れに逆らう動きに賭けてみたい、ここで賭けなければ次のチャンスはない、そんな気持ちでした。
しかし、オーナー連中もNPB側の連中も、堀江社長の呼びかけにまともに応えようとはしませんでした。それどころか、返ってきたのはナベツネの「たかが選手が」「私の知らない奴は入れない」という発言と、もう1つの衝撃―「もう1つの合併」と10球団1リーグ化という企みでした。
てめぇらはどこまでファンをコケにしたら気が済むんや!「応援してください」「球場に来てください」そう言うとったんはどこのどいつや!そうやってファンをその気にさせといて都合が悪くなったら切り捨てか。ああそうか。ならこっちも本気でケンカしたろやないか。なめくさっとったらいてまうどボケ!!
そんな怒りの中開かれたオールスター。誰もが最後かも知れないと恐れていた中で、最高に輝いたSHINJO選手。その日私は出先にいて、生中継は見られなかったのですが、あとでニュースで見たVTRには、野球を心の底から楽しむプレーヤーの姿がありました。
そして、「これからは、パ・リーグです!」正直言えばこれを聞いたときは戸惑いを感じました。しかし、今から振り返ればこれが経営陣やNPBのいいようにされてきた選手やファン達の反撃の狼煙だったのかも知れません。
流れはここから変わります。星野SDの恫喝強い説得に応じた阪神・久万オーナーが2リーグ維持派に転じ、野崎球団社長がセの他球団をまとめて1リーグ化阻止に動き始めます。政治家やメディア関係者を巻き込んだ「1リーグ制反対」「『もう1つの合併』反対」の声が高まったのもこの頃です。
こういった声の中には「10球団2リーグ制」など、私や多くのファンからすれば受け入れがたい意見があったのも確かです。バファローズ・ブルーウェーブの問題が相対的に小さくなったのも否定できないでしょう。
ですが、誤解を恐れず言えば、当時の私はそんなことを気にしている事態ではないと思っていました。いや、この流れをうまく使えば、バファローズもブルーウェーブも残せると見ていました。当時の私の考えはこうです。
「もう1つの合併」が頓挫⇒10球団化失敗、1リーグ化も不可能⇒となると2リーグ11球団?しかしこれでは運営はかなり難しい。5球団より6球団の方が間違いなくやりやすい⇒他球団からバファローズ・ブルーウェーブへの圧力が高まる。それに合併のメリットもなくなる⇒合併撤回!
今から思えばナイーブな読みだったかも知れません。笑いたい人は笑ってくださって結構です。
ただこれだけは申しておきます。権力を持った連中とケンカして勝つためには、権力のない人間は数で勝負するか、別の権力の助けを借りるしかありません。
そうである以上、セの球団や政治家など「別の権力」が1リーグ化反対と言っているのなら、それを利用しない手はなかったはずです。純化路線一辺倒で成功する運動などまずありません。
そんな声が届いたか届かなかったか、「もう1つの合併」は遅々として進まないまま、9月6日のオーナー会議を迎えます。ここで「もう1つの合併」は葬り去られたものの、バファローズ・ブルーウェーブの合併は広島の松田オーナーが棄権しただけで、満場一致で承認されてしまいました。
この日の夜、私は大阪ドームにいました。バファローズが接戦を制した後、ずっとスタジアムに残って気勢を上げ続けるライトスタンドの近鉄ファンをずっと見つめていました。
彼らも会議の内容は聞いて知っていることでしょう。何の理由で彼らが苦しまなあかんねん?彼らが何をしたんや?何の罪があるんや?怒りや悔しさを抑えることができませんでした。
ただ、これで諦めるわけにはいきません。選手会がついにスト覚悟の交渉に打って出たのです。
1回目の交渉は土壇場で一時休戦がなり、ストは回避。土日の千葉マリン決戦は文字通りの死闘でした。テレビ中継を見るすべのない私はYahoo!、goo、ニッカンのネット中継をザッピングしていましたが、それだけでも選手やスタジアムに詰め掛けたファンの必死の姿が見えてくるようでした。
しかし翌週の交渉は決裂。ストライキが現実のものとなりました。あの時の古田選手会長の涙は忘れません。
そして3回目の交渉によって妥結が成立。経営陣はかなり歩み寄ってきたように見えましたし、メディアでは選手会側の勝利ともてはやす人もいました。
しかし、バファローズとブルーウェーブの合併を食い止めることは、ついにできませんでした。
私が戦ったのは別に球団の数合わせのためではありません。12球団制、そりゃ10や11よりは絶対にいいですよ。球団を減らしてまでパを存続させたいわけじゃないけど、残せるものなら残った方がいいに決まってます。
ただ、私はあくまでもバファローズとブルーウェーブを残すために署名もしたわけですし、このブログや様々なところで、足りない頭を必死に使って拙い意見を吐いてきたのです。
ですが……私の願いは潰え去りました。諦めも悪ければ物分かりも悪い私はそれでも一縷の望みを持ち続けてはいましたが、それも空しいことでしかありませんでした。
その後もいろんなことがありました。死闘に次ぐ死闘となったプレーオフと日本シリーズ、東北楽天の参入決定と分配ドラフト、このブログで何度も取り扱った岩隈問題、西武グループの混乱とホークスの譲渡……
それらについても触れた方がいいのかも知れませんが、字数制限というものもありますし、ここでは止めておくことにします。ご関心のある方はそれぞれについての当ブログの記事をお読みいただけると嬉しいです。
今のパ・リーグやプロ野球の状況は、いうならホラー映画のラストシーンのようなものに思えます。
主要な役どころ2人の犠牲の上で、悪霊を何とか撃退し、明るい結末になるかと思いきや、消え去ったはずの悪霊の影が画面に映し出され、続編の存在を予感させる、そんなラストシーンです。
しかし、この悪霊を甦らせるわけにはいかない。バファローズ・ブルーウェーブの犠牲を無駄にしてはならない。そうである以上、「たかがファン」にできることはやらなければ。
悔しさは残りますが、もうこれ以上後ろを振り返ってもどうしようもない。なら、前を向くしかない。今年の怒りや悲しみは胸にしまって、来季もファイターズとパ・リーグを応援し続けよう。
来季こそは誰もが野球と関係ない不条理に苦しめられないで済むように。理不尽さに悔しい思いを味わわないように。そして来季こそは、これまでで最高のシーズンになるように。
ただ、そのためにも……
2004年を忘れない。私は、絶対に。
今年当ブログをご覧いただいた皆さんに心から感謝申し上げます。
(イラストはずたたんさんのフリーイラスト集よりお借りしました。)
私にとって2004年という年は本来日ハム元年、パ・リーグ元年でした。5月15日、軽い気持ちでヤフーBBスタジアムへ日ハム戦を観に行ったのが、思いもかけず熱烈な応援の中に入ってしまい、気がつけばにわか日ハムファンになっていました。
結局この日は9回の猛追及ばず惜敗、次に観に行った大阪ドームのバファローズ戦は岩隈投手に抑えられて連敗。試合内容こそ冴えないものの、それまで甲子園以外の球場にほとんど行ったことのなかった私にとって、レフトスタンドの雰囲気は新鮮で、心を惹かれるものでした。
いい表現が思いつかないのですが、讀賣の黒い影が常にちらついていたセと違い、日ハムの試合、パ・リーグの試合では純粋に野球や応援そのものを楽しむことができる、そんなことを私は感じていたのかもしれません。
しかし、そんな楽しみは6月13日のあの発表によって消え去りました。
最初はわけが分かりませんでした。身売りならまだしも、それまで歴史上の出来事でしかなかった球団合併が現実に起こるというのは、あまりに実感の薄いことでした。
ただ、実際に合併があれば11球団では収まらない、さらに消える球団が出てくるであろうことは容易に想像がつきました。それに両球団のファンではないとはいえ、両球団は関西に生まれ育った私にとって慣れ親しんだ存在です。それが消えてしまうことにおいそれと納得できるわけはありません。
なぜ合併なのか?他の選択肢はなかったのか?そんな問いは私だけのものではなかったはずです。いや、両球団のファンにとって私などとは比べ物にならないほど痛切な思いを抱えていたことでしょう。
それなのに、どちらの球団からも謝罪はおろか、何の説明もありませんでした。それどころか、この機に乗じて阪神の久万オーナーに至っては8球団1リーグという以前からの持論をぶる始末。
これまで阪神がどれほど弱かろうが、私は阪神ファンで恥ずかしいと思ったことはありません。ですが、この頃だけは本気で阪神ファンであることが恥だと感じていましたし、阪神ファンを辞めることも真剣に考えました。
(もっとも、3歳の頃から甲子園でタイガースと共に生きてきた私にそんなことが本当にできたかは分かりませんが(苦笑))
それはさておき、そんな絶望的な状況に1つの転機が訪れました。ライブドア堀江社長の登場です。
ライブドアという企業や堀江社長という人物に問題がないことはないでしょうし、彼の真意は今もって分かりません。
ですが、そんなことは私にとって大した意味のないことでした。それよりも、座して死を待つよりは流れに逆らう動きに賭けてみたい、ここで賭けなければ次のチャンスはない、そんな気持ちでした。
しかし、オーナー連中もNPB側の連中も、堀江社長の呼びかけにまともに応えようとはしませんでした。それどころか、返ってきたのはナベツネの「たかが選手が」「私の知らない奴は入れない」という発言と、もう1つの衝撃―「もう1つの合併」と10球団1リーグ化という企みでした。
てめぇらはどこまでファンをコケにしたら気が済むんや!「応援してください」「球場に来てください」そう言うとったんはどこのどいつや!そうやってファンをその気にさせといて都合が悪くなったら切り捨てか。ああそうか。ならこっちも本気でケンカしたろやないか。なめくさっとったらいてまうどボケ!!
そんな怒りの中開かれたオールスター。誰もが最後かも知れないと恐れていた中で、最高に輝いたSHINJO選手。その日私は出先にいて、生中継は見られなかったのですが、あとでニュースで見たVTRには、野球を心の底から楽しむプレーヤーの姿がありました。
そして、「これからは、パ・リーグです!」正直言えばこれを聞いたときは戸惑いを感じました。しかし、今から振り返ればこれが経営陣やNPBのいいようにされてきた選手やファン達の反撃の狼煙だったのかも知れません。
流れはここから変わります。星野SDの
こういった声の中には「10球団2リーグ制」など、私や多くのファンからすれば受け入れがたい意見があったのも確かです。バファローズ・ブルーウェーブの問題が相対的に小さくなったのも否定できないでしょう。
ですが、誤解を恐れず言えば、当時の私はそんなことを気にしている事態ではないと思っていました。いや、この流れをうまく使えば、バファローズもブルーウェーブも残せると見ていました。当時の私の考えはこうです。
「もう1つの合併」が頓挫⇒10球団化失敗、1リーグ化も不可能⇒となると2リーグ11球団?しかしこれでは運営はかなり難しい。5球団より6球団の方が間違いなくやりやすい⇒他球団からバファローズ・ブルーウェーブへの圧力が高まる。それに合併のメリットもなくなる⇒合併撤回!
今から思えばナイーブな読みだったかも知れません。笑いたい人は笑ってくださって結構です。
ただこれだけは申しておきます。権力を持った連中とケンカして勝つためには、権力のない人間は数で勝負するか、別の権力の助けを借りるしかありません。
そうである以上、セの球団や政治家など「別の権力」が1リーグ化反対と言っているのなら、それを利用しない手はなかったはずです。純化路線一辺倒で成功する運動などまずありません。
そんな声が届いたか届かなかったか、「もう1つの合併」は遅々として進まないまま、9月6日のオーナー会議を迎えます。ここで「もう1つの合併」は葬り去られたものの、バファローズ・ブルーウェーブの合併は広島の松田オーナーが棄権しただけで、満場一致で承認されてしまいました。
この日の夜、私は大阪ドームにいました。バファローズが接戦を制した後、ずっとスタジアムに残って気勢を上げ続けるライトスタンドの近鉄ファンをずっと見つめていました。
彼らも会議の内容は聞いて知っていることでしょう。何の理由で彼らが苦しまなあかんねん?彼らが何をしたんや?何の罪があるんや?怒りや悔しさを抑えることができませんでした。
ただ、これで諦めるわけにはいきません。選手会がついにスト覚悟の交渉に打って出たのです。
1回目の交渉は土壇場で一時休戦がなり、ストは回避。土日の千葉マリン決戦は文字通りの死闘でした。テレビ中継を見るすべのない私はYahoo!、goo、ニッカンのネット中継をザッピングしていましたが、それだけでも選手やスタジアムに詰め掛けたファンの必死の姿が見えてくるようでした。
しかし翌週の交渉は決裂。ストライキが現実のものとなりました。あの時の古田選手会長の涙は忘れません。
そして3回目の交渉によって妥結が成立。経営陣はかなり歩み寄ってきたように見えましたし、メディアでは選手会側の勝利ともてはやす人もいました。
しかし、バファローズとブルーウェーブの合併を食い止めることは、ついにできませんでした。
私が戦ったのは別に球団の数合わせのためではありません。12球団制、そりゃ10や11よりは絶対にいいですよ。球団を減らしてまでパを存続させたいわけじゃないけど、残せるものなら残った方がいいに決まってます。
ただ、私はあくまでもバファローズとブルーウェーブを残すために署名もしたわけですし、このブログや様々なところで、足りない頭を必死に使って拙い意見を吐いてきたのです。
ですが……私の願いは潰え去りました。諦めも悪ければ物分かりも悪い私はそれでも一縷の望みを持ち続けてはいましたが、それも空しいことでしかありませんでした。
その後もいろんなことがありました。死闘に次ぐ死闘となったプレーオフと日本シリーズ、東北楽天の参入決定と分配ドラフト、このブログで何度も取り扱った岩隈問題、西武グループの混乱とホークスの譲渡……
それらについても触れた方がいいのかも知れませんが、字数制限というものもありますし、ここでは止めておくことにします。ご関心のある方はそれぞれについての当ブログの記事をお読みいただけると嬉しいです。
今のパ・リーグやプロ野球の状況は、いうならホラー映画のラストシーンのようなものに思えます。
主要な役どころ2人の犠牲の上で、悪霊を何とか撃退し、明るい結末になるかと思いきや、消え去ったはずの悪霊の影が画面に映し出され、続編の存在を予感させる、そんなラストシーンです。
しかし、この悪霊を甦らせるわけにはいかない。バファローズ・ブルーウェーブの犠牲を無駄にしてはならない。そうである以上、「たかがファン」にできることはやらなければ。
悔しさは残りますが、もうこれ以上後ろを振り返ってもどうしようもない。なら、前を向くしかない。今年の怒りや悲しみは胸にしまって、来季もファイターズとパ・リーグを応援し続けよう。
来季こそは誰もが野球と関係ない不条理に苦しめられないで済むように。理不尽さに悔しい思いを味わわないように。そして来季こそは、これまでで最高のシーズンになるように。
ただ、そのためにも……
2004年を忘れない。私は、絶対に。
今年当ブログをご覧いただいた皆さんに心から感謝申し上げます。
(イラストはずたたんさんのフリーイラスト集よりお借りしました。)
門田さんのお元気そうなお顔を拝見できて嬉しかったです。
ホークスドリームには大阪の人間として期待してますし、
こちらこそ、今後ともよろしくお願いしますね。
大阪ホークスドリームの運営プロデュースもさせてもろてます
blog立花早苗ご覧頂けたら幸いです
よろしゅうにお願い致します
さて、旧年中は本当にお世話になりました。ずたたんさんのイラストには当ブログもずいぶん助けていただきました。
今年もずたたんさんの楽しいイラストの数々を期待しております。
本年もよろしくお願いします。
ただ、過去はもうどうしようもないですし、せめて未来だけは何とかしないといけないというのが私の願いです。
せめて、これで終わりにしたい。私も全く同じ思いです。
悔しいことは昨年(2004年)までに閉じ込められ、今年からはすばらしい球界になるよう、私も微力ながらできることをしていきたいと思います。
本年もよろしくお願いします。
来年はすばらしいプロ野球界への道が開ければいいと思います。
さて…
今年はいろいろありがとうございました。
とても楽しかったです。
(賞状もいただきましたし(笑))
来年もどうぞよろしくお願いします。
良いお年を!!
フリューゲルスを失った1998年。
バファローズとブルーウェーブを失った2004年。
今年ほど
本当にスポーツを楽しめるようになるまで、
あと幾つの球団を失う必要があるのかと
絶望した年は私の人生ではなかったでしょう。
せめて、これで終わりにしたい。
2005年も油断できません。
これ以上球団を失うのは自分自身が辛いので、
できる限り声を出していきたいと思います。
来年もよろしくお願い申し上げます。
来年もどうぞよろしくお願いします。
ただ、今年の経験はファンが団結して声をあげることの大事さも示してくれたような気がします。
我々も頑張らないといけませんよね。
来年がいい年になりますように。
来年もまたよろしくお願いします。
忘れようにも忘れようもない、同時に思い出したくもないような'04年でしたが、明けない夜がないように来年は必ず今年の教訓をしっかり活かせていけるような年になることを祈ってます。
いや、祈るだけではなく、もっと能動的に我々から声を出していく必要があることも承知しております。
こんな自分でも微かながら力になることが出来るんだと言い聞かせながら大晦日の夜を過ごしております。
ガンバレプロ野球!
我々もガンバルから!
そしてジョーンズさんにとってもよい1年になることを祈っております。
あらためて、来年もよろしくお願いします。m(__)m
記事では「バファローズ・ブルーウェーブの犠牲を無駄にしてはならない」と書いたのですが、正直申せばそうでも思わなければやってられないというのが本当の私の気持ちです。
ただ、2つの球団が消え去ったのに何も変わらなかったでは話になりません。プロ野球ファンとしても関西人としても、せめてこれを契機に球界が生まれ変わってほしい、そう願うよりありません。
来年もよろしくお願いします。
そうでなければ、「球界の発展のために今回はこの戦いに幕を下ろすことにしました」と言った磯部選手の苦渋の決断が生かされないでしょうから。
来年もよろしくお願いします。
以上。
ただ、だからこそ来季はファンが主体となって盛り上げるということが何より必要なのだと思います。
来年もよろしくお願いします。
合併発表以来、ドームに通うために友人の誘いを断りまくったり、もうひとつの楽しみであるライブの数を削減したり…この半年、好きな筈の野球をどうして泣きながら見なければならないのかと苦しみ続けました。
まだ、その日々を振り返るたび、もっとなにかできたことがあったのではないかという後悔と悔しさで涙が溢れます。
そんな中、当事者でない他球団ファンの方がたくさん勇気を下さったことも、私は一生忘れないでしょう。
まだ自分の口からは、バファローズとブルーウェーブの犠牲も良き球界のための礎になった、だなんて綺麗な言葉は出せそうにありませんが、いつかそんな日が来るよう良き球界へと変わっていってもらいたいものです。
ともあれ、今年1年ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
今ならまだ登録件数が少ないので
人気・アクセス共にランキング上位は
間違いございません。
ぜひこの機会にご参加ください。
http://blog-s.s101.xrea.com/
球界再編はまだまだわかりませんね。
ソフトバンクもやってることは基本的には巨人の轍を踏んでいるようですし、選手の年棒も高騰が続いてますね。
そんなこんなですが、来年もよろしくお願いします。
来年はある意味では正念場とも言えそうですが、不快な連中相手の不快な戦いに明け暮れた今年と違い、来年は「プロ野球やパ・リーグをいかに盛り上げるか」という戦いになると思っています。
>なかよしになったひと みんなで たのしいシナリオ つくるですよー。
そうですよね。私もこれからブログ企画をいろいろ考えないと(^^)
ことし みんな ないたです。
せんしゅも ファンも みんなです。です。
みんな いっしょに おなじこと いのったです。
こころは ひとつ リーグは ふたつ。
だめかもしれない みんな そうおもったです。
でも おもったけど あきらめなかったですよー。
しらないひと ちがうチームのファンのひと
だれかが いつも はげましてくれたですよー。
ぜんぶのチーム ぜんぶのせんしゅ
どうどうと やきゅうで かつやくしたですよー。
みんな おこってるのに みんな なきたいのに
てきどうしだったひとまで ささえあったですよー。
みんな うんと なかよしに なったですよー。
みんな これからも なかよしするですよー。
だから やきゅうの かみさま たすけてくれたです。
チームのかず へらそうとした わるいひとたち
やきゅうと かんけいないとこで やってきた わるいこと
どんどん ばれちゃったです。
わるいひとたち たすけてた ぎんこうや かいしゃに
どんどん みすてられちゃったです。
やきゅうで わるいことするときは なかよしだったのに
みんな ワガママになって けんかしちゃったです。
いろんな わるいたくらみ しっぱいしちゃったです。
もう わるいたくらみ できなくなっちゃったです。
たった はんとしで まー まほうみたいです。
やきゅうの かみさま まほう つかってくれたです。
みんな つらくても つらくても まえをむいたですの。
なかよしになったひと みんなと たすけあったですの。
だから やきゅうの かみさま こたえてくれたですの。
ことしは やきゅうのだいすきな ひとたちが ひとつになったとし。
やきゅうをわるくする ひとたちが ばらばらになったとし。
やきゅうの かみさま わるいシナリオを なくしてくれたです。
こわいえいがの シナリオ なくなりましたよー。
まー かみさまから ふゆやすみの しゅくだいです。
なかよしになったひと みんなで たのしいシナリオ つくるですよー。
くやしがったり かなしがったりするひま ないですよー。
たのしいことで もう おおいそがしですよー。
ありがとございますた。RROSEですた。