宮内駅をあとにして、もっちぃ列車で荒砥に向かっている。
今泉駅では映画「スウィングガールズ」の列車とすれ違った。この映画は山形鉄道が走る山形県置賜(おきたま)地方を中心にロケが行われたのだそうだ。
この列車も登場当時は話題を集めたのだろうが、すでに公開から何年も経過している。山形鉄道は新たなヒロインを求めていた。それがもっちぃだったのだ。
羽前成田駅はいかにも国鉄という感じの木造駅舎を今に残す。いくつもの風車が旅情を誘う。
次は白兎駅。いかにもな名前のこの駅は、山形鉄道発足翌年に設置された比較的新しい駅である。田んぼの真ん中にぽつんと置かれた無人駅であるが、待合室にうさぎの耳が描かれているのは見逃せない。
列車はさらに10分ほど進み、最上川を渡ったところで終点の荒砥駅に着いた。
夕暮れ時の荒砥駅舎。2003年にリニューアルされた駅舎は、鉄道が開通した大正末期を髣髴とさせる洋館風の建物になっている。
じっくり駅舎を見たかったが、残念ながら折り返しの時間があまりない。写真を撮るだけ撮り、帰りの切符を買ってホームに戻る。
折り返しの列車に乗るので、帰りももっちぃ列車である。
南陽側正面のイラスト。こちらは正真正銘、もっちぃのイラストになっている。
側面はもっちぃ列車II同様、イラストでいっぱい。
もっちぃ列車IIでも見かけた窓下のイラスト。
やはり「うさてつ」。山形鉄道のアイデンティティは、もはやうさぎのようである。
さて、荒砥からの帰りは南陽まで行くのではなく、途中の今泉でJR米坂線に乗り換えることにした。
もっちぃたちのいる宮内を外れることになるが、途中下車する時間もないし、何より時間から考えて、もっちぃたちはすでに退勤した後なので、意味がないのだ。
今泉駅に着いた。うさてつ、もとい山形鉄道の旅もここまで。名残惜しいが、いずれまた訪れる日も来よう。わずかな乗り換え時間の間に、何とか駅舎を収める。
急いで米坂線のホームに向かうと、東北のローカル線ではすっかりおなじみになった、白と黄緑のディーゼルカーが待っていた。
ディーゼルカーに何とか乗り込み、30分ほどで米沢に着いた。米沢駅の駅舎もハイカラな洋館風の建物である。
ここからは福島行の電車に乗るのだが、少々時間がある。せっかくなので、駅内のそば屋で「だしそば」を頂くことにした。
「だし」といっても出汁のことではなく、そばの上に載っている緑色のものがそれである。キュウリやネギなどをみじん切りにしたもので、そばにも合うがご飯にも合いそうだし、酒の肴にもきっと合うに違いない。
福島行の電車がやってきた。米沢から福島は新幹線「つばさ」の本数は多いものの、普通は一日わずか数本。青春18きっぷや北海道・東日本パスで旅する者を泣かせる区間である。
ただ、事前のスケジュール作成に苦労した甲斐があり、なんとか普通に乗ることができた。新幹線なら運賃プラス特急料金が必要だし、そんな出費をしている余裕はないので本当に助かった。
電車は米沢を出ると、急な勾配が続く板谷峠越えに臨む。といっても、新幹線を通す際に路線が改良されたので、峠越えもあっさりしたものだ。その分風情がない、とも言うが。
福島に着いた時にはすでに日は暮れていた。ここから福島交通飯坂線、通称「飯坂電車」で今宵の宿、飯坂温泉を目指す。
福島からの電車は、駅を出たと思えばもう次の駅に着くせわしなさで、20分ちょっとコトコト走って終点の飯坂温泉駅に着いた。
駅の改札を抜けたところには、こんな神輿が置いてあった。
飯坂温泉駅。温泉街の玄関口にふさわしい風情のある駅舎だ。
向かいにある「遊戯場」。何かと思ってよく見るとパチンコ屋であった。温泉街の雰囲気に合わせた建物になっていることに安堵を覚える。
ここから歩いて宿に向かい、チェックインした。ただ「飯坂温泉は負けない!」という言葉とは裏腹に、宿からはあまり活気が感じられない。
あるいは、私が旅館の歓迎するタイプの客ではなかったからかも知れないとも思った。素泊まりで日が暮れてからやってきて、翌朝早く出発されるのでは、空き室を埋める以外のメリットはないわけだし。
しかし、どうもそれだけとも思えない。そう思いつつまた宿の窓から外を眺めてみると、廃業したホテルの跡が目に入った。解体するわけにもいかないのだろう、廃墟とまではいかないまでも放置されて久しくは見える。
あるいは、飯坂温泉は大震災の以前から賑わいが薄れてきつつあったのかも知れない。そこに大震災と原発事故が追い討ちをかけたのが実際ではないか。むろん、ただの追い討ちというにはあまりに過酷なものだが……
昭和から取り残されたような宿の中で、私はただ、変化というものの厳しさを思っていた。
【本日の旅程】大阪空港→仙台空港→仙台→山形→左沢→山形→南陽→宮内→荒砥→今泉→米沢→福島→飯坂温泉
今泉駅では映画「スウィングガールズ」の列車とすれ違った。この映画は山形鉄道が走る山形県置賜(おきたま)地方を中心にロケが行われたのだそうだ。
スウィングガールズ プレミアム・エディション [DVD] | |
クリエーター情報なし | |
東宝 |
この列車も登場当時は話題を集めたのだろうが、すでに公開から何年も経過している。山形鉄道は新たなヒロインを求めていた。それがもっちぃだったのだ。
羽前成田駅はいかにも国鉄という感じの木造駅舎を今に残す。いくつもの風車が旅情を誘う。
次は白兎駅。いかにもな名前のこの駅は、山形鉄道発足翌年に設置された比較的新しい駅である。田んぼの真ん中にぽつんと置かれた無人駅であるが、待合室にうさぎの耳が描かれているのは見逃せない。
列車はさらに10分ほど進み、最上川を渡ったところで終点の荒砥駅に着いた。
夕暮れ時の荒砥駅舎。2003年にリニューアルされた駅舎は、鉄道が開通した大正末期を髣髴とさせる洋館風の建物になっている。
じっくり駅舎を見たかったが、残念ながら折り返しの時間があまりない。写真を撮るだけ撮り、帰りの切符を買ってホームに戻る。
折り返しの列車に乗るので、帰りももっちぃ列車である。
南陽側正面のイラスト。こちらは正真正銘、もっちぃのイラストになっている。
側面はもっちぃ列車II同様、イラストでいっぱい。
もっちぃ列車IIでも見かけた窓下のイラスト。
やはり「うさてつ」。山形鉄道のアイデンティティは、もはやうさぎのようである。
さて、荒砥からの帰りは南陽まで行くのではなく、途中の今泉でJR米坂線に乗り換えることにした。
もっちぃたちのいる宮内を外れることになるが、途中下車する時間もないし、何より時間から考えて、もっちぃたちはすでに退勤した後なので、意味がないのだ。
今泉駅に着いた。うさてつ、もとい山形鉄道の旅もここまで。名残惜しいが、いずれまた訪れる日も来よう。わずかな乗り換え時間の間に、何とか駅舎を収める。
急いで米坂線のホームに向かうと、東北のローカル線ではすっかりおなじみになった、白と黄緑のディーゼルカーが待っていた。
ディーゼルカーに何とか乗り込み、30分ほどで米沢に着いた。米沢駅の駅舎もハイカラな洋館風の建物である。
ここからは福島行の電車に乗るのだが、少々時間がある。せっかくなので、駅内のそば屋で「だしそば」を頂くことにした。
「だし」といっても出汁のことではなく、そばの上に載っている緑色のものがそれである。キュウリやネギなどをみじん切りにしたもので、そばにも合うがご飯にも合いそうだし、酒の肴にもきっと合うに違いない。
福島行の電車がやってきた。米沢から福島は新幹線「つばさ」の本数は多いものの、普通は一日わずか数本。青春18きっぷや北海道・東日本パスで旅する者を泣かせる区間である。
ただ、事前のスケジュール作成に苦労した甲斐があり、なんとか普通に乗ることができた。新幹線なら運賃プラス特急料金が必要だし、そんな出費をしている余裕はないので本当に助かった。
電車は米沢を出ると、急な勾配が続く板谷峠越えに臨む。といっても、新幹線を通す際に路線が改良されたので、峠越えもあっさりしたものだ。その分風情がない、とも言うが。
福島に着いた時にはすでに日は暮れていた。ここから福島交通飯坂線、通称「飯坂電車」で今宵の宿、飯坂温泉を目指す。
福島からの電車は、駅を出たと思えばもう次の駅に着くせわしなさで、20分ちょっとコトコト走って終点の飯坂温泉駅に着いた。
駅の改札を抜けたところには、こんな神輿が置いてあった。
飯坂温泉駅。温泉街の玄関口にふさわしい風情のある駅舎だ。
向かいにある「遊戯場」。何かと思ってよく見るとパチンコ屋であった。温泉街の雰囲気に合わせた建物になっていることに安堵を覚える。
ここから歩いて宿に向かい、チェックインした。ただ「飯坂温泉は負けない!」という言葉とは裏腹に、宿からはあまり活気が感じられない。
あるいは、私が旅館の歓迎するタイプの客ではなかったからかも知れないとも思った。素泊まりで日が暮れてからやってきて、翌朝早く出発されるのでは、空き室を埋める以外のメリットはないわけだし。
しかし、どうもそれだけとも思えない。そう思いつつまた宿の窓から外を眺めてみると、廃業したホテルの跡が目に入った。解体するわけにもいかないのだろう、廃墟とまではいかないまでも放置されて久しくは見える。
あるいは、飯坂温泉は大震災の以前から賑わいが薄れてきつつあったのかも知れない。そこに大震災と原発事故が追い討ちをかけたのが実際ではないか。むろん、ただの追い討ちというにはあまりに過酷なものだが……
昭和から取り残されたような宿の中で、私はただ、変化というものの厳しさを思っていた。
【本日の旅程】大阪空港→仙台空港→仙台→山形→左沢→山形→南陽→宮内→荒砥→今泉→米沢→福島→飯坂温泉
中国人団体を当てにしたり、素泊まりのような値段で食事はバイキング(おそらく関西でよくスポットCMが流れていると思います)、あるいは少数の客しか泊めず、1泊3万以上で部屋に露天風呂の高級旅館、という二極分化があるように思います。
飯坂は福島市、仙台市、山形市からのアクセスが良かったが故に往時は団体旅行が多かったでしょうね(基本的に東北は兼業農家がやっている建設業関係が多かったと思う)。
今はそんな時代ではなくなってしまったんですよね。
時代の変化についていけない施設が、そのまま廃業に追い込まれるのでしょう。
ただ、それを放置していたのでは、風景やイメージの悪化によって、
他の施設もあおりを喰うわけで、温泉場全体の取り組みが必要だと思います。
飯坂温泉に関しては、お湯自体は良かっただけに見ていて辛かったです。
しかしバブル崩壊後、○○は廃墟の山の地獄絵巻の残酷物語。時代遅れ、田舎、寂れていると馬鹿にされていたほうは人気の観光地に。九州黒川温泉、湯布院と別府の落差もそうでしょうが、消費者の嗜好の変化は残酷に地域に襲い掛かります。観光業界残酷物語です。
逆に投資らしい投資をしなかった(できなかった)ところがほぼ無傷で生き残るのは、
観光業でも他の業種でもあるようですね。
関西だと温泉場が決して多くないので、その辺は詳しくないのですが、
他業種では巨大企業近鉄がリストラの嵐、阪急が多額の有利子負債を抱える一方、
「マラソン電車」と揶揄された阪神が健全経営で注目されることもありましたし。