翌朝は直江津で早々に目が覚めた。寝て過ごすための寝台特急だが、もうすぐ廃止なのだから、寝る時間も惜しいぐらいだ。
ただ、特にすることもないので、しばらくうつらうつらとしていると、金沢を出てから車内放送が始まった。
車内の灯もつき、「日本海」にも朝がきた。
金沢の次の加賀温泉で、車内販売が始まったというアナウンスがあった。
かつては寝台列車の多くに食堂車がついていたが、「日本海」ではとうの昔に廃止されている。車内販売も朝の一部区間だけしかない。
とはいえ、車内販売なのだから待っていれば必ず来るとタカをくくっていたら、周りの乗客は自分から買いに行っている。
そこまでしなくても、と思っていたら、ある乗客から「弁当はもう2種類しか残ってませんよ」という話を聞いた。それはいかん!慌てて車内販売を探す。
寝台車のデッキ。どの車両も、乗降口との間がドアで仕切られている。
車両を乗り移って車内販売を探す。
車両の扉に掲げられた「日本海」の表示幕。この車両が先頭に来ることもあるのだろうか。
ようやく車内販売を見つけてみると、残っていた駅弁は1種類、それも売り切れ寸前だった。あの乗客の話がなければ、朝食にあぶれていたと思うとぞっとする。
とはいうものの、朝からそんなにたくさん食べるわけでもない。1食だけ買って、妻と分けることにした。
そうこうするうちに、列車は敦賀まで来た。関西は目と鼻の先、あと少しで「日本海」の旅も終わってしまうと思うと寂しさが増す。
ただ、敦賀ではビッグイベントがある。機関車の付け替えがあるのだ。
青森からここまで列車を引っ張ってきた機関車。ここで仕事を終え、別の機関車に付け替えとなる。
いったん切り離された客車。
なぜか表示幕が「はやぶさ」になっている。当然新幹線ではなく、寝台特急である。
こちらの「はやぶさ」は、かつて東京から西鹿児島(現鹿児島中央、のちに熊本までに短縮)を結んでいた、寝台特急の代表格の1つだったのだ。私も憧れたし、関西住まいの身を嘆いたこともあった。
それだけに、「はやぶさ」と言えばこの寝台特急のイメージが強いし、この名前が東北新幹線で使われると聞いた時には強い違和感を覚えたし、大きな疑問も感じた。
おそらく、この違和感も疑問も、一生消えることはないだろう。
機関車は客車から離れ、1両だけで回送されていく。
となりに同じEF81が止まっている横を、そのまま回送されていく。
去って行った機関車。ここからはおそらく隣の機関車がつながれるのだろう。
と思いきや、別の機関車が現れた。形式としては同じEF81だが、塗装はトワイライトエクスプレスのものである。
ただ、塗装がトワイライトエクスプレスだからと言って、他に使ってはいけないという規則はない。しかも「日本海」のヘッドマークもついている。どうやら大阪までは、こちらの機関車が引っ張るようだ。
作業員の誘導で近づいてくる機関車。ホームには鈴なりの人である。
もうすぐ連結。
まずは連結器がつながった。さらにブレーキや電気をつないでいくことになる。
一通り作業終了。これで大阪に向けて準備オーケー。
発車までもう少しだけ時間がある。ここから残りの区間を率いる機関車の雄姿である。
再び列車に乗り込み、車内から連結面を撮ってみた。
まだ時間があったので、もう一度だけ降りて、ゆうべうまく撮れなかった表示幕を取り直す。
寝台特急日本海大阪行。大阪はもうすぐ。いよいよ終わりが近づいてきた。
ただ、特にすることもないので、しばらくうつらうつらとしていると、金沢を出てから車内放送が始まった。
車内の灯もつき、「日本海」にも朝がきた。
金沢の次の加賀温泉で、車内販売が始まったというアナウンスがあった。
かつては寝台列車の多くに食堂車がついていたが、「日本海」ではとうの昔に廃止されている。車内販売も朝の一部区間だけしかない。
とはいえ、車内販売なのだから待っていれば必ず来るとタカをくくっていたら、周りの乗客は自分から買いに行っている。
そこまでしなくても、と思っていたら、ある乗客から「弁当はもう2種類しか残ってませんよ」という話を聞いた。それはいかん!慌てて車内販売を探す。
寝台車のデッキ。どの車両も、乗降口との間がドアで仕切られている。
車両を乗り移って車内販売を探す。
車両の扉に掲げられた「日本海」の表示幕。この車両が先頭に来ることもあるのだろうか。
ようやく車内販売を見つけてみると、残っていた駅弁は1種類、それも売り切れ寸前だった。あの乗客の話がなければ、朝食にあぶれていたと思うとぞっとする。
とはいうものの、朝からそんなにたくさん食べるわけでもない。1食だけ買って、妻と分けることにした。
そうこうするうちに、列車は敦賀まで来た。関西は目と鼻の先、あと少しで「日本海」の旅も終わってしまうと思うと寂しさが増す。
ただ、敦賀ではビッグイベントがある。機関車の付け替えがあるのだ。
青森からここまで列車を引っ張ってきた機関車。ここで仕事を終え、別の機関車に付け替えとなる。
いったん切り離された客車。
なぜか表示幕が「はやぶさ」になっている。当然新幹線ではなく、寝台特急である。
こちらの「はやぶさ」は、かつて東京から西鹿児島(現鹿児島中央、のちに熊本までに短縮)を結んでいた、寝台特急の代表格の1つだったのだ。私も憧れたし、関西住まいの身を嘆いたこともあった。
それだけに、「はやぶさ」と言えばこの寝台特急のイメージが強いし、この名前が東北新幹線で使われると聞いた時には強い違和感を覚えたし、大きな疑問も感じた。
おそらく、この違和感も疑問も、一生消えることはないだろう。
機関車は客車から離れ、1両だけで回送されていく。
となりに同じEF81が止まっている横を、そのまま回送されていく。
去って行った機関車。ここからはおそらく隣の機関車がつながれるのだろう。
と思いきや、別の機関車が現れた。形式としては同じEF81だが、塗装はトワイライトエクスプレスのものである。
ただ、塗装がトワイライトエクスプレスだからと言って、他に使ってはいけないという規則はない。しかも「日本海」のヘッドマークもついている。どうやら大阪までは、こちらの機関車が引っ張るようだ。
作業員の誘導で近づいてくる機関車。ホームには鈴なりの人である。
もうすぐ連結。
まずは連結器がつながった。さらにブレーキや電気をつないでいくことになる。
一通り作業終了。これで大阪に向けて準備オーケー。
発車までもう少しだけ時間がある。ここから残りの区間を率いる機関車の雄姿である。
再び列車に乗り込み、車内から連結面を撮ってみた。
まだ時間があったので、もう一度だけ降りて、ゆうべうまく撮れなかった表示幕を取り直す。
寝台特急日本海大阪行。大阪はもうすぐ。いよいよ終わりが近づいてきた。
まだ「日本海」が1日2便だった頃は、青森を早めに出て大阪にも早く着く便がありましたし。
そちらだったら到着時間が早いので、車内販売がなかった可能性が大です。
ともあれ、この時期は1時間遅れてでも運転さえしてくれれば、
ぐらいに思っておくのが良いと、先日実感したばかりです(笑)
山形あたりから雪と風の影響で、動いたり止まったりを繰り返すようになりました。
最終的には、1時間程度の遅れで大阪へ到着しましたが、
前の夜に乗り込むときに朝の食料を買わずに乗り込んだこともあり、
折り悪く、この日が仕事始めだった母親は、
ろくに食事を取らず出勤する羽目に。
子どもながらに、読みの甘さを後悔した記憶があります。
車内販売は来ていなかったのか、それとも来ていたけれどスルーしていたのか。
今となっては分かりません。