壇上伽藍をぶらりと歩いてみました~~!!
まずトップの写真が「根本大塔」です。
この日は天気がさほど良くなく、根本大塔の写りが微妙って事で、ライトアップされた姿を撮影してみました。これだと天気関係ないからね!!
「根本大塔」は
弘法大師空海上人が最初に開かれ、壇上伽藍の中心にあるのが根本大塔です。
壇上伽藍の中心で八葉の峰々の中央に座し真言密教の根本。
残念なことに、落雷に合い消失の憂き目をみています。
現在の大塔は昭和12年、過去の記録をもとに再建されたものだそうだ。
高さ48.5m、四方各25mの建物。そりゃでかいわけだ!!
風のある日には九輪から吊り下げられた風鐸が、カラカラと音をたてているそうです。この日は無風だったのでそういうことも気になりませんでしたね。
内部には、胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏を安置。
この諸仏の配置は真言宗の根本経典である「大日経」「金剛頂経」によっており、両者が不二であることを象徴するもの。
16本の柱には堂本印象画伯の筆になる十六大菩薩、壁には真言八祖像を描いていました。
見学はできるので一回りしてくるといいですね!!でも撮影は禁止です!!
「六角径蔵」
金堂の西南方に建つ六角形の経蔵で「荒川経蔵」とも呼ばれているそう。
で、荒川経は3560巻が現存(重文)、経文とともに表紙の唐草模様や見返しの絵が、全て金泥でかかれているそうで、基壇の上のところに、把手がついており、回すことができるんですよ!!
これを廻せば一切経典読の御利益があると云われています。
が、こいつは1人じゃ絶対押せない!!
6人ほどそろわないと無理なくらい重いです!!力自慢が集まれば数人で行けるとは思いますが…
「御影堂」
宝形造り五間四面の桧皮葺の建築物です。
弘法大師の持仏堂、念誦堂ともいわれるお堂ですが、「御影堂」の名は、真如親王の御筆になる大師御影(秘仏)を安置したところによるものです。
旧暦3月21日「旧正御影供」の前日の御逮夜には、年に一度だけ一般の方の御影堂内へのお参りができます。
冬の高野山の紹介とかの写真で結構出てきますね~~。
「御社」
弘仁10年(819)、弘法大師空海上人が山麓天野の地から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされたものです。大師は伽藍諸堂の建設に先立ち、この鎮守明神の社殿を建立されました。社殿は、流れ造りの一社、春日造りの二社の三殿があり、一宮は丹生明神(丹生都比売命)、二宮は高野明神(狩場明神、丹生明神の御子)、三宮は十二王子百二十伴神が祀られています。
現在の社殿は文禄3年(1594)の再建で重要文化財に指定されています。
「東塔」
伽藍の東端に建つ塔です。
現在の建物は昭和59年(1984)、弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業の一環として、残されていた図面を参考に再建されたものです。
尊勝仏頂尊、不動明王、降三世明王を祀っています。
「西塔」
壇上伽藍建立の基本計画によれば、講堂(金堂)をはさんで根本大塔ともう一基の塔を建て大日如来の密教世界を具体的に表現展開する、という構想があったそうです。
そのもう一基の塔がこの西塔ですが、その建設は少し遅れ、規模も大塔より縮小されています。光考天皇の勅命で、傳燈国師真然大徳が仁和3年(887)創建されました。大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、西塔では金剛界大日如来がお祀りされているそうです。
「愛染堂」
修行中のお坊さんの卵だそうです。
読経していました。お経の声が壇上伽藍に響き雰囲気を作り出していました。
読経が終わると駆け足で「大会堂」へ
そこでも経を読み、次々と回っているのでしょう。気がつけば姿がありませんでした。
まずトップの写真が「根本大塔」です。
この日は天気がさほど良くなく、根本大塔の写りが微妙って事で、ライトアップされた姿を撮影してみました。これだと天気関係ないからね!!
「根本大塔」は
弘法大師空海上人が最初に開かれ、壇上伽藍の中心にあるのが根本大塔です。
壇上伽藍の中心で八葉の峰々の中央に座し真言密教の根本。
残念なことに、落雷に合い消失の憂き目をみています。
現在の大塔は昭和12年、過去の記録をもとに再建されたものだそうだ。
高さ48.5m、四方各25mの建物。そりゃでかいわけだ!!
風のある日には九輪から吊り下げられた風鐸が、カラカラと音をたてているそうです。この日は無風だったのでそういうことも気になりませんでしたね。
内部には、胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏を安置。
この諸仏の配置は真言宗の根本経典である「大日経」「金剛頂経」によっており、両者が不二であることを象徴するもの。
16本の柱には堂本印象画伯の筆になる十六大菩薩、壁には真言八祖像を描いていました。
見学はできるので一回りしてくるといいですね!!でも撮影は禁止です!!
「六角径蔵」
金堂の西南方に建つ六角形の経蔵で「荒川経蔵」とも呼ばれているそう。
で、荒川経は3560巻が現存(重文)、経文とともに表紙の唐草模様や見返しの絵が、全て金泥でかかれているそうで、基壇の上のところに、把手がついており、回すことができるんですよ!!
これを廻せば一切経典読の御利益があると云われています。
が、こいつは1人じゃ絶対押せない!!
6人ほどそろわないと無理なくらい重いです!!力自慢が集まれば数人で行けるとは思いますが…
「御影堂」
宝形造り五間四面の桧皮葺の建築物です。
弘法大師の持仏堂、念誦堂ともいわれるお堂ですが、「御影堂」の名は、真如親王の御筆になる大師御影(秘仏)を安置したところによるものです。
旧暦3月21日「旧正御影供」の前日の御逮夜には、年に一度だけ一般の方の御影堂内へのお参りができます。
冬の高野山の紹介とかの写真で結構出てきますね~~。
「御社」
弘仁10年(819)、弘法大師空海上人が山麓天野の地から地主神として勧請し、高野山の鎮守とされたものです。大師は伽藍諸堂の建設に先立ち、この鎮守明神の社殿を建立されました。社殿は、流れ造りの一社、春日造りの二社の三殿があり、一宮は丹生明神(丹生都比売命)、二宮は高野明神(狩場明神、丹生明神の御子)、三宮は十二王子百二十伴神が祀られています。
現在の社殿は文禄3年(1594)の再建で重要文化財に指定されています。
「東塔」
伽藍の東端に建つ塔です。
現在の建物は昭和59年(1984)、弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業の一環として、残されていた図面を参考に再建されたものです。
尊勝仏頂尊、不動明王、降三世明王を祀っています。
「西塔」
壇上伽藍建立の基本計画によれば、講堂(金堂)をはさんで根本大塔ともう一基の塔を建て大日如来の密教世界を具体的に表現展開する、という構想があったそうです。
そのもう一基の塔がこの西塔ですが、その建設は少し遅れ、規模も大塔より縮小されています。光考天皇の勅命で、傳燈国師真然大徳が仁和3年(887)創建されました。大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、西塔では金剛界大日如来がお祀りされているそうです。
「愛染堂」
修行中のお坊さんの卵だそうです。
読経していました。お経の声が壇上伽藍に響き雰囲気を作り出していました。
読経が終わると駆け足で「大会堂」へ
そこでも経を読み、次々と回っているのでしょう。気がつけば姿がありませんでした。
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