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高野 奥の院を歩く

2010年11月19日 | 和歌山の事
小雨の中 
奥の院を歩いてみました。

しっとりとした空気、ひんやりした空気。

高野奥の院のイメージにぴったりの雰囲気。



奥の院は、地表と川と橋の三重構成になっており、橋を渡ってからは死後の世界、その下を流れる川を「三途の川」に見立てているんだそうです。
皇室・貴族関係をはじめ、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)などの宗派をこえた各宗派の開祖、文人、庶民にいたるまであらゆる階層の人々が供養塔を建立しているんだそうです。
各種団体も、戦死者・戦没者の供養塔を建て、大平洋戦争の犠牲者を祀る英霊殿などが並んでいる。

楽書塚


司馬遼太郎


こういうユーモアあふれたものから動物の供養塔もあり、白蟻の墓、フグ供養塔、犬や猫や蚊や虫などの「交通事故精霊の碑」などというものまである。

UCCだったか、コーヒーカップがあり中にはコーヒーが入ってました(>_
空海が腰を掛けたといわれています。

姿見の井戸

この井戸をのぞき込んで自分の顔が映らないと3年以内に死ぬと言われているんだとか…。あなたはきちんと見えますか?

弘法大師御廟 国史跡史蹟

この奥からは撮影禁止になてます。
早朝に弘法大師のお食事を運ぶところも撮らせてもらいました。
写真は後日…

超がつくくらい有名な戦国武将の供養塔 お墓などがたくさんあります。


薩摩島津家



市川団十郎

現代も続く歌舞伎の市川一門の宗家にして初代である、江戸時代の名優です。

石田三成


伊達正宗

一の橋から中の橋の中間点くらいにある「伊達政宗墓所」


上杉謙信

上杉謙信公は天正6年3月13日春日山城にて没した。
遺骨は甲冑を着け甕に入れ漆で固められ春日山城林泉寺に葬られたが、その後、上杉景勝の移封に伴い会津、そしてさらに米沢城内御堂へと遺骸は運び出され、現在は米沢林泉寺横上杉家廟所に眠っている。
謙信公の墓所は現在この上杉家廟所のほかに、春日山林泉寺、そして高野山奥の院参道に廟がある。また、謙信公は生前、高野山を2度も訪れているんだそうだ。「謙信」の名も高野山の僧に授けられたもので、謙信公にとって高野山は信仰上の聖地であった。そこで、謙信公の忌日に高野山の謙信公廟に参詣し、謙信公の遺徳を偲ぶことにした。

武田信玄


織田信長

信長は高野山を焼こうとしたが現在はこの地に眠っています。
懐の深さを感じますね。
お墓があると言われ続けていたそうで、ここ数十年前に発見されたそうです。

豊臣秀吉



さすがに高野に貢献した方のお墓は敷地面積がデカイし一等地。
しかしそれと比べてやや小さ目の塔がちょっと違和感というか、さみしさがありますね。


安芸 浅野家

忠臣蔵で有名ですね。

加賀前田家 向かい合ったお墓



夫婦でこの地に 隣同士よりも向かい合って配置されているのは、顔が見えるということなんだろうと夫婦愛深さの表れだとおもいます。

紀州初代藩主


紀州二代 三代 四代 六代藩主



紀州七代藩主


興山応其


結城(松平)秀康及び同母霊屋

重要文化財に登録されているそうです。
石を使っているところが当時としては本当に珍しいです。

見真大師(親鸞聖人)




扉が開いて中を見れるのはこれだけらしいですよ。
他宗派をも受け入れる高野の懐の深さには脱帽です。




この日は一緒にまわって頂いた役所の方に色々と教えていただき大変勉強になりました。




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