縄文人の反乱 日本を大事に

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●「三種の神器」

2013年12月04日 00時26分59秒 | 色んな情報

●「三種の神器」
●「三種の神器」を実際に見た話 .http://p.tl/V63c
公開日: 2013/02/07

『高森ウィンドウズ#46』
天皇でさえ実見を許されない「三種の神器」。ところが長い歴史の中には、意外な話が残­されている!

 コメント
●atobe bus
くさなぎの剣は、壇ノ浦の戦いで水没せしたのは嘘だったんですね・・・僕は、平家から脱し、頼朝に。三首の神器を揃えて献上出来なかったから義経は殺された、言うかお役御免的な事になり、仙台市の秋保で静御前と再会し、共に名を捨てて・・・義経の重臣含め、新しい地で余生を過ごしたと思ってました。恐らく、頼朝も、玉も鏡もバラバラに隠して朝廷に献上してないと思います。偽物を献上したのじゃないかな・・・玉は穏やかな四季、環境をつかさどり。鏡は人々の営み、愛や情、生活をつかさどり。剣は防衛、攻撃や破壊をとかさどり、三つ合わせて平和なんじゃないかな・・・頼朝が三種の神器を朝廷に献上したなら頼朝は殺されてたかもだし、戦国時代も起きなかったかもしれない・・・たぶん、織田信長は見つけたし、千利休も見つけたんじゃないかな・・・家康は朝廷の側近に玉と鏡があることを伝え、剣は無いと、内密に報告したんじゃないかな・・・そして現在・・・天皇のもとに一つも残って無いはずです。でも、どこかにバラバラに保管されてるニャ~♪ 三つとも健在だニャ~
 
●yasaka Keiji
みだりに神宝を口に述べるな! それは神の名をみだりに呼ぶな・・・というモーセの神話にみられる世界共通の信仰。 三種の神器とはいうものそれぞれの名称はあくまでも通称ではないか、「~そのような」という類だろうと思われる。 形容したゆえに「八つの値の大きさの鏡」とか「神が草をなぎ払っ他という伝承の剣」とか「八尺瓊勾玉」は読んで字のごとし、八は縁起のよい値であり「瓊」は瑪瑙であり「大きなメノウの勾玉」という通称である。 本来は物部神宝「十種神宝」(とくさのかむたから)とおなじく神と同じく声に出せば霊力がほとばしるゆえにみだりに呼ばわりをさけて「ありてあるもの」「私と言っている私は私であると言う私」というようなモーセがシナイ山であった神をそのように表現したのは神の名即ち「パスワード」であってみだりには声を上げて名乗れなかった。 神とは名映えを呼ばれると呼ばれた者に支配される・・・というように、神の名を呼べる神主と神の名を呼んで依り代となる神器があって「天皇霊」即ち神霊が宿る・・・。ということだろうと。本来、物とは依り代ではないかと考えられる。
ゆえに、本来、日本神道の神は「木」・・すなわち「高木」を神の依り代であって、神自体ではないが神と数える故に「柱」と神の数を数え奉られる。日本神道の由来が縄文期にまでさかのぼれる所以があり、黒潮海廊文化のポリネシアに浸透する神道の共通点がある。 日本神道には祝詞(チャント)がありその神霊を宿らせる「依り代」があって、そして神の本名を名のることで、神を勧請し召喚して命ずることが出来る・・・それが我が国の天皇陛下にあらせられる。 世界随一の正直者にあらせられる天皇陛下は、その即位において天皇霊を召喚させて見に入れ替わる儀式において、天皇と即位される。ゆえに八百万の天神地祇、聖天、権現九十九神諸々の諸天善神、荒ぶる神にいたるまで、ことごとく頭に立ちそろって、日本の寺社仏閣と日本の仏教を守護し奉る国家鎮護の護法の契約をもって一天四海の静謐を衛護して我が国に荘厳に君臨したまえる。・・・というのが、弱冠十五にして見聞きしてこれを考えて思う総てです。(弥栄え弥栄)
 
●三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのしんき(じんぎ、しんぎ))http://p.tl/xtyU
日本神話において、天孫降臨の時に、瓊瓊杵尊が天照大神から授けられたという鏡・玉・剣のこと。また、神話に登場した神器と同一とされる、あるいはそれになぞらえられる、日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のこと。

三種の宝物とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(草薙剣)を指す。皇族はもとより天皇でさえもその実見はなされておらず、多くの面が謎に包まれている。
 
●天孫降臨(てんそんこうりん)http://p.tl/Im6W
天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、葦原の中つ国を治めるために天降(あまくだ)ったこと。

邇邇藝命は天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、天児屋命(あまのこやねのみこと)などの神々を連れて、高天原から地上へと向かう。途中、猿田毘古神(さるたひこのかみ)が案内をし、邇邇藝命は筑紫の日向(ひむか)の高千穂に降り立ったという、『記紀』に記された日本神話である。
 
●ニニギ(あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎ)http://p.tl/Zw0p 日本神話に登場する神である
・名
『古事記』では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、『日本書紀』では天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵などと表記され、一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命(ににぎのみこと)と書かれる。
 「アメニギシクニニギシ」(天にぎし国にぎし)は「天にも地にも親和的である」の意。
 「アマツヒコ」(天津日高)は神をたたえる美称であり、天津神であることを示す。
 「ヒコ」(日子)は男性のこと。
 「ホノニニギ」は稲穂が豊かに実ることの意。
 「ニニギ」は「ニギニギしい」の意で、「にぎやか」と同語源である。
神話上ニニギの一族とされている上述の天忍穂耳尊や火照命・火闌降命・彦火火出見尊とは名前に稲穂の「ホ」がある点で共通している。
 
●天照大神(あまてらすおおみかみ)http://p.tl/3c7v
日本神話に登場する神。皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされている。
『延喜式』では自然神として神社などに祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。

記紀によれば太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)の一柱とされる。信仰の対象、土地の祭神とされる場所は伊勢神宮が特に有名
 
●八咫鏡(やたのかがみ)http://p.tl/-POW
三種の神器の一つ。金属鏡であったか、石鏡であったか定かではなく、発生年代不詳。『古事記』では、八尺鏡(やたかがみ)と記されている
『古事記』では、高天原の八百万の神々が天の安河に集まって、川上の堅石(かたしは)を金敷にして、金山の鉄を用いて鍛造させたと記されている。 『日本書紀』には、別の名を真経津鏡(まふつの かがみ)ともいうと記されている。単に神鏡(しんきょう)または宝鏡(ほうきょう)とよばれることも多いが「神鏡」や「宝鏡」という言葉は普通名詞であり、八咫鏡だけをさすとは限らないので注意が必要である。 咫(あた)は円周の単位で、0.8尺である。径1尺の円の円周を4咫としていた。したがって「八咫鏡」は直径2尺(46cm 前後)の円鏡を意味する[2]が、桶代(御神体の入れ物)の大きさから考えてもっと小さいはずであり、「八咫(やた)」は単に「大きい」ということを表しているだけで具体的な数値ではないという説もある。

本来は祭祀に用いる鏡を表す一般名詞であったものが、後に三種の神器の一つである鏡を指す固有名詞になったと考えられている。八咫鏡は伊勢神宮のものと皇居のもの(形代)との2つがある。
 
●八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)http://p.tl/JHfa
八咫鏡・天叢雲剣と共に三種の神器(みくさのかむだから・さんしゅのじんぎ)の1つ。八坂瓊曲玉とも書く。
 
●名称からの推察  http://p.tl/NbOi
瑪瑙の勾玉(参考画像)「さか」は通常は「しゃく」(尺)の転訛だが[1]、この場合は上代の長さの単位の咫(あた)のことである[要出典]。8尺は(当時の尺は今より短いため)約180cm、8咫は約140cmである。

この長さは、玉の周とも、尾を含めた長さであるとも、結わえてある緒の長さであるとも言う。また、「八尺」は単に大きい(あるいは長い)という意味であるとも、「弥栄」(いやさか)が転じたものとする説もある。

「瓊」は赤色の玉のことであり、これは瑪瑙(メノウ)のことであるともされる。 (現代の瑪瑙細工では深紅の赤瑪瑙が細工物や勾玉などによく使用され、ありふれた色だが、これは江戸時代に原石を加熱して赤く発色させる技法が発明されてよりの事である。)
 
●天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)http://p.tl/gZzD
三種の神器の一つ。草薙の剣(くさなぎのつるぎ)ともいう。熱田神宮の神体である。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。
 
●名の由来 http://p.tl/XTPR
諸説あるが、実際は余り判っていない。草薙剣(くさなぎのつるぎ、くさなぎのけん)、都牟刈大刀(つむがりのたち)、都牟羽大刀(つむはのたち)、八重垣剣(やえがきのつるぎ)、沓薙剣(くつなぎのけん)ともいう。 『海部氏系図』、『先代旧事本紀』の尾張氏系図、津守氏古系図等に載る「天村雲命」との関係も推測され、また外宮祀官家の渡会氏の祖先にも「天牟羅雲命」の名が見える(『豊受大神宮禰宜補任次第』)。

天叢雲剣[編集]八俣遠呂智由来説[編集]一部の『日本書紀』にある説より。ヤマタノオロチ(八俣遠呂智)の頭上にはいつも雲がかかっていたので「天叢雲剣」と名付けられた。

実際、山陰地方は曇り日が多く、安来地方の山奥、奥出雲町にある船通山(鳥髪峯)山頂には天叢雲剣出顕之地の碑があり、毎年7月28日に船通山記念碑祭・宣揚祭が開催される。

『古事記』などもあわせて考えると、本説がもっとも主流の説となっている。「天叢雲剣」や「叢雲」の名は『日本書紀』において本文の注として記されるのみであり、『古事記』には一切その名は見られない。

また、「天叢雲剣」の名の由来である、「大蛇の上に雲気有り」という表現に関して『史記』や『漢書』からの引用だと説かれることもある。
 
●各神器  http://p.tl/mT67
・八咫鏡(やたのかがみ)[編集]詳細は「八咫鏡」を参照
記紀神話で、天照大神が天の岩戸に隠れた岩戸隠れの際、石凝姥命が作ったという鏡。天照大神が岩戸を細く開けた時、この鏡で天照大神自身を映し、興味を持たせて外に引き出し、再び世は明るくなった。のちに鏡は天照大神が瓊瓊杵尊に授けたといわれる。
 
・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)[編集]詳細は「八尺瓊勾玉」を参照
八坂瓊曲玉とも書く。大きな玉で作った勾玉であり、一説に、八尺の緒に繋いだ勾玉ともされる。岩戸隠れの際に玉祖命が作り、八咫鏡とともに榊の木に掛けられた。
 
・草那芸之大刀(くさなぎのつるぎ)[編集]詳細は「天叢雲剣」を参照
草薙剣(くさなぎのつるぎ)の旧名で、古事記では草那芸之大刀と記される。記紀神話では須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ、現島根県安来地方の中国山地側、奥出雲町)で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣。後、ヤマトタケルノミコトが譲り受け、移動中、周りを火で囲まれたとき、姫を守るため自らの周りの草を薙ぎ、火打石で草を焼いたとき帯刀していたことから予定調和の剣とされる。「焼津」の地名はこのとき草を焼いたことによる。

 


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