縄文人の反乱 日本を大事に

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●鳶(とんび)と鷹(たか)違い

2013年04月30日 19時17分41秒 | 色んな情報
●鳶(とんび)と鷹(たか)違い
★とんび 1 【▼鳶】
(1)「とび(鳶)」に同じ。
(2)「とんびガッパ」の略。
(3)通りがかりに店頭や門前の物などをかすめ取ってゆく泥棒。
» (成句)鳶が鷹を生む         http://p.tl/mjnl
» (成句)鳶に油揚げをさらわれる    http://p.tl/G6NP
» (成句)鳶も居ずまいから鷹に見える  http://p.tl/lc_r

★下北弁   意味
 とんび  イカの口の乾物(珍味)
・用例の意味・備考
《「とんびこからすこ」「とんびからす」「とんびこ」「とんぴこ」ともいう》

★新潟県田上町方言
 田上町方言  共通語    使用例または説明
 とんび     鳶     鳶職人をとんびとは言わない、そのまとび職と言う

★とんび  隠語大辞典
髪をいふ。
分類 せんぽ
   ・・・・・・・・・・
・トンビ
読み方:とんび
署長ノコトヲ云フ。〔第五類 官吏及官舎之部・石川県〕
分類   石川県
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・鳶
読み方:とんび,どんび
1.笛のことをいふ。笛の音は鳶の鳴声によく似て居るから名づけたのである。〔役者語〕
2.〔楽〕笛のことを云ふ。其色音から来たもの。
3.笛。
4.笛のことをいふ。笛の音は鳶の鳴声によく似て居るから名づけたのである。
5.〔隠〕笛のこと。笛の音は鳶の鳴声によく似て居るからであらう。
6.笛のことをいふ。
7.笛を云ふ。鳶の声と笛の音の似たるより。
8.笛のこと、笛の音は鳶の鳴声によく似ているから。
9.笛のことをいう。笛の音は鳶の鳴声によく似ているから名づけたのである。〔芸能(俳優)〕
分類   俗語、俳優、役者、役者語、楽、芸能、露店商
   ・・・・・・・・・・
・鳶
読み方:とんび
1.通りながら家人の目を倫みて商品等を掠め盗むどろばうの一種を云ふ。
2.〔犯〕途上などに於て掻浚ふ犯罪者のこと。
3.途上窃盗。多治見 不良仲間。
4.途上窃盗。〔香具師・不良〕
5.路上窃盗。歩きながら浚うところより。〔盗〕
6.途上窃盗。
分類   不良仲間、東京、犯、盗/犯罪、香具師/不良
   ・・・・・・・・・・
・鳶
読み方:とんび
1.才取に同じ。鞘取りともいふ。
2.ア.取引員と客との間に立つて株の売買の媒介をする者で才鳥(鳶の字の分析)ともいう。
  イ.他人の株券を金融してやると称して横領すること。
3.取引員と客との間に立って株の売買の媒介をする者で才鳥(鳶の字の分析)ともいう。
分類   会社・株式、会社・株式/経済

★とんび 『ウィキペディア』
・とんび
   タカ目タカ科の鳥、トビ(鳶)の別名。当該項目で詳述。
      上記の鳥をテーマにした童謡の曲名。梁田貞作曲、葛原しげる作詞。
      とんび (童謡)を参照。
   男性向けの和装用コートの通称。インバネスコートで詳述。
   重松清の小説および、それを原作としたNHK(2012年)、TBS(2013年)のテレビドラマ。とんび (小説)を参照。
・トンビ
   元プロ野球選手・プロ野球監督、東尾修の愛称。
   日本の漫画家・山口陽史の漫画作品『トンビ (漫画)』。

★トビ(鳶、学名: Milvus migrans)http://p.tl/3464
タカ目タカ科に属する鳥類の一種。トンビとも言う。

ほとんど羽ばたかずに尾羽で巧みに舵をとり、上昇気流に乗って輪を描きながら上空へ舞い上がる様や、「ピーヒョロロロロ…」という鳴き声はよく知られており、日本ではもっとも身近な猛禽類である。

★●
★たか 1 【多価】
イオン・酸・塩基・アルコールなどの価数が二以上であること。
   ・・・・・・・・・・
・たか 2 1 【高】
〔形容詞「高い」の語幹から。連濁して「だか」とも〕
(1)数量。かず。かさ。
「生産―」「収穫―」
(2)金額。
「売上―」「残―」
(3)高くなること。値段の上がること。
⇔安
「相場は十円―になった」「円―」
(4)数量の程度。また、その程度の限界。かぎり。
「―がこれくらい」
→高が
(5)土地の生産力の表示単位。その土地の年貢額で示す貫高・永高などがあったが、太閤検地以後、収穫量で示す石高に統一された。
(6)最後の成り行き。結末。
「―は死ぬると覚悟しや/浄瑠璃・冥途の飛脚(中)」
(7)名詞や動詞の上に付いて複合語を作り、高いの意を表す。
「―下駄」「―楊枝」「―鳴る」
» (成句)高が知れている
» (成句)高を括る
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・たか 0 【▼鷹】
(1)タカ目タカ科に属する鳥のうち中・小形のものの総称。大形のものは一般にワシの名がつけられている。曲がった鋭い嘴(くちばし)をもち、脚には強い爪があり、小形の動物を捕らえる。オオタカ・ハヤブサ・ハイタカ・ノスリ・トビなど。オオタカ・ハヤブサは古く鷹狩りに用いられた。[季]冬。《―一つ見つけてうれし伊良古崎/芭蕉》
(2)〔目が鷹の目に似るところから〕能面の一。怪士(あやかし)の一種。「船弁慶」や「項羽」などの後ジテに使う。
(3)近世の下級の街娼。夜鷹。
» (成句)鷹は死すとも穂はつまず
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・たか ―くわ 1 【多寡】
多いことと少ないこと。多いか少ないか。
「金額の―を問わない」

★たか 【鷹】 世界宗教用語大事典
タカ目の鳥のうち小・中形の一群の総称(大形はワシという)。古代には太陽・光・力・速さなどの象徴とする地方があり、エジプトの聖刻文字では神を意味したため、これを殺すと死罪になった。ギリシア神話では、アルテミスに娘を殺されたダイダリオンは悲しんで山頂から身を投げたが、アポロンによって鷹に変えられたという。古代ギリシア・ローマでは鳥占いでも重視され、鷹が戦艦に飛来すれば戦いは吉、片脚の不自由な鷹が来れば結婚話が吉、などとした。羽は風を生む力・生命の象徴などに用いられる。

★鷹 Taka  能面図鑑
精悍な表情の男の怨念。http://p.tl/nGvt


★タカ
猛禽類の一群。
生物学的側面についてはタカ目を参照のこと。 http://p.tl/hPiH
文化的側面については鷹を参照のこと。    http://p.tl/NBQC


★鷹 鷲 鳶 (たか、わし、とんび)の違いについて教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋 http://p.tl/E6s6
すべて「猛禽類」です。
鷲と鷹は、猛禽類の中を分類した単なる呼称です。
既記載されていますが、主に、大きさの違いにすぎません。
なので、正式には、タカ、ワシという名前の鳥はいません。
ちなみに、フクロウの仲間も、猛禽類です。

★鳶と鷹 | 生物学のQ&A【OKWave】http://p.tl/PNvE
「鳶が鷹を産む」とか「鳶も居ずまいから鷹に見える」と言われるように、鳶はよく鷹と比較されて、鷹よりも劣った鳥とされています。 しかし、鳶も鷹に負けないくらいの視力と飛翔能力を持ち、「鳶に油揚げをさらわれる」とも言われるように、敏捷性だって高いと思います。
しかし、どうして 鳶はいつも鷹の下に見られるんでしょうか?

★●鳶が鷹を生む  http://p.tl/iw6P
平凡な親から、優れた子供が生まれること、のたとえ。

●みみずく(木菟)とふくろう(梟)の違い

2013年04月30日 18時26分45秒 | 色んな情報
●みみずく(木菟)とふくろう(梟)の違い
★みみずく 2 【耳▼蝉】
(1)半翅目ミミズク科の昆虫の総称。体形はややセミに似る。頭部は扁平で幅が広く、前方に突出する。アジア南部からオーストラリアにかけて多く、わが国にも数種いる。
(2)ミミズク科の昆虫。体長18ミリメートルほど。前胸背両側に大きな耳状の突起がある。全体が暗褐色で樹皮様の斑紋がある。本州以南の日本とアジア東部に産する。
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・みみずく ―づく 2 【〈木菟〉/〈鴟鵂〉/〈角鴟〉】
フクロウ目フクロウ科の鳥のうち、耳のように見える飾り羽(羽角(うかく))をもつ種の通称。オオコノハズクなどをさす。ズク。[季]冬。
フクロウ目の捕食性の鳥で、主に耳羽のあるもの
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・ずく づく 1 【〈木菟〉】
ミミズクの異名。[季]冬。

★ミミズク http://p.tl/xzBg (木菟、木兎、鵩、鶹、鵂、角鴟、鴟鵂、耳木菟、耳木兎)
フクロウ科のうち羽角(うかく、いわゆる「耳」)がある種の総称。古名はツク。
ズクとも。
フクロウには含めることと含めないこととがある
羽角とは、哺乳類の耳(耳介)のように突出した羽毛である。俗に耳と呼ばれるが、ミミズクに限らず鳥類に耳介はない。

分類学的には単一の分類群ではなく、いくつかの属からなる。これらはフクロウ科の中で特に近縁ではなく、系統をなしてはいない。

ミミズクの種の和名は「~ズク」で終わるが、「~ズク」で終わっていてもアオバズク属(アオバズクなど)には羽角はなくミミズクとはいえない。また、シマフクロウのように「ミミズク」と呼ばれなくとも羽角があるフクロウもいる。

英語にはミミズクを総称する表現はない。羽角のあるなしにかかわらずowlと総称する。


★フクロウ(梟、鴞、Strix uralensis)http://p.tl/hq61
動物界脊索動物門鳥綱フクロウ目フクロウ科フクロウ属に分類される鳥類。

★フクロウ
http://p.tl/VqUA 映像ファイル  http://p.tl/G16J


★「梟(フクロウ)」と「ミミズク」の違い - Yahoo!知恵袋  http://p.tl/8UG9
「梟(フクロウ)」と「木菟(ミミズク)」の違いですが・・・実際には、確たる違いは無いみたいなんですよ(笑)
というのも、「梟」も「木菟」も、どちらも同じ「フクロウ目」の「フクロウ科」に属しているんです。
違いらしい違いというのは、頭に耳のような飾り?(正式には、「羽角」というモノです)が付いているかどうか・・・そのくらいのモンみたいなんですよね。この、唯一とも言える違いにしても曖昧で怪しいんですよ(笑)「ここで区別が出来ます!」とは一概には言い切れないんです。

★フクロウとミミズクについて フクロウとミミズクの違い 雑学おもしろ探検隊 http://p.tl/YFnE
「フクロウ」と「ミミズク」とっても似ていてなかなか区別がつきにくいと思いませんか?
姿も実にユーモラスで可愛いらしいですよね。
ところで、名前の由来って何ですかね・・・???
フクロウについては思いつきませんが・・・。
ミミズクについては、本当にミミズを食しているかは別にしまして、ミミズを食ってるから。。。
ミミズクウ→ミミズクになったのかな!?
な~んて、勝手に自分で想像してしまったこともありましたがハッキリした名前の由来って・・・!?

★フクロウとミミズクって違うの?  http://p.tl/iHFK
フクロウとミミズクは、どれも同じふくろう科の仲間です。
しかし中には、ウサギフクロウのような例外もあります。

★コノハズク(木の葉木菟) とは - コトバンク http://p.tl/DXLr
フクロウ目フクロウ科の鳥。〈仏法僧(ブッポウソウ)〉と鳴くということで有名で,古来ブッポウソウという別の鳥と混同されていた。

●たちばな (橘)

2013年04月30日 15時24分30秒 | 色んな情報
●たちばな (橘)
★タチバナ(橘、学名:Citrus tachibana)『ウィキペディア』http://p.tl/XJTy
ミカン科ミカン属の常緑小高木。別名はヤマトタチバナ、ニッポンタチバナ

★橘 出典:『Wiktionary』
発音
 音読み
   呉音 : キチ
   漢音 : キツ
 訓読み
   たちばな、きっ

★橘  季語・季題辞典
読み方:タチバナ
太古以来わが国に野生する柑橘類。果実は扁球形で秋熟すると黄色となり、果面はなめらかだがしわがある
季節  秋、新年
分類  植物

★橘 植物名辞典
読み方:タチバナ
カラタチバナの別称。
ヤブコウジ科の常緑低木、園芸植物
学名 Ardisia crispa
   ・・・・・・・・・・
・橘
読み方:タチバナ
キシュウミカンの別称。
ミカン科の常緑小高木、園芸植物
学名 Citrus kinokuni
   ・・・・・・・・・・
・橘
読み方:タチバナ
ミカン科の常緑低木、園芸植物
学名 Citrus tachibana

★たちばな (橘) 植物図鑑
http://p.tl/ZcSK  http://p.tl/Vg1m  http://p.tl/cGuj
●わが国の本州、静岡県以西の太平洋側から四国、九州それに台湾や済州島に分布しています。暖地の海岸沿いに生え、わが国に自生する唯一の柑橘類です。5月から6月ごろ、枝先に芳香のある白い花を咲かせます。果実は冬に黄色く熟しますが、酸味が強くて食用には適さないそうです。
●ミカン科ミカン属の常緑低木で、学名は Citrus tachibana。英名はありません。
ミカンのほかの用語一覧
ミカン: 晩白柚 柚子 椪柑 橘 橙 清見タンゴール 獅子柚

★たちばな 【橘】 世界宗教用語大事典
柑橘類の総称。タチバナのタチ(立ち)は神霊の顕現を意味するとの説がある。
記紀にある常世国の非時香菓は橘だったという。古代には招魂長寿の呪福物ともされた。
文化勲章はこの花をかたどっている。
中国では漢の蘇仙公が死に臨んで母に遺言し、疫病流行のさい庭の井戸水と軒端の橘の葉を用いれば治ると告げ、そのとおりになったので、医者のことを「橘井」ともいう。
また昔、巴の人が橘の実を割ってみると中で碁を楽しんでいる二人の老人がいたとの伝説から、碁を打つ楽しみを「橘中の楽しみ」という。→ 田道間守

★たじまもり たぢまもり 【田道間守】
記紀に見える伝説上の人物。垂仁天皇の命により不老の妙薬、非時香菓(ときじくのかくのこのみ)(タチバナの実)を常世国(とこよのくに)から持ち帰ったが、天皇の死後だったので、その陵墓に献じ、自害したという
★たじまもり 【田道間守】 世界宗教用語大事典
日本神話上の伝説的人物。但馬の国の国守の意。新羅国の王子天日槍の子孫という。垂仁天皇は彼を常世国に遣わし、非時香菓(時を定めずいつも黄金に輝く果実の意で、橘〈ミカン〉のこと)を求めさせ、一〇年後に持ち帰ったが天皇崩御後であったため、それを山陵に献じ、悲しんで陵前で自殺したという。三宅連の始祖とされ奈良市尼辻町の垂仁陵に小墓がある。
★タヂマモリ 『ウィキペディア』http://p.tl/ghWG
日本の古墳時代の人物。菓子の神としても崇敬される。『古事記』では多遅麻毛理、『日本書紀』では田道間守と表記される。
古事記と日本書紀では系図が異なり、古事記では多遅摩比那良岐(たじまひならき)の息子で多遅麻清日子(たじまきよひこ)の兄だが、日本書紀では但馬日楢杵の息子である但馬清彦の息子である。11代垂仁天皇の命により、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世の国に渡った。10年かかって葉附きの枝と果実附きの枝を日本に持ち帰ってきたが、垂仁天皇はすでに亡くなっていた。タヂマモリは半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったという。

タヂマモリが持ち帰った「非時の香菓」は、記紀では現在の橘のこととしている。「タチバナ」という名前自体、タヂマバナ(田道間花)が転じたものとする説もある。当時「菓」といえば果物のことであったが、この説話からタヂマモリは菓子の神「菓祖」として信仰されている。

果物や薬草を求めて異界に行く話は世界各地に伝わるもので、この説話は中国の神仙譚の影響を受けているという説もある。例えば秦の徐福が蓬莱に不老不死の薬を求めに行く話とは類似する点が多い。

タヂマモリは、菓子の神として中嶋神社(兵庫県豊岡市)に祀られている。中嶋神社の分霊が太宰府天満宮(福岡県太宰府市)、吉田神社(京都市)など全国に祀られており、菓子業者の信仰を集めている。

佐賀県伊万里市には、常世の国から帰国したタヂマモリが上陸した地であるという伝承があり、伊萬里神社にはタヂマモリを祀る中嶋神社がある。和歌山県海南市の橘本神社の元の鎮座地「六本樹の丘」は、タヂマモリが持ち帰った橘の木が初めて移植された地と伝えられる。

内藤湖南は『卑彌呼考』にて、『魏志倭人伝』に記される邪馬台国が『記紀』に記されるヤマト王権であるとした上で、卑弥呼が魏に使わした大夫難升米はタヂマモリのことであるという説を唱えている。


★橘 歴史民俗用語辞典
読み方:タチバナ
蜜柑の古名。
別名 ヤマトタチバナ

★たちばな 2 【▼橘】
(1)ミカン科の常緑小高木。日本原産唯一の柑橘類とされ、四国・九州・沖縄などに自生。初夏に芳香のある白色の五弁花を開く。果実は小さく、黄熟しても酸味が強く食用には向かない。紫宸殿の「右近の橘」は本種といわれる。ヤマトタチバナ。[季]秋。〔「橘の花」は [季]夏〕
(2)古来、食用とされたミカン類の総称。非時香菓(ときじくのかくのこのみ)。
(3)家紋の一。橘の花・実・葉をかたどったもの。
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・たちばな 【橘】
姓氏の一。古代の名族。708年(和銅1)に美努(みぬ)王の妻、県犬養(あがたいぬかいの)三千代が賜った橘宿禰の姓を、子の葛城王(諸兄)らが臣籍に下って受け継いだのに始まる。諸兄らは以後の朝政に重きをなしたが、平安時代に承和の変で逸勢が失脚した頃から後は衰退した。

●『梅が枝の手水鉢(ちょうずばち) 』

2013年04月29日 17時36分33秒 | 色んな情報
●『梅が枝の手水鉢(ちょうずばち) 』
★梅ヶ枝 【うめがえ】[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションの解説.
長崎の日本酒。肥前大村藩主・大村純鎮が蔵元を訪れた際に詠んだ「梅ヶ枝に鳴きて移ろふうぐいすの羽白妙に淡雪ぞふる」の句にちなみ「梅ヶ枝」の酒名を賜った。大吟醸酒、純米大吟醸酒、純米吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒、普通酒がある。平成17年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は山田錦、西海134号、レイホウなど。仕込み水は地下300mから汲み上げる地下水。蔵元の「梅ヶ枝酒造」は天明7年(1787)創業。所在地は佐世保市城間町。

★梅が枝の手水鉢 http://p.tl/9i6p
假名垣魯文
  梅が枝の手水鉢
  叩いてお金が出るならば
  若しも御金が出た時は
  その時や身請をそれたのむ(元唄)
 
  お互の借貸に
  もつれて勸解出るならば
  若しも勸解出た時にや
  その時や示談をそれたのむ(替唄)
 
  お互の胸と胸
  合わせて子供が出來たなら
  若しもその子供が變な子なら
  その時や落語家それたのむ(替唄)

★梅が枝の手水鉢 - 江戸端唄・俗曲の試聴と紹介 http://p.tl/pwDp
★梅が枝節(うめがえぶし)は、明治初年に流行した俗曲の曲名。http://p.tl/odF7
★明清楽資料庫 楽譜とMIDI音源  http://p.tl/odF7  http://p.tl/NQQm

★「かんかんのう」http://p.tl/kl9T
日本の俗謡。江戸時代から明治時代にかけて民衆によって広く唱われていた。別名「看々踊(かんかんおどり)」。
元歌は清楽の「九連環」だが、歌詞もメロディー(試聴)も元歌とはかなり変わっている。落語「らくだ」に重要なモチーフとして登場する。

★九連環(きゅうれんかん)http://p.tl/lKvM
1.知恵の輪の一種。チャイニーズリングの項参照。
2.明清楽(みんしんがく)の代表的な歌曲の一つ。江戸時代から明治時代にかけて日本でも流行し、「かんかんのう(看々踊り)」や「法界節(ホーカイ節)」などを生んだ。清楽の項参照。

★カンカン踊り http://p.tl/L4YN
・フレンチカンカン(French can-can)に同じ。
・江戸時代に流行した「看々踊(かんかんおどり)」すなわち「かんかんのう」のこと。
・刑務所で、受刑者に課された屈辱的な身体検査に対する俗称。
 刑務所では、受刑者が作業所に出入りするときは、刑務官から離れた所定の場所で全裸になり、手や足を片方ずつあげて、舌や、尻までくまなく刑務官に見せて、凶器を持参していないことを刑務官に示さねばならなかった。この屈辱的な身体検査を、俗に「カンカン踊り」と称した。
 朝夕の工場出役の際に行われるが、一部の刑務所ではカンカン踊りが省略されている所がある。
・参考書籍:安土茂著『決定版 刑務所の事典―カンカン踊りから懲罰房までこれがムショの掟だ!』 ISBN 4576051660

★群馬県上野村商工会議所・カンカンノー(かんかん踊り)http://p.tl/VDNA

★「かんかんのう」http://p.tl/2fBk
別名「唐人踊(とうじんおどり)」「看々踊(かんかんおどり)」は、江戸時代から明治にかけて民衆のあいだで唱われていた唐人歌(唐人唄)、すなわち中国語をまねたナンセンスソングである。

★梅ヶ枝の手水鉢 http://p.tl/MYeE
京都市下京区堀川通七条下る西入 (市バス「堀川七条」停留所から 徒歩約5分). 梅ヶ枝とは、傾城(遊女)になった梶原影季の妻千鳥の名である。
★「歴史」‥梶原景季へ  http://p.tl/P9TT

★梅ヶ枝の手水鉢”のお話し - 伝承ブログ  http://p.tl/Jo6s
「重松流祭囃子」で演奏される”かんかんのう”を調べていたら
”梅ヶ枝の手水鉢”というお話に出会った。

★手水鉢 <その3> http://p.tl/cvX0

★端唄・俗曲 その1 http://p.tl/YMPO
梅ヶ枝の手水鉢 叩いてお金が出るならば. もしもお金が出たときは その時ゃ身請けを それ頼む. ※梅ヶ枝=遊女の名前. 身請け=遊女或いは芸妓を落籍すること. ☆此の頃 の米相場 当って儲けになるならば. もしも儲けになるならば その時ゃ芸者衆をそれ頼む ...

★明清楽 minsingaku 九連環と「かんかんのう」(明清楽資料庫) http://p.tl/pQ3e

●加賀百万石

2013年04月29日 16時15分56秒 | 色んな情報
●加賀百万石
★加賀百万石 短編小説作品名辞典
作者     津本陽
収載図書   加賀百万石
出版社    講談社
刊行年月   1999.9
シリーズ名  講談社文庫
★加賀百万石 ウィキペディア http://p.tl/Dxpt
1.加賀藩の石高である100万石、あるいは加賀藩自体を表したもの。 - 加賀藩を参照。
2.1.に由来する麻雀のローカル役。 - 百万石を参照。

★加賀藩(かがはん)http://p.tl/BYuu
江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした藩。
藩祖前田利家の夫人・芳春院(まつ)の死後、芳春院の化粧領だった近江弘川村(現在の滋賀県高島市今津町)を加える。

★前田 利家(まえだ としいえ)http://p.tl/zdXR
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。
加賀国石川郡にある金沢城(金沢市)に居城。明治2年(1869年)版籍奉還後には藩名を金沢藩と定められた。
藩主は前田氏。外様大名ではあるが徳川将軍家との姻戚関係が強く、準親藩の地位が与えられ松平姓と葵紋が下賜された。3代・光高以降の藩主は将軍の偏諱を拝領した。また、大名中最大の102万5千石を領し、極官も従三位参議と他の大名よりも高く、伺候席も徳川御三家や越前松平家などの御家門が詰める大廊下である(他の外様の国持大名は大広間)[1]など御三家に準ずる待遇であった[2]他、一国一城令が布告された後に小松城の再築が許されて「一国二城」となるなど、他の大名とは別格の扱いであった。

★百万石(ひゃくまんごく)http://p.tl/gYyO
麻雀におけるローカル役のひとつ。役満。
萬子の清一色で、「○萬」の数字の合計が100以上になった場合に成立する

★十村制(とむらせい)http://p.tl/l7_Q
江戸時代に加賀藩の第3代藩主前田利常が制定した農政制度で、地方の有力な農民を十村として懐柔し、いわば現場監督として利用することで、農村全体を管理監督し徴税を円滑に進める制度である。改作法施行にあたって、十村はその業務範囲を広げ、加賀藩・富山藩・大聖寺藩における農政の実務機関としての役割を十全に果たした。

★じゅうぜん じふ― 0 【十全】
(名・形動)[文]ナリ
(1)少しの欠点もなく、完全なさま。十分に整っていて危げないさま。
「―な対策を講ずる」
(2)〔哲〕〔adequate〕概念や認識がその対象(事物)と完全に一致・適合していること。あるいは、対象を細部に至るまで究明し、完全に明晰判明に認識していること。
「十全」に似た言葉»    万全

★ばんぜん 0 【万全】
(名・形動)[文]ナリ
まったく完全なこと。手落ちのないこと。また、そのさま。
「―の策を講ずる」「準備に―を期す」「―な対策」「体調を―に整える」

★古明神村の村御印 十村(とむら)制 http://p.tl/yBEN

★富山藩十村役宅竹島家住宅 http://www.takeshimake.com/


★大庄屋 http://p.tl/SuDT
また、庄屋・名主と異なり、数か村から10数か村の範囲を管轄する大庄屋という役職が置かれた場合もある。なお地域によって呼称は多様であり、大名主・割元・大肝煎・十村・郷頭・割番庄屋などとも呼ばれた。

★名主(みょうしゅ)http://p.tl/iO65
日本の古代末期から中世日本にかけて、公領・荘園領主から名田の経営を請け負うとともに、領主への貢納(年貢・公事・夫役)の責務を担った階層である。
 
近世(江戸時代)において、名主(なぬし)は村役人の呼び名の一つとなった。(詳細は庄屋を参照。


★庄屋(しょうや)・名主(なぬし)http://p.tl/7MlL
江戸時代の村役人である地方三役(村方三役とも言う)のひとつ、あるいは町役人のひとつである。
 
村の庄屋・名主は、地方三役(じかたさんやく)のひとつで、村落の代表者である。西日本では庄屋の呼称が多く、東日本では名主と呼ばれることが多い。また、東北地方・北陸地方・九州地方では肝煎と呼ぶ。
町の庄屋・名主は、町役人(ちょうやくにん)のひとつで、町(ちょう)の代表者である。町名主(ちょうなぬし)・町庄屋(ちょうしょうや)・支配名主(しはいなぬし)ともいう。町名主(まちなぬし)は俗称である。

●『二十四節気』

2013年04月29日 11時12分20秒 | 色んな情報
●『二十四節気』
★『二十四節気』 二十四節気の月日は毎年微妙に変化するそうです。 以下のサイトに計算方法が詳しく出ています。 http://p.tl/GG-P
★日本の暮らし二十四節気めぐり 言の葉草 (ことのはぐさ) 伊勢志摩の旅 よいとこせ http://www.iseokagenosato.jp/kotonohagusa/


★にじゅうしせっき【二十四節気】
太陰太陽暦で季節を正しく示すために設けた暦上の点。一太陽年を二四等分し、立春から交互に節気・中気を設け、それぞれに名称を与えた。例えば、一月節気を立春、一月中気を雨水、八月中気を秋分などと呼ぶ。表では現在の太陽暦で概略の

★二十四節気  歴史民俗用語辞典 http://www.weblio.jp/cat/academic/nrkmj
読み方:ニジュウシセッキ
暦上で季節を示す区切り。
別名   節気、二十四気

★二十四節気(にじゅうしせっき) ご贈答マナー http://www.weblio.jp/cat/life/gztmn
旧暦による1年間の気候の変化を、太陽年(太陽が春分点を起点に一周して、再び春分点に戻ってくるまでに要する期間や時間=回帰年ともいう=約365.24日)の太陽の黄経(360度)に従って、5日(5度)を一候として72に分け(七十二候という)、三候(15度)を一気として24節に分割区分した季節の暦です。
六候(30度=二節気)を1ケ月とし、六節気(90度=18候=3ケ月)ごとを「春・夏・秋・冬」の四気候(四季)ともしました。24節のそれぞれの分点に名付けられた称は次のとおりです。

★二十四節気(にじゅうしせっき)ウィキペディア http://p.tl/AxER
1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。二十四気(にじゅうしき)ともいう。太陰太陽暦において月名を決定し、季節とのずれを調整するための指標として使われる。分割点には12の節気と12の中気が交互に配され、各月の朔日(1日)が対応する節気前後になるように月名を決める。実際には月中に次の中気が含まれるように決める。例えば雨水が含まれる月を「正月」と決めると元日の前後半月以内に立春があることになる。中気が含まれない月が現れた場合には閏月が設けられる。ただし、定気法においては例外の処理が必要となる。特に重要な中気である夏至・冬至の二至、春分・秋分の二分を併せて二至二分といい、重要な節気である立春・立夏・立秋・立冬を四立、二至二分と四立を併せて八節という。
★成立の背景 http://p.tl/YhUw
★暦月と節月 http://p.tl/4k7j

★日本の暦(にっぽんのこよみ)http://p.tl/wX4H
和暦(われき)に基づき日本で刊行された(ている)日本のこよみ(暦書・暦表)について述べる。
日本における暦法(れきほう)に関しては日本における暦および和暦を参照。

★和暦(われき)http://p.tl/MseE
元号とそれに続く年によって年を表現する、日本独自の紀年法である。この手法自体は東アジアで広く行われてきたが、日本独自の元号を使うため、和暦は日本固有となる。邦暦(ほうれき)とも。
 
飛鳥時代の孝徳天皇によって645年に制定された大化がその始まりであり、以来15世紀に亘って使われ続けてきている。
 
たとえば、西暦2000年は平成12年である。

★日本独自の紀年法(きねんぽう)http://p.tl/an39
年を数えたり、記録、紀年する方法をいう。

★元号一覧 (日本) 日本独自の元号 邦暦(ほうれき)とも http://p.tl/Dku4
★元号(げんごう) http://p.tl/Vb6I
特定の年代に年を単位として付けられる称号である。年号(ねんごう)とも呼ぶ。
★大化(たいか)  http://p.tl/ZSuf
日本最初の元号。645年から650年までの期間を指す。

★かんじん 【勘申】 歴史民俗用語辞典
朝廷の儀式などの諸事について、先例・典故・吉凶・日時などを調べて上申すること。勘進。
詳らかに調べて報告すること。

★詳らかに
読み方:つまびらかに、つばひらかに
内容を細部まで明らかにする、詳細を明示する、などの意味の表現。


★暦(こよみ、れき)http://p.tl/yOOW
時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。また、その構成の方法論(暦法)や、それを記載した暦書・暦表(日本のいわゆる「カレンダー」)を指す。さらに、そこで配当された各日ごとに、月齢、天体の出没(日の出・日の入り・月の出・月の入り)の時刻、潮汐(干満)の時刻などの予測値を記したり、曜日、行事、吉凶(暦注)を記したものをも含める。
 
細分すると、
・日を記録するものを暦(こよみ、calendar)
・暦による日付の並びを表形式等で表示した暦表・カレンダー (calendar)
・暦の方法論である暦法(新暦、旧暦)(calendar)
・天象の予報・天体の軌道を記述するものを天体暦(れき、ephemeris)
・日ごとに天象に加えて行事や占いや曜日などを総合して記述したものを生活暦 (almanac)
・紀年法、すなわち西暦・和暦など (calendar era)
本稿においては、このうちの暦(こよみ、calendar)の説明を行う。
★日本における暦    http://p.tl/Il5c
★日本における暦法一覧 http://p.tl/IodW
★年の記述       http://p.tl/Jjvi


★天皇の一覧(てんのうのいちらん)http://p.tl/O1y3
日本の歴代天皇およびその他の天皇の一覧である。

●こじ

2013年04月28日 21時09分02秒 | 色んな情報
●こじ
★こじ 1 【故事/古事】
昔から伝わっているいわれや物語。
「―来歴」「―成語」「―を引き合いに出す」
   ・・・・・・・・・・
・ふること 【古事/▽故事】
〔「ふるごと」とも〕昔の出来事。また、昔から伝えられたこと。
「いにしへよりの―ども思ひ出でられて/源氏(東屋)」
   ・・・・・・・・・・
・こじ 1 【小師】
〔仏〕 具足戒を受けてから、10年にならず、まだ師についている者。小僧。
   ・・・・・・・・・・
・こじ 1 【▼巾子】
〔「こんじ」の撥音「ん」の無表記〕冠(かんむり)の頂上後部にあるもとどりを入れる突起。
→冠
   ・・・・・・・・・・
・こじ 1 【▽火▼箸/▽火▼匙/▽火▼筯】
〔「こ」は唐音、「じ」は「匙」の呉音〕
(1)ひばし。
(2)香道の火道具の一。香炭団(こうたどん)を扱ったり、香炉の灰の箸目をつけたりするのに用いる火箸(ひばし)。〔「火筋」と書き誤られることもある〕
   ・・・・・・・・・・
・こじ 1 【古字】
昔使われて、今は使われない文字や書体。
   ・・・・・・・・・・
・こじ 1 【古寺】
ふるい寺。ふるでら。
   ・・・・・・・・・・
・こじ ―ぢ 1 【固持】
(名)スル
しっかりと持って放さないこと。固執(こしつ)。
「自説を―する」
   ・・・・・・・・・・
・こじ 1 【固辞】
(名)スル
固く辞退すること。
「会長就任を―する」
   ・・・・・・・・・・
・こじ 1 【▽居▽士】
(1)仕官せず民間にある高い学徳の人。処士。
(2)〔仏〕〔梵 ghapati〕(ア)在俗の男子仏教徒。在家。優婆塞(うばそく)。
(イ)近世以後の禅宗で、在家の座禅修行者。
(ウ)成人男子の戒名の末尾に添える語の一。信士より格が高く、女性の大姉に当たる。
→大姉
(3)性格などを表す語に付いて、そのような男子である意で用いる。
「謹厳―」

★誇示  馬の用語事典
読み方:こじ
【英】:display
耳を絞って顔を振り向けるなどの動作。

★同音異義語 http://www.weblio.jp/cat/dictionary/jajcw
 こじ
【故事】
【誇示】
【孤児】
【古事】
【古字】
【固辞】
【古寺】
【固持】
【小師】
【居士】
【巾子】
【怙恃】
【火匙】
【火筋】
【火箸】
【虎児】

★こ・じる【×抉じる】
[動ザ上一][文]こ・ず[ザ上二]「抉(こじ)る」(五段)に同じ。
「再び火箸で戸の間を―・じた」〈近松秋江・疑惑〉
◆現在では多く「こじあける」などの複合語として用いる。

★巾子  歴史民俗用語辞典
読み方:コジ
冠の頂上後部にあるもとどりを入れる突起
冠の頂上後部に高く突き出て髻をさし入れ、その根本に簪を挿す部分。

★居士  歴史民俗用語辞典
読み方:コジ
男子の死後、その法名の下につける称号。

★ほうこじ 【居士】 世界宗教用語大事典
中国唐代中期の仏教者。名は蘊。衡州(湖南省衡陽)の人。馬祖道一と希遷に参禅して印可を得たが、出家せずに禅を説いた。梁の傅大士と共に「東土の維摩」と称された。晩年、家族と襄陽の鹿門山に住む。(?~八一五)→ 道一

★こじ【居士】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E5%A3%AB
1.仕官せず野にある男子の読書人(士)。漢籍で用いられる語。
2.出家をせずに家庭において修行を行う仏教の信者。またそこから転じて戒名の末尾につける敬称・尊称ともなった。
 居士の語源は「(家に)居(を)る士」であり、仕官をしない読書人の意である。
「処士」に同じ。
古く『礼記』玉藻篇に「士」(仕官した人)と対比して「士練帶率下辟,居士錦帶」と見える。
後にこれが転じて、出家せず、家にあって修行を重ねる仏教者の意味で用いられるようになった。
普通の信者と異なる点は、仏教学の知識・実践において僧侶に準ずる、或いは匹敵する程の力量を持っている事である。
転義での用例は、『維摩経』に「維摩詰、居家学道、号称維摩居士」(維摩詰は在家のままで仏道を学んだ。そこで維摩居士と称された)とあるのが古い。
実在の人物として確認が出来る者としては、はやく『南史』に虞寄が「居士となった」という記述が見える(虞寄伝)。

●けいがん【慧眼】●般若●四智(しち)

2013年04月28日 20時46分04秒 | 色んな情報
●けいがん【慧眼】●般若●四智(しち)
★慧  出典:『Wiktionary』http://www.weblio.jp/content/%E6%85%A7
発音
 音読み
   呉音 : エ(ヱ)
   漢音 : ケイ(クヱイ)
 訓読み
   さとい、さとし、さとる、あきら
熟語
  慧眼
  智慧(=知恵)

★えげん ゑ― 1 【▼慧眼】
〔仏〕 五眼の一。この世の空(くう)であるという真理を悟る能力をもつ目。二乗(にじよう)の修行者、菩薩、仏が備える。
   ・・・・・・・・・・
・けいがん 0 【▼慧眼】
物事の本質を見抜く鋭い眼力。鋭い洞察力。また、それをもつこと。
「―の士」
→えげん(慧眼)
「慧眼」に似た言葉»    炯眼

★けいがん 0 【▼炯眼】
(1)鋭く光る目。眼光。
「―人を射る」
(2)真偽・本質を見抜く鋭い眼力。また、眼力が備わっていること。慧眼(けいがん)。
「―をもって鳴るベテラン刑事」

★え ゑ 1 【恵/▼慧】
(1)知恵。さとり。
(2)〔仏〕 真理を見通す心のはたらき。智慧。般若(はんにや)。
「戒・定・―の三学を兼備し給へる独(ひとり)の沙門おはしけり/太平記 2」

★般若 http://p.tl/zSOY(はんにゃ、サンスクリット: प्रज्ञा, prajñā,プラジュニャー; パーリ語: पञ्ञा, paJJaa,パンニャー、漢訳音写:斑若、鉢若、般羅若、鉢羅枳嬢など)
一般には智慧といい、仏教におけるいろいろの修行の結果として得られた「さとり」の智慧をいう。
ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、諸法の実相である空と相応する智慧として強調されてきた。
★智と慧の漢訳   http://p.tl/3lIe
一般に般若は「智慧」と訳されるが、厳密には中国に翻訳される場合、それは「慧」と訳され、「智」とは区別されていた。
・智と慧の区別
この慧と智の区別について、慧遠は『大乗義章』の中で、「智」を照見、「慧」を解了とし、「智」は一般に世間で真理といわれるものを知ること、「慧」は出世間的な最も高く勝れた第一義の事実を照見し、それに体達するものであるとする。

★四智(しち)http://p.tl/XglO
仏教において仏・羅漢などが持つ4種の智慧を言う。

●まっしぐら【〈驀地〉】

2013年04月28日 15時37分17秒 | 色んな情報
●まっしぐら【〈驀地〉】
★まっしぐら【〈驀地〉】
(副)
〔「ましくら」の転〕(多く「まっしぐらに」の形で)激しい勢いで目的に向かって進んで行くさま。
「―に突き進む」

★まっしぐら 短編小説作品名辞典
作者    白石一郎
収載図書  代表作時代小説 33(昭和62年度)
出版社   東京文芸社
刊行年月  1987.5
 
 
収載図書  弓は袋へ
出版社   新人物往来社
刊行年月  1988.6
 
 
収載図書  代表作時代小説 33(昭和62年度) 〔普及版〕
出版社   光風社出版
刊行年月  1990.6
 
 
収載図書  弓は袋へ
出版社   新潮社
刊行年月  1991.7
シリーズ名 新潮文庫
★まっしぐら【驀ら】
類語:
⇒ まっすぐ【真っ直】

★ばくしん 0 【▼驀進】
(名)スル
勢いよく、まっしぐらに進むこと。
「―する列車」
「驀進」に似た言葉»    疾走 爆走 走る 引っ張る 突っ走る

★甲州弁     意味
たつまあきる  まっしぐら


★驀進中
読み方:ばくしんちゅう
まっしぐらに突き進んでいるさなか。驀進している最中。

・しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

2013年04月28日 14時40分13秒 | 色んな情報
・しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
★静御前(しずかごぜん、生没年不詳)http://p.tl/ympA
平安時代末期から鎌倉時代初期の女性、白拍子。母は白拍子の磯禅師。源義経の妾
『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。
 
同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は、
 ・しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)[1]
 ・吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)。
と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。
 
この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月29日、静は男子を産んだ。安達清常が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。
 
9月16日、静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子と大姫が多くの重宝を持たせたという。その後の消息は不明。

★源 義経(みなもと の よしつね、源義經)http://p.tl/Oh5Q
平安時代末期の武将。鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟。
仮名は九郎、実名は義經(義経)である。
 
河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれた。
平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に奥州平泉へ下り、奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受ける。
兄・頼朝が平家打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、その最大の功労者となった。
その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平家との戦いにおける独断専行によってその怒りを買い、それに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされた。
全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ再び藤原秀衡を頼ったが秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てた。
 
その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓という言葉、多くの伝説、物語を産んだ。

★牛若丸(うしわかまる) http://p.tl/pkNm
源義経 - 平安時代の武将。幼名が牛若丸。
牛若丸 (昔話) - 日本の昔話。上記の幼年期に由来。
牛若丸 (童謡) - 日本の童謡。上記に由来。

★白拍子(しらびょうし)http://p.tl/hyW8
平安時代末期から鎌倉時代にかけて起こった歌舞の一種。及びそれを演ずる芸人。
 
主に男装の遊女や子供が今様や朗詠を歌いながら舞ったものを指すが、男性の白拍子もいた。素拍子(しらびょうし)とも書き、この場合は無伴奏の即興の舞を指す。

★異性装(いせいそう)http://p.tl/kcDG
文化的に性役割に属するとされる服装をしないこと。
 
男性が女性に属する服装をすることを女装(じょそう)と言い、女性が男性に属する服装をすることを男装(だんそう)と言う。
 
従来の社会にある服装規範に違和感を持ち、自由でありたい人が持つ性のあり方を 異性装指向 及び トランスヴェスチズム(transvestism)という。一般に異性装を行う者をトランスヴェスタイト(transvestite, TV)と呼ぶが、これは本来は医学的な概念としての呼称であり、これにネガティブなイメージを持つ異性装者が自ら生み出した呼称にクロスドレッサー(cross-dresser, CD、異性装をしていることはクロス・ドレッシング)がある。
 
また自分又は相手に、全体又は一部の異性装をさせて性的に興奮を得るフェティシズムは、異性装嗜好(一部異性装指向)ともいう。両方とも比較的男性に一層多いことが知られている。
 
現代においては、男性の女装を性的指向・性自認の表明と捉える見方に対して、女性の男装に関しては比較的寛容な傾向にある(つまり必ずしもそう見られないということ)。

●てんかい 【天海】【天界】●天道(てんとう、てんどう)

2013年04月28日 14時40分13秒 | 色んな情報
●てんかい 【天海】【天界】●天道(てんとう、てんどう)
★てんかい 【天海】
(1536-1643) 江戸初期の天台宗の僧。号は南光坊。諡号(しごう)は慈眼大師。会津の人。比叡山・興福寺などで諸宗について学び、川越の喜多院などに住した。徳川家康の帰依をうけて政治にも参与し、日光山を授けられた。家康死後、家康を久能山から日光山に東照大権現として改葬。また、江戸上野に寛永寺を創建。天海版と呼ばれる「大蔵経」の版行を発願、その死後に完成。
   ・・・・・・・・・・
・てんかい 0 【天界】
(1)「天上界」に同じ。
(2)〔仏〕〔「てんがい」とも〕「天道(5)」に同じ。
   ・・・・・・・・・・
・てんかい 0 【展開】
(名)スル
(1)(次々と物事を)繰り広げること。また、広げて事が行われること。
「面白い場面が―する」
(2)(順や筋を追って)発展すること。進展すること。また、発展させること。
「主題を―する」「多様な外交を―する」
(3)目前に広がりあらわれること。
「目の前に―する大パノラマ」
(4)軍隊で、密集した隊形から、散開した隊形になること。
(5)〔数〕
(ア)単項式と多項式の積あるいは多項式と多項式の積の形の式を、分配法則を使って単項式の和の形にすること。
⇔因数分解
(イ)一つの関数を級数の形に表すこと。
(ウ)多面体・柱体・錐体などの表面を切り開いて一平面上に広げること。
   ・・・・・・・・・・
・てんかい ―くわい 0 【転回】
(名)スル
(1)正反対に方向を変えること。また、大きく方向を変えること。
「船の針路を北に―する」
(2)ぐるぐるまわること。回転。
「小車の―するが如きもの/三日月(浪六)」
(3)〔音〕 音の上下を移しかえること。
(ア)音程をなす二音のうち低い音を八度上に、または高い音を八度下に移すこと。例えば五度の転回は四度となる。
(イ)ある和音の根音以外の音を最低音として和音を構成すること。例えば三和音では、第一転回、第二転回の二通りができる。
(ウ)旋律を構成している音程に応じて上行と下行を逆にすること。
(4)体操で、体の軸を移動させて回ること。
「天海」に似た言葉»     空


★天道(てんとう、てんどう)(日本語カテゴリ)
てんとう
1.天地の神。天帝、上帝。
2.太陽、日輪。
てんどう
1.天帝の道。宇宙の超自然原理。
2.自然法則。
3.天体の営み(古い用法ではてんとう)。
4.神々の領域(仏教)。
・類義語
てんとう
  お天道様
  お日様
  日光
  陽
・熟語
てんとう
  天道神
  天道花
  天道虫
てんどう
  天道教

★あまじ ―ぢ 【天路/天▽道】
(1)天へ行く路(みち)。天への通路。
「ひさかたの―は遠し/万葉 801」
(2)天上にある道。
「夕星(ゆうつづ)も通ふ―を何時までか/万葉 2010」
(3)仏教で、六道の一。天上の世界。天道。
「直に率(い)行きて―知らしめ/万葉 906」
   ・・・・・・・・・・
・てんとう ―たう 1 【天道】
(1)太陽。日輪。
「お―さま」
(2)天の神。宇宙の万物を支配する神。てんどう。
→てんどう(天道)
   ・・・・・・・・・・
・てんどう ―だう 0 1 【天道】
〔「てんとう」とも〕
(1)天の道理。天理。天の道。
⇔地道
(2)天地を支配する神。天帝。天。
「其時に―の許し有りて/今昔 24」
(3)天体の運行する道。天の運行。
「人間の算術を以て―の行度を知る/中右記」
(4)太陽。
「あくる日は―を黄色に拝む位なれど/滑稽本・世の中貧福論」
(5)〔仏〕 六道の一つ。天人の住む世界。欲界・色界・無色界の天をいう。天趣。天界。
→天
» (成句)天道人を殺さず

★てんとう 【天道】 世界宗教用語大事典
天地を主宰する神。天帝・上帝。また太陽・日輪をいい、これを神格化して天道神とする。自然のなりゆきにまかせることを「天道任せ」という。(西日本で四月八日の節日に、竹竿の先に結んで高くかかげる花を天道花とか高花・八日花という)
   ・・・・・・・・・・
・てんどう 【天道】
(中国思想の重要概念)天帝の道。超自然の宇宙の道理。天は人を見捨てることはないとして「天道は人を殺さず」という諺がある。(仏教では六道の一つ)→ 六道

★天道(てんとう)http://p.tl/Cx_B
太陽または日輪である。太陽が空を通過する経路をいう。

★おてんとさん  あがつま語 http://www.weblio.jp/cat/dialect/aasmg
[多]=お天道さん=太陽

★おてんと
「お天道様」(おてんとうさま、おてんとさま)の部分。「天道」は太陽のこと。丁寧の「お」と敬称の「様」は共に用いられることが多い。


★天界(てんかい、upper region)http://p.tl/EPSG
天使や神々の住まう、我々の住んでいる「地上」の遥か上に存在しているとされる世界。
プラトンの『ティマイオス』の中には、「超天空の座」という表現で、現実の我々の居住する世界を超越した場というものが登場している。
ただし、これは極めて哲学的な概念としてのもの。
 
航空科学が発達し、宇宙空間にまで到達した今も、そのような存在は確認されていない為、存在するとすれば天界は「宇宙の果て」か我々が住む宇宙と違う「異世界」に在るという事になるだろう。
 
天国と同一視される事もあり、各種宗教に於ける教義の中で言及されている事もある。
 
多くの民族の神話などには、その存在を認められる。


●とんぼ【〈蜻蛉〉/〈蜻〉】●かげろう【〈蜉蝣〉/〈蜻蛉〉】

2013年04月28日 06時11分09秒 | 色んな情報
●とんぼ【〈蜻蛉〉/〈蜻〉】●かげろう【〈蜉蝣〉/〈蜻蛉〉】
★あきず あきづ 【〈蜻蛉〉/秋津】
〔平安時代以降は「あきつ」とも〕トンボの異名。[季]秋。
「手腓(たこむら)に(あむ)かきつきそのを―早咋(はやぐ)ひ/古事記(下)」
   ・・・・・・・・・・
・あきつ 【〈蜻蛉〉/秋津】
〔古くは「あきづ」〕トンボの異名。[季]秋。
→あきず(蜻蛉・秋津)
   ・・・・・・・・・・
・えんば ゑんば 【〈蜻蛉〉】
トンボの古名。
   ・・・・・・・・・・
・かげろう かげろふ 2 0 【〈蜉蝣〉/〈蜻蛉〉】
(1)カゲロウ目の昆虫の総称。多くは体長10~15ミリメートル。体はか弱く細長で、二本または三本の糸状の尾がある。はねは膜状で、後ろばねは小さいかまたは欠如する。不完全変態を行い、若虫は水中で一年以上を過ごし、羽化して亜成虫となり、さらに脱皮して成虫となる。成虫の寿命は数時間から一週間ぐらいで、短命ではかないもののたとえにされる。日本にはヒラタカゲロウ・トビイロカゲロウなど約六〇種が知られる。ウスバカゲロウ・クサカゲロウなどは脈翅目に属し、分類上は異なった種類。[季]秋。〔陽炎(かげろう)のゆらめきを思わせる飛び方をするところからの名といわれる〕
(2)トンボの古名。かぎろう。[和名抄]
» (成句)蜉蝣の命
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・せいれい 0 【▼蜻▼蛉】
トンボの別名。
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・とんぼ 0 【〈蜻蛉〉/〈蜻〉】
(1)トンボ目の昆虫の総称。世界で約六〇〇〇種が命名されている。熱帯に多く、日本には、約二〇〇種がいる。目は大きな複眼で、発達した口器をもつ。胴は細長い棒状で、細長い二対の羽をもつ。幼虫は水中にすみ、ヤゴと呼ばれ、成虫とともに害虫を捕食するので益虫とされる。あきつ。かげろう。とんぼう。だんぶり。[季]秋。
(2)多色印刷で、刷り合わせを正確にするため、版面につける見当合わせ用の十字形の印。
(3)(「筋斗」とも書く)「とんぼ返り」に同じ。
→とんぼをきる
(4)「とんぼ持ち」の略。
» (成句)蜻蛉を切る
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・とんぼう とんばう 0 【〈蜻蛉〉】
「とんぼ(蜻蛉)(1)」に同じ。[季]秋。

★蜻蛉   難読語辞典
読み方:カゲロウ
トンボの異名

★とんぼ 【蜻蛉】 世界宗教用語大事典
トンボ目に属する昆虫の総称。日本では古くはアキヅ・アキツ(秋津)と呼んだ。初秋に突如群れをなして飛来するところから、祖霊が姿を変えて来たとの俗信があり、捕ることを忌み、捕った時は「盆と正月礼に来い」と唱えて放つ風習があった。だが西洋では不吉な虫とすることが多い。蛇に危険が近づくとトンボがそれを蛇に知らせるという迷信もある。

★蜻蛉   http://p.tl/Uju5
・とんぼ、とんぼう、かげろう、せいれい、あきず、あきつ、えんば
   蜻蛉目に属する昆虫。 ⇒ トンボ
・かげろう
   源氏物語の五十二帖目の帖名。 ⇒ 蜻蛉 (源氏物語) http://p.tl/61Cw

★「蜻蛉」(かげろう)http://p.tl/61Cw
『源氏物語』五十四帖の巻名の一つ。第52帖。第三部の一部「宇治十帖」の第8帖にあたる。巻名は薫が宇治の三姉妹との因縁を想い詠んだ和歌「ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えしかげろふ」に因む。

★蜻 蛉(セイレイ)Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)
(とんぼ、あきつ、あきづ; 熟字訓)トンボ目の昆虫の総称。詳細は とんぼ 参照。
(かげろう; 熟字訓)カゲロウ目の昆虫の総称。詳細は かげろう【蜉蝣】参照。

●海月 クラゲ くらげ

2013年04月28日 05時47分05秒 | 色んな情報
●海月 クラゲ くらげ
★かいげつ 1 【海月】
(1)海上の空に出る月。
(2)海面に映っている月の影。
(3)くらげ。[日葡]
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・くらげ 0 【〈水母〉/〈海月〉】
腔腸動物の自由遊泳体。半透明で、食用になるものもある
腔腸動物のヒドロ虫類・ハチクラゲ類の浮遊世代と、有櫛(ゆうしつ)動物の個体の総称。
鉢虫綱の刺胞動物の総称
ほとんどが海産。
体は寒天質で骨格はなく、一般に傘形をなし、浮遊生活に適している。
下面中央に口柄(こうへい)があり、先端に口が開いている。
傘の縁には平衡器・触手などがある。
ビゼンクラゲなどは食用になる。
刺胞に強い毒をもち人間に害を与える種類もある。
古来、骨のないもののたとえにする。
[季]夏。
» (成句)水母の骨

★姓    読み方
 海月   うみづき
 海月   かいずき
 海月   かいつき
 海月   くらげ


★海月(かいげつ、くらげ)http://p.tl/0pCG
・月
 ・海上に見える月
 ・海面に映る月
・動物
 ・クラゲ

★くらげ 0 【〈水母〉/〈海月〉】
腔腸動物のヒドロ虫類・ハチクラゲ類の浮遊世代と、有櫛(ゆうしつ)動物の個体の総称。ほとんどが海産。体は寒天質で骨格はなく、一般に傘形をなし、浮遊生活に適している。下面中央に口柄(こうへい)があり、先端に口が開いている。傘の縁には平衡器・触手などがある。ビゼンクラゲなどは食用になる。刺胞に強い毒をもち人間に害を与える種類もある。古来、骨のないもののたとえにする。[季]夏。
» (成句)水母の骨
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・すいぼ 1 【水母】
クラゲの漢名。

★クラゲ   ダイビング用語集
読み方:くらげ
単体で活動する腔腸動物で、釣り鐘状の胴を上下に運動させることで水中を移動する。胴から伸びた触手に沿って刺胞があり、その毒にはかなり危険なものもある。刺されるとヒリヒリした感じから強烈な痛みまであり、刺された部分はベルト状に赤くなったり、ときに水泡ができることもある。

★クラゲ(水母、海月、水月)http://p.tl/TXU9
刺胞動物門に属する動物のうち、淡水または海水中に生息し浮遊生活をする種の総称。体がゼラチン質で、普通は触手を持って捕食生活をしている。また、それに似たものもそう呼ぶこともある。



★水母の骨【くらげ‐の‐ほね】
あり得ないこと、または非常に珍しいことのたとえ。
» 水母

●じう【慈雨】●じう 【時雨】(しぐれ)

2013年04月27日 20時19分09秒 | 色んな情報
●じう【慈雨】●じう 【時雨】(しぐれ)
★じう 1 【慈雨】
めぐみの雨。ほどよい時にほどよく降って、草木や作物をうるおしそだてる雨。
「旱天(かんてん)の―」
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・じう 1 【時雨】
(1)ちょうどよい時に降る雨。
(2)しぐれ。
» (成句)時雨の化
「慈雨」に似た言葉»      雨 潤い 絶好 水 恵まれる

万物を潤し育てる雨。また、日照り続きの時に降る雨。恵みの雨。「干天(かんてん)の―」《季 夏》

★時雨の化(か)
〔孟子(尽心上)〕草木が時雨を得て芽生えるように、君主・師の恩沢が広く及ぶこと。
» 時雨

★じう 1 【時雨】
(1)ちょうどよい時に降る雨。
(2)しぐれ。
» (成句)時雨の化
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・しぐれ 0 【《時雨》】
(1)初冬の頃、一時、風が強まり、急にぱらぱらと降ってはやみ、数時間で通り過ぎてゆく雨。冬の季節風が吹き始めたときの、寒冷前線がもたらす驟雨(しゆうう)。村時雨・小夜(さよ)時雨・夕時雨・涙の時雨などの言い方がある。
「―が通り過ぎる」「―する稲葉の山のもみぢばは/沙石 5」
[季]冬。《いそがしや沖の―の真帆片帆/去来》
(2)「時雨煮」の略。
(3)涙を落として泣くさまにたとえていう。
「野山の気色、まして、袖の―をもよほしがちに/源氏(椎本)」

★時雨(しぐれ)『ウィキペディア』 http://p.tl/M2zD
主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨や雪のこと


★時雨(しぐれ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
晩秋から初冬にかけて降る雨で、降ったりやんだりするにわか雨をいう。『和名抄(わみょうしょう)』では、「雨」を「之久礼」と訓(よ)んでいる。『万葉集』には40例近くみえ、巻8や巻10では秋雑歌(ぞうか)に位置づけされており、「九月(ながつき)のしぐれの雨に濡(ぬ)れ通り春日(かすが)の山は色づきにけり」(巻10)など、秋に重点を置きながら、紅葉(万葉では黄葉)を染めたり散らしたりするものと考えられていた。「時雨」という用字はまだなく、平安時代に入ってからのものらしい。『古今集』の用例は12例、季節意識としては『万葉集』と同様だが、「我が袖(そで)にまだき時雨の降りぬるは君が心にあきや来(き)ぬらむ」(恋5)のように涙の比喩(ひゆ)として詠まれたりするようになり、物語や日記などにもわびしさや悲しみを暗示する景物として用いられている。平安中期になると季節意識に変化があり、『後撰集(ごせんしゅう)』の「神無月(かみなづき)降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける」(冬)などにみられるように冬の景物として固定し、時雨の多い京都の風土とも相まって王朝文学に頻出し、以後も継承された。俳諧(はいかい)の季題も冬。 [ 執筆者:小町谷照彦 ]

★時雨西行(しぐれさいぎょう)
長唄(ながうた)の曲名。河竹黙阿弥(もくあみ)作詞、2世杵屋(きねや)勝三郎作曲。1864年(元治1)9月初演。西行法師が江口(えぐち)(大阪市東淀川(ひがしよどがわ)区)の遊女と歌を詠み交わすが、遊女は普賢菩薩(ふげんぼさつ)の化身であったという話を題材にした能『江口』の長唄化である。本来は舞踊を伴わない長唄だけの曲。全体の構成は、西行の道行、遊女との出会いと西行の身の上話、遊女の身の上話、普賢菩薩の現出と4部分に分かれ、それぞれ、謡曲風で荘重な曲調、くせのないさらりと運んだ曲調、詠嘆的な華やかな二上り、大薩摩(おおざつま)とそれに続く三味線の技巧を尽くした神秘的かつ荘重な本調子と、趣(おもむき)に変化をもたせている。 [ 執筆者:茂手木潔子 ]

★時雨亭(しぐれてい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
京都・高台寺(こうだいじ)境内の高台に建つ2階建ての茶室。土間廊下で傘(からかさ)亭とつながれている。傘亭が比較的閉鎖的であるのに対し、時雨亭の階上は開放的に構成され、「くど」構えを備えている。 [ 執筆者:中村昌生 ]

★時雨煮(しぐれに) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
ハマグリの香りを残す佃煮(つくだに)風の煮方をいうのであるが、いまはハマグリ以外の材料を用いても時雨煮といっている。三重県桑名は江戸時代からハマグリが名物であり、「その手は桑名の焼きはまぐり」という俗語が古くから使われている。いまでも、桑名、四日市のハマグリの時雨煮はこの地方の名物になっているが、往年のようにはこの近くの海でハマグリがとれなくなった。しかし独特の調理技術で優秀品がつくられている。 [ 執筆者:多田鉄之助 ]

★時雨の炬燵(しぐれのこたつ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)、歌舞伎(かぶき)劇。本名題(ほんなだい)『天網島(てんのあみじま)時雨炬燵』。近松門左衛門作の『心中天網島』を1778年(安永7)に近松半二(はんじ)が改作した『心中紙屋治兵衛』を、後世さらに改めたもの。近松原作の中巻にあたる「紙屋内」の場面で、治兵衛の舅(しゅうと)五左衛門が娘おさんを連れ去るのを、治兵衛の恋人小春に添わせる好意のためとするほか、いくつかの改変がある。近年、近松の原作が尊重されるまでは、もっぱらこの改作が上演されてきた。 [ 執筆者:松井俊諭 ]

★時雨(しぐれ)の方言  http://p.tl/gsMx
時雨を意味する方言には次のような例がある。
 ・しまけ - 兵庫県加古郡
 ・そばえ(戯) - 島根県石見地方
 ・はこびあめ(運び雨) - 宮城県仙台市ほか
逆に一部の地域では、別の気象現象を時雨と呼ぶ例がある。
 ・雷 - 常陸地方
 ・霙 - しぶれ。大分県速見郡
 ・夕立 - 上総地方


★蝉時雨(せみしぐれ)http://p.tl/5027
多くの蝉が一斉に鳴きたてる声を時雨の降る音に見立てた語。夏の季語。
藤沢周平の時代小説。⇒蝉しぐれ  http://p.tl/j-s8
グレープの楽曲。
五木ひろしのシングル。⇒蝉時雨 (五木ひろしの曲)
日本のロックバンド。⇒蝉時雨 (ロックバンド)
NOAのアダルトゲーム⇒蝉時雨 (ゲーム)

★季語(きご)http://p.tl/48kC
連歌、俳諧、俳句において用いられる特定の季節を表す言葉を言う。
「雪」(冬)、「月」(秋)、「花」(春)などのもの。
流派、結社によっては、題詠の題としたり、一句の主題となっている言葉を「季題」(きだい)と言い、単に季節を表すだけの「季語」と区別することもあるが、両者の境は曖昧であり互いを同義に用いることも多い+(詳細は後述)。
「季語」「季題」いずれも近代以降に成立した言い方であり、古くは「季の詞(きのことば)」「季の題」「四季の詞」あるいは単に「季(き)」「季節」などと呼ばれた。
以下では特に説明のない限り「季語」で統一して解説する。

★季語一覧(きご いちらん) http://p.tl/J3sm

●大和三山(やまとさんざん)

2013年04月27日 11時54分49秒 | 色んな情報
●大和三山(やまとさんざん)
★やまと-さんざん 【大和三山】
奈良盆地南部の畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)・天香久山(あまのかぐやま)の総称。藤原京址を囲むように三角形をなして位置する。

★大和三山  国指定文化財等データベース
名称: 大和三山: やまとさんざん
 香具山  かぐやま
 畝傍山  うねびやま
 耳成山  みみなしやま
種別: 名勝
種別2:
都道府県: 奈良県
市区町村: 橿原市
管理団体:
指定年月日: 2005.07.14(平成17.07.14)
指定基準: 名3,名10,名11
特別指定年月日:
追加指定年月日:
解説文: 大和三山は奈良盆地の南部に位置し、香具山(152.4m)、畝傍山(199.2m)、耳成山(139.7m)の3つの独立小丘陵から成る。香具山は多武峰から北西に延びる支稜線が浸食により切り離され、独立丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山はそれぞれ沖積盆地底に位置する円錐形のいわゆる死火山である。
3つの山は古来、有力氏族の祖神や産土神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる山として神聖視され、その頂部や麓に『日本書紀』に記す天香具山社、『延喜式』の式内社である畝火山口坐神社、耳成山口神社などが祀られてきた。
また、高市皇子(654~696)の香具山宮や推古天皇(554~628)の耳梨行宮など皇宮の造営地ともされ、特に『万葉集』の「藤原宮の御井の歌」と呼ばれる有名な長歌からは、694年に持統天皇(645~702)が造営した藤原宮は大和三山に囲まれた平地に位置したことが知られる。『続日本紀』に記す和銅元年(708)の「平城遷都詔」によると、平城宮では「叶四禽図、三山作鎮」土地が選地の条件とされたことから、藤原宮の造営に当たっても東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地条件が宮都を営む上での重要な条件とされたことが想定できる。
大和三山を詠んだ和歌は多く、特に『万葉集』には中大兄皇子や柿本人麻呂の和歌をはじめ、持統天皇の「春過ぎて夏来るらし 白たへの衣ほしたり 天の香具山」など有名な和歌が多数収められている。『万葉集』のみならず『古今和歌集』や『新古今和歌集』など後続の勅撰和歌集にも大和三山を詠った和歌が数多く見られ、大和三山は重要な歌枕として、その観賞上の地位を確立していった。
さらに近世においては、『大和名所図会』などの地誌、案内記をはじめ、本居宣長の『菅笠日記』などの紀行文においても紹介され、万葉世界を代表する名所として広く知れわたるようになった。
明治維新に伴い、大和三山の一部は御料地として帝室林野局の管理下に置かれたが、第2次世界大戦後、多くの区域は国有林野として農林水産省の管理下に置かれた。アカマツからアラカシ、ヒノキ、リョウブなどが優占する林相へと遷移しており、全体として良好な森林の景観が維持されている。
以上のように、大和三山は日本古来の神々が鎮座する山として神聖視されるとともに、古代宮都の造営に際して精神上又は景観上の重要な意義をもち、歌枕に関わる名所としても遍く知られた。その地形と樹叢がもつ観賞上の価値、名所的・学術的価値はともに高い。

★大和三山(やまとさんざん)『ウィキペディア)』 http://p.tl/gWCE
奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定[1]、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された

★大和国(やまとのくに)http://p.tl/oJcM
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する。

★飛鳥(あすか)http://p.tl/q7d9
現在の奈良県高市郡明日香村大字飛鳥あたりと大阪府羽曳野市及び太子町あたりを指す地域名。2つの飛鳥を区別するために、河内国(大阪府)の飛鳥は「近つ飛鳥」「河内飛鳥」とよばれ、大和国(奈良県)の飛鳥は「遠つ飛鳥」・「大和飛鳥」とよばれる。この場合の「近つ」、「遠つ」は都があった難波宮(大阪市中央区)からみてちかいかとおいかによる(なお、遠つ飛鳥と近つ飛鳥を逆に解する説もある)。
 
現在では単に「飛鳥」といった場合には、大阪府の飛鳥(河内飛鳥)ではなく奈良県の飛鳥(大和飛鳥)を指すのが一般的である。したがって、ここでは奈良県の大和飛鳥について記述し、大阪の飛鳥は「河内飛鳥」の項目に記す。

★河内飛鳥(かわちあすか)http://p.tl/wsfC
現在の大阪府南河内地区の羽曳野市東部・太子町辺りを指す地域の通称。
 
この辺りには古墳時代から飛鳥時代にかけての歴史的遺構・史跡が数多く残されている。
・名称について
大和国(奈良県)の飛鳥と区別するために、「河内」を冠される。また、「近つ飛鳥」とも呼ばれる。この場合の「近つ」は、大和国の飛鳥(遠つ飛鳥)と比較し、都があった難波宮や難波津(大阪市中央区)から見て、近いか遠いかによる説が通説となっているものの、推古天皇が崇峻5年(592年)に即位して都が大和国の飛鳥(遠つ飛鳥)に移されたころに、大和朝廷を支えた有力豪族である蘇我氏が元々の地盤である河内地方から大和国の飛鳥に移住したことから、河内国の飛鳥地方が後から「近つ飛鳥」と呼ばれるようになったという説・主張もある

★天香久山 http://p.tl/t9un(あまのかぐやま、あめのかぐやま)または香具山(かぐやま)
奈良県橿原市にある山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる。
 
歴史的風土特別保存地区[2]と国の名勝に指定されている。

★畝傍山(うねびやま)http://p.tl/qpsR
奈良盆地南部に位置する山である。かつては「畝火山」、「雲根火山」、「宇禰縻夜摩」とも記され、「慈明寺山」、「御峯山」などと呼ばれることもあった。万葉集の中では「瑞山」(みずやま)とも詠まれた。天香久山、耳成山とともに大和三山と呼ばれ、2005年(平成17年)7月14日には他の2山とともに国の名勝に指定された。標高は198.8メートルと三山の中では最も高い。ただし、山頂にある三等三角点の標高は198.49メートルである。歴史的風土特別保存地区にも指定されている。

★耳成山(みみなしやま)http://p.tl/3e9C
奈良盆地の南部に位置する奈良県橿原市にある山[1]。山の標高は139.6メートルだが、山頂にある三角点の標高は139.2メートルである。大和三山の一つで、最も北に位置する。歴史的風土特別保存地区[2]と国の名勝に指定されている。
 
山の南部には耳成山公園(5,222平方メートル)が整備され、市民の憩いの場であり春には桜の名所となっている

★万葉集では「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子、巻1-13)と歌われている。大和三山(の神)が神代に恋争いをしたという歌である。この歌の「畝火ををし」を「畝火雄々し」と解釈し畝傍山の神は男神であるという説と、「畝火を愛し」と解釈して畝傍山は女神であるという説とがある。この歌は、中大兄皇子と弟の大海人皇子の額田王をめぐっての恋争いを大和三山に託したものという説もある。
 
飛鳥時代の持統天皇の頃には三山周辺に大規模な条坊制を取り入れた藤原京が整備され三山に囲まれた中心部に大極殿などの宮城が置かれていた。
 
2007年(平成19年)1月、世界遺産の暫定リスト「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の1つとしてと登録された。

★藤原京(ふじわらきょう)http://p.tl/deEC
飛鳥京の西北部、奈良県橿原市に所在する日本史上最初で最大の都城である。
また、日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)を布いた本格的な唐風都城でもある。
この都城は、周礼が説く思想を表していたとされている。

★飛鳥京 (あすかきょう、あすかのみやこ) http://p.tl/Yyfy
現在の奈良県高市郡明日香村一帯にあったと想定される遺跡群の総称。
主に飛鳥時代を中心に、この地域に多くの天皇(大王)の宮が置かれ、併せて関連施設遺跡も多数あることから、後世の宮都や首都にならって飛鳥京と呼ばれている。飛鳥古京(あすかこきょう)や「倭京」、「古京」などの表記(『日本書紀』)もみられる。
 
律令国家成立期以後の新益京(藤原京)や平城京のように全体計画のもとに造営された都城とは一般にはみなされておらず、また、発掘調査などによって考古学的な成果においても全体像を明らかにするにいたっていないため、地理的な範囲など「飛鳥京」が指し示すものの実態は必ずしも明確ではない。そのためか、歴史学や考古学の文脈においても、飛鳥時代における飛鳥周辺地域を指すのに「飛鳥京」という名称がつねに用いられているわけではない。その点において藤原京以降の「京」とは意を異にする。

★平城京(へいじょうきょう)http://p.tl/Qx0U
奈良時代の日本の首都。所謂「奈良の都」である。唐の都「長安」や北魏洛陽城等を模倣して建造されたとされ、現在の奈良県奈良市及び大和郡山市近辺に位置していた。
藤原京から平城京への遷都は707年(慶雲4年)に審議が始まり、708年(和銅元年)には元明天皇により遷都の詔が出された。しかし、710年(和銅3年)3月10日 (旧暦)に遷都された時には、内裏と大極殿、その他の官舎が整備された程度と考えられており、寺院や邸宅は、山城国の長岡京に遷都するまでの間に、段階的に造営されていったと考えられている。740年(天平12年)、恭仁京や難波京への遷都によって平城京は一時的に放棄されるが、745年(天平17年)には、再び平城京に遷都され、その後784年(延暦3年)、長岡京に遷都されるまで政治の中心地であった。山城国に遷都したのちは南都(なんと)とも呼ばれた。
 
810年(弘仁元年)9月6日、平城上皇によって平安京を廃し平城京へ再び遷都する詔が出された。これに対し嵯峨天皇が迅速に兵を動かし、9月12日、平城上皇は剃髪した(薬子の変)。これによって平城京への再遷都は実現することはなかった。

★平安京(へいあんきょう)http://p.tl/kZCU
794年(延暦13年)に桓武天皇により定められた日本の首都で、平安城ともいい現在の京都市中心部に位置した。1869年(明治2年)に政府が東京に移転して実質的には首都機能を失ったが、その位置づけについては争いがある(詳細は東京奠都を参照)。


★藤原宮(新益京=藤原京) http://p.tl/Fhq6

★藤原京CG再現プロジェクト  http://p.tl/200C

★藤原京の「条坊制」 (PDF)  http://p.tl/wHFp