神代文字の一で筑紫文字 - 筑後国の重定古墳で見つかった。
★筑後国(ちくごのくに)http://p.tl/0weo
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。
★筑紫文字(つくしもじ)http://p.tl/FsuF
福岡県うきは市にある重定古墳の石室に記されているとされた神代文字。
重定石窟古字とも称される。
平田篤胤が1819年(文政2年)に著した『神字日文伝』附録遺字篇には「筑後国石窟文字」として採録されており、地元には「神代の文字」とする言い伝えがあるとされる。ただし平田は「慥(タシカ)に文字とも思ひ定めがたし」と述べている。
有名な学者である平田の影響は大きく、後に測量で筑後国を訪れた伊能忠敬が重定古墳を訪れ詳細な調査を行った。この資料と久留米藩士の資料は、装飾古墳の古い資料が少ない中で詳細な資料として貴重なものであるといわれる。
★装飾古墳(そうしょくこふん)http://p.tl/yrDe
日本の古墳のうち、内部の壁や石棺に浮き彫り、線刻、彩色などの装飾のあるものの総称で、墳丘を持たない横穴墓も含まれる。大半が九州地方、特に熊本県に集中している。熊本県山鹿市のチブサン古墳などが有名である。
装飾古墳は、日本全国に600基ほどあり、その半数以上に当たる約340基が九州地方に、約100基が関東地方に、約50基が山陰地方に、約40基が近畿地方に、約40基が東北地方にあり、その他は7県に点在している。
装飾方法は、浮き彫り、線刻、彩色の3手法があり、浮き彫りや線刻に彩色するなどの併用手法を用いている。最初期の装飾手法は、彫刻が主流であり、線刻は一部で用いられ、浮き彫りが多く、彩色は赤色顔料だけである。5世紀ごろになると彫刻されたものに赤色以外の色が使用されるようになる。6世紀になると浮き彫りを基調とする彫刻がなくなり、基本的には彩色だけで文様が描かれるようになり、石室の壁全体に図柄が描かれるようになる。7世紀末から8世紀初めの奈良県高松塚古墳やキトラ古墳は、装飾古墳とは系統を異にするもので壁画古墳と呼び分けている。
重定古墳に描かれた壁画の図 http://p.tl/hA4C
★古墳(歴史・伝統文化) - うきは市 ※ページ冒頭部に筑紫文字の画像あり。
●半坡文字(はんは もじ)http://p.tl/2fzj
中華人民共和国西安市の半坡遺跡から出土した、新石器時代の文字に近い形態の記号の一種である。これを漢字の起源であるとする研究者も存在している。
★北海道異体文字(ほっかいどういたいもじ)
1886年(明治19年)頃に北海道で発見された文字。
アイノモジ(アイノ文字)、アイヌ文字とも呼ばれる。
古い時代にアイヌの祖先にあたる蝦夷が用いた文字とする説や、蝦夷とは異なるユーラシア大陸から来た民族の文字とする説などがある。
ただし今日においては一般に、和人が漢字や仮名によって表記される日本語を持ち込むまで、北海道に文字は存在しなかったと考えられている
★「アイヌ語仮名」http://p.tl/Jd5N
アイヌ語仮名(あいぬごかな)とは、アイヌ語を表記するために使用される仮名である。アイヌ語片仮名(アイヌごかたかな)とも呼ばれる。
長らくアイヌ語仮名は情報端末では使用出来なかったが、2000年(平成12年)に制定されたJIS X 0213によりコードが定義され、一般に使用可能となった
・歴史
アイヌ語はアイヌ民族の母語であるが、元来文字を持たず、専ら口承での使用であった。
アイヌは古代より和人などと交易があった蝦夷の末裔であるが、文字を使用する文化は伝播しなかった。
江戸時代になると、現在の北海道や樺太および千島列島は和人から蝦夷地と呼ばれ、松前藩の調査によって地図が作成された。
1604年(慶長9年)に作成された松前島図によりアイヌ語の地名の記載が行われた。
1700年(元禄13年)に作成された松前島郷帳では、主に平仮名によってアイヌ語の地名が記載された。
このような形で当初は平仮名によるアイヌ語表記が主であった。
これらに対し、アイヌ語に対し正確な表記をしようとする動きが出てくることになり、日本語の発音と異なる音を小書き片仮名で表現することが行われ、アイヌ語仮名が成立した。
現代ではアイヌ語の表記に使用される小書き片仮名及び大書き片仮名をあわせてアイヌ語仮名と呼ばれるようになった。なお、同様の表記は台湾語で使用される台湾語仮名でも行われていた。
・特徴
片仮名及び半濁点を持つ片仮名、小書き片仮名、小書きで半濁点を持つ片仮名によって構成される。
★アイヌ語
アイヌ語(アイヌご、アイヌ語ラテン文字表記:Aynu itak、アイヌ語仮名表記:アイヌ・イタㇰ)
現在、日本とロシア等に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。
話者は、アイヌ民族の主たる居住地域である北海道、樺太、千島列島に分布していたが、現在ではアイヌの移住に伴い日本の他の地方(主に首都圏)にも拡散している。
「孤立した言語」とされている。
・アイヌ語由来の地名 http://p.tl/yDiQ
・アイヌ語の語彙
・日本語に溶け込んだアイヌ語 http://p.tl/-Eqf
★蝦夷(えみし、えびす、えぞ)http://p.tl/S2xW
大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方の一部と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)に住む人々を異端視・異族視した呼称である。
中央政権の征服地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。
★片仮名 http://p.tl/y1Eu
片仮名(かたかな)とは、日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字を起源として成立した。
★台湾語仮名 http://p.tl/qQZl
台湾語仮名(たいわんごかな)とは、日本統治時代の台湾で試みられた、台湾語の発音を表記するための仮名を使った振り仮名。台湾語の発音には有気音や鼻母音など、日本語の表記では区別しない発音があり、これらを仮名を使って表せるように考案されたものである。声調は仮名の隣に特殊な記号を付けて示せるようになっている。総督府は台湾各所の発音を調べ、結果として西洋宣教師の影響を受け、いわゆる廈門音を基準にした。
『日台小字典』、『日台新辞典』、『日台大辞典』、『日台小辞典』、『台日大辞典』、『台日新辞書』、『台日小辞典』、『新訂日台大辞典 上巻』などの辞書や数多くの台湾語学習教材などの出版実績があり、官民問わず広く使用されていた。
★沖縄方言の表記体系 http://p.tl/axo2
この項目では、現代における沖縄方言の表記体系について解説する。沖縄方言の概観については沖縄方言を、琉球語の表記については、琉球語(en:Ryukyuan languages)もしくは日本語#方言と表記をそれぞれ参照のこと。
「方言」として、現代における沖縄方言が頻繁に文書化されるということはなく、一般的には、一部の観光地などで「めんそーれ」「シークヮーサー」などと、日本語の表記体系が、「限定的な手法」として用いられているに過ぎない。これは、現代における沖縄方言の標準的な正書法というものは存在しないからである。しかしながら、一部の言語学者や識者によって提唱されている表記体系が数例存在する。これらの表記体系の中で、沖縄方言を母語とする者の間に広く用いられている例はない。沖縄方言のローマ字表記の類は、とりわけ学術的な出版物において用いられている。
★琉球語(りゅうきゅうご)もしくは琉球方言(りゅうきゅうほうげん)http://p.tl/-apb
日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる言語である。日本本土の日本語と系統を同じくするものの、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがあり、日本語とは別の言語と見なす立場と、日本語内部の一方言と見なす立場とがある(#言語か方言か参照)。また琉球語内部でも地域差が著しいため、諸言語の集合として琉球諸語と見なす立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、言語説と方言説の両意見を考慮して、琉球語(琉球方言)と併記する。
独立言語として見た場合、日本語と系統が同じ唯一の言語と見なされ、日本語と琉球語を合わせて日本語族あるいは日琉語族と呼ばれる。さらに琉球語の多様性から「琉球語派」と呼ばれることもある。一方、日本語の一方言とする立場からは、「琉球方言」または「南島方言」(なんとうほうげん)と呼ばれ、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大きく分類できる、とする。
★日本語#方言と表記 http://p.tl/13sE
日本語の表記体系は中央語を書き表すために発達したものであり、方言の音韻を表記するためには必ずしも適していない。たとえば、東北地方では「柿」を [kagɨ]、「鍵」を [kãŋɨ] のように発音するが、この両語を通常の仮名では書き分けられない(アクセント辞典などで用いる表記によって近似的に記せば、「カギ」と「カンキ゚」のようになる)。もっとも、方言は書き言葉として用いられることが少ないため、実際上に不便を来すことは少ない。
岩手県気仙方言(ケセン語)について、山浦玄嗣により、文法形式を踏まえた正書法が試みられているというような例もある。ただし、これは実用のためのものというよりは、学術的な試みのひとつである。
★筑後国(ちくごのくに)http://p.tl/0weo
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。
★筑紫文字(つくしもじ)http://p.tl/FsuF
福岡県うきは市にある重定古墳の石室に記されているとされた神代文字。
重定石窟古字とも称される。
平田篤胤が1819年(文政2年)に著した『神字日文伝』附録遺字篇には「筑後国石窟文字」として採録されており、地元には「神代の文字」とする言い伝えがあるとされる。ただし平田は「慥(タシカ)に文字とも思ひ定めがたし」と述べている。
有名な学者である平田の影響は大きく、後に測量で筑後国を訪れた伊能忠敬が重定古墳を訪れ詳細な調査を行った。この資料と久留米藩士の資料は、装飾古墳の古い資料が少ない中で詳細な資料として貴重なものであるといわれる。
★装飾古墳(そうしょくこふん)http://p.tl/yrDe
日本の古墳のうち、内部の壁や石棺に浮き彫り、線刻、彩色などの装飾のあるものの総称で、墳丘を持たない横穴墓も含まれる。大半が九州地方、特に熊本県に集中している。熊本県山鹿市のチブサン古墳などが有名である。
装飾古墳は、日本全国に600基ほどあり、その半数以上に当たる約340基が九州地方に、約100基が関東地方に、約50基が山陰地方に、約40基が近畿地方に、約40基が東北地方にあり、その他は7県に点在している。
装飾方法は、浮き彫り、線刻、彩色の3手法があり、浮き彫りや線刻に彩色するなどの併用手法を用いている。最初期の装飾手法は、彫刻が主流であり、線刻は一部で用いられ、浮き彫りが多く、彩色は赤色顔料だけである。5世紀ごろになると彫刻されたものに赤色以外の色が使用されるようになる。6世紀になると浮き彫りを基調とする彫刻がなくなり、基本的には彩色だけで文様が描かれるようになり、石室の壁全体に図柄が描かれるようになる。7世紀末から8世紀初めの奈良県高松塚古墳やキトラ古墳は、装飾古墳とは系統を異にするもので壁画古墳と呼び分けている。
重定古墳に描かれた壁画の図 http://p.tl/hA4C
★古墳(歴史・伝統文化) - うきは市 ※ページ冒頭部に筑紫文字の画像あり。
●半坡文字(はんは もじ)http://p.tl/2fzj
中華人民共和国西安市の半坡遺跡から出土した、新石器時代の文字に近い形態の記号の一種である。これを漢字の起源であるとする研究者も存在している。
★北海道異体文字(ほっかいどういたいもじ)
1886年(明治19年)頃に北海道で発見された文字。
アイノモジ(アイノ文字)、アイヌ文字とも呼ばれる。
古い時代にアイヌの祖先にあたる蝦夷が用いた文字とする説や、蝦夷とは異なるユーラシア大陸から来た民族の文字とする説などがある。
ただし今日においては一般に、和人が漢字や仮名によって表記される日本語を持ち込むまで、北海道に文字は存在しなかったと考えられている
★「アイヌ語仮名」http://p.tl/Jd5N
アイヌ語仮名(あいぬごかな)とは、アイヌ語を表記するために使用される仮名である。アイヌ語片仮名(アイヌごかたかな)とも呼ばれる。
長らくアイヌ語仮名は情報端末では使用出来なかったが、2000年(平成12年)に制定されたJIS X 0213によりコードが定義され、一般に使用可能となった
・歴史
アイヌ語はアイヌ民族の母語であるが、元来文字を持たず、専ら口承での使用であった。
アイヌは古代より和人などと交易があった蝦夷の末裔であるが、文字を使用する文化は伝播しなかった。
江戸時代になると、現在の北海道や樺太および千島列島は和人から蝦夷地と呼ばれ、松前藩の調査によって地図が作成された。
1604年(慶長9年)に作成された松前島図によりアイヌ語の地名の記載が行われた。
1700年(元禄13年)に作成された松前島郷帳では、主に平仮名によってアイヌ語の地名が記載された。
このような形で当初は平仮名によるアイヌ語表記が主であった。
これらに対し、アイヌ語に対し正確な表記をしようとする動きが出てくることになり、日本語の発音と異なる音を小書き片仮名で表現することが行われ、アイヌ語仮名が成立した。
現代ではアイヌ語の表記に使用される小書き片仮名及び大書き片仮名をあわせてアイヌ語仮名と呼ばれるようになった。なお、同様の表記は台湾語で使用される台湾語仮名でも行われていた。
・特徴
片仮名及び半濁点を持つ片仮名、小書き片仮名、小書きで半濁点を持つ片仮名によって構成される。
★アイヌ語
アイヌ語(アイヌご、アイヌ語ラテン文字表記:Aynu itak、アイヌ語仮名表記:アイヌ・イタㇰ)
現在、日本とロシア等に居住するアイヌ民族(アイヌ)の言語である。
話者は、アイヌ民族の主たる居住地域である北海道、樺太、千島列島に分布していたが、現在ではアイヌの移住に伴い日本の他の地方(主に首都圏)にも拡散している。
「孤立した言語」とされている。
・アイヌ語由来の地名 http://p.tl/yDiQ
・アイヌ語の語彙
・日本語に溶け込んだアイヌ語 http://p.tl/-Eqf
★蝦夷(えみし、えびす、えぞ)http://p.tl/S2xW
大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方の一部と東北地方)や、北方(現在の北海道地方)に住む人々を異端視・異族視した呼称である。
中央政権の征服地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道・樺太・千島の先住民族で、アイヌ語を母語とするアイヌを指す。
★片仮名 http://p.tl/y1Eu
片仮名(かたかな)とは、日本語の表記に用いられる音節文字のこと。仮名の一種で、借字を起源として成立した。
★台湾語仮名 http://p.tl/qQZl
台湾語仮名(たいわんごかな)とは、日本統治時代の台湾で試みられた、台湾語の発音を表記するための仮名を使った振り仮名。台湾語の発音には有気音や鼻母音など、日本語の表記では区別しない発音があり、これらを仮名を使って表せるように考案されたものである。声調は仮名の隣に特殊な記号を付けて示せるようになっている。総督府は台湾各所の発音を調べ、結果として西洋宣教師の影響を受け、いわゆる廈門音を基準にした。
『日台小字典』、『日台新辞典』、『日台大辞典』、『日台小辞典』、『台日大辞典』、『台日新辞書』、『台日小辞典』、『新訂日台大辞典 上巻』などの辞書や数多くの台湾語学習教材などの出版実績があり、官民問わず広く使用されていた。
★沖縄方言の表記体系 http://p.tl/axo2
この項目では、現代における沖縄方言の表記体系について解説する。沖縄方言の概観については沖縄方言を、琉球語の表記については、琉球語(en:Ryukyuan languages)もしくは日本語#方言と表記をそれぞれ参照のこと。
「方言」として、現代における沖縄方言が頻繁に文書化されるということはなく、一般的には、一部の観光地などで「めんそーれ」「シークヮーサー」などと、日本語の表記体系が、「限定的な手法」として用いられているに過ぎない。これは、現代における沖縄方言の標準的な正書法というものは存在しないからである。しかしながら、一部の言語学者や識者によって提唱されている表記体系が数例存在する。これらの表記体系の中で、沖縄方言を母語とする者の間に広く用いられている例はない。沖縄方言のローマ字表記の類は、とりわけ学術的な出版物において用いられている。
★琉球語(りゅうきゅうご)もしくは琉球方言(りゅうきゅうほうげん)http://p.tl/-apb
日本の沖縄県と鹿児島県奄美群島で用いられる言語である。日本本土の日本語と系統を同じくするものの、口頭では互いに全く通じ合わないほどの違いがあり、日本語とは別の言語と見なす立場と、日本語内部の一方言と見なす立場とがある(#言語か方言か参照)。また琉球語内部でも地域差が著しいため、諸言語の集合として琉球諸語と見なす立場もある(#下位区分か、個別言語か参照)。本項では、言語説と方言説の両意見を考慮して、琉球語(琉球方言)と併記する。
独立言語として見た場合、日本語と系統が同じ唯一の言語と見なされ、日本語と琉球語を合わせて日本語族あるいは日琉語族と呼ばれる。さらに琉球語の多様性から「琉球語派」と呼ばれることもある。一方、日本語の一方言とする立場からは、「琉球方言」または「南島方言」(なんとうほうげん)と呼ばれ、日本語は琉球方言と本土方言の2つに大きく分類できる、とする。
★日本語#方言と表記 http://p.tl/13sE
日本語の表記体系は中央語を書き表すために発達したものであり、方言の音韻を表記するためには必ずしも適していない。たとえば、東北地方では「柿」を [kagɨ]、「鍵」を [kãŋɨ] のように発音するが、この両語を通常の仮名では書き分けられない(アクセント辞典などで用いる表記によって近似的に記せば、「カギ」と「カンキ゚」のようになる)。もっとも、方言は書き言葉として用いられることが少ないため、実際上に不便を来すことは少ない。
岩手県気仙方言(ケセン語)について、山浦玄嗣により、文法形式を踏まえた正書法が試みられているというような例もある。ただし、これは実用のためのものというよりは、学術的な試みのひとつである。
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