1年前の午前8時43分
今もあの揺れの恐怖が頭から離れません
同時に命を落とされた方たちもいたこの災害の大きさを改めて実感しております。
今朝地震同時刻に栗原市内一斉にサイレンが鳴り亡くなられた方たちへの鎮魂の黙祷をささげました
私は地震発生のときに立っていた台所の流しの前
夫は仕事をしていた窯の前でそれぞれ去年いた場所で黙祷をささげました
黙祷の間この1年のことが次々に思い出され涙が止まりませんでした
座主窯は皆さんの励ましとご協力により元の生活を取り戻すことが出来ました
本当に本当に有難う御座いました。
まだまだ花山全体のことを考えたら問題が山積みですが前を向いて仲間と一緒に進んでいきたいと思っています
今もあの揺れの恐怖が頭から離れません
同時に命を落とされた方たちもいたこの災害の大きさを改めて実感しております。
今朝地震同時刻に栗原市内一斉にサイレンが鳴り亡くなられた方たちへの鎮魂の黙祷をささげました
私は地震発生のときに立っていた台所の流しの前
夫は仕事をしていた窯の前でそれぞれ去年いた場所で黙祷をささげました
黙祷の間この1年のことが次々に思い出され涙が止まりませんでした
座主窯は皆さんの励ましとご協力により元の生活を取り戻すことが出来ました
本当に本当に有難う御座いました。
まだまだ花山全体のことを考えたら問題が山積みですが前を向いて仲間と一緒に進んでいきたいと思っています
私も随分考えさせられた事件でした。
ライブイベント『彩光』。
実はvol-3が去年の6月15日でした。
決行しました。
このイベントはチケットノルマ無しで行っている為、当日のお客様の入り次第では赤字になる可能性もある、運営的にはメチャクチャなイベントです。が、沢山集まり、黒字にもなりました。
しかし、どんどん実情が報道されるにつれ、
2日後に「これは何かしなければ」
と思い、収益金全額を栗原市長宛に送りました。翌月にはチャリティー前提で急遽企画し、
関係各社からも協力を頂き、さらに栗原市へ送る事が出来ました。私達の行動に共感してくれた、東京の旧友からも寄付金をあずかり送りました。
すべて廻りの皆様のおかげで出来たことであり、感謝しております。
あの地震の翌日に、イベントを行った事に対して、後日HP掲示板へかなりの批判中傷が寄せられました。
私も仲間も、かなり考えました。
いろいろ勉強にもなりましたし、
なにより、仲間達からの応援、支えをもらい、大きな力になりました。
このコメントを公表するかどうかはお任せします。
ただ一つ、
聞きたい事があります。
あの翌日にライブイベントを古川商店街で行った事は、被災者の方々から見て、どうなのでしょうか?
ずっとそれが聞きたくておりました。
>あの翌日にライブイベントを古川商店街で行った事は、被災者の方々から見て、どうなのでしょうか?
というお尋ねですが答えになるかなあ?
私達は地震の直後我家の被害状況を把握し次に何をしたかというとまずジジとババの安否確認そして次に仲間達の顔を見に行きました。会いに行かずにはいられませんでした。もちろん我家にも大勢の花山の友達が駆けお互いの被害状況など確認したものです。地震の1週間後花山の仲良しのおじさんの息子の結婚式がありました。そのおじさん自身あの栗駒の崩落した現場で九死に一生を得、その上自宅は全壊状態そんな状況下で結婚式を強行しました。2次会に集まった仲間は結婚式の喜びとお互いの無事を喜び抱き合い涙を流したものです。この結婚式こそが皆の顔を見れる唯一の機会だったのです。結婚式をやめなかった決断に皆で感謝の拍手をしました。
ライブに多くの人が集まったのも皆仲間の安否を確認したかったのではないかしら?結果論ですが私は強行して良かったと思いますよ。去年一年栗原市内のお祭りはすべて取りやめになりました。犠牲となられた方達のご家族への配慮とのことです。それでも私達は鎮魂と地元の再生を願い「くりはら万葉祭」を行いました。
災害の後一番大切なのは地域のコミニティーです。ライブ仲間との繋がりも同じではないですか?
ライブの収益金を寄附してくれたこと本当に有難うね!
被災地は1年たってもたくさんの苦悩を抱えています。正直皆疲れきっています。前を向いて歩くにも息切れしてきています。
若者の力が必要なときは声かけるから仲間連れて飛んできてくれよ~!!
お疲れ様です。
一年と一言で言えば簡単ですが、長い長い道のりだったでしょうね~。。これからも続く訳だし。しかもいつまでなのか、、。
気力と言うヤツは、自分一人じゃ続かないモンですもんね。。
俺に出来る事で頑張ります。
お返事ありがとうございます。
感謝です。
難を逃れたこの身、ささやかながら復興のお手伝いができればと思っております。
合掌
私達も命が助かったということは前向きに立ち向かって行かなければ亡くなった方たちに申し訳がないと思っています。
亡くなられたお一人の観光アドバイザーの麦屋さんも本当に栗原の新しい可能性を見出されていました。
その可能性の中に陶芸の里としての栗原も入っていると信じています。
流行り廃りのない風土に根ざした本物の手仕事としてまだまだ課題がいっぱいです。
ぽちさんこれからもどうぞよろしく!