久しく我が家の扶養家族の記事をUPできませんでした。というのも昨年10月から4ヶ月間我が家に草鞋を脱いだ「欽ちゃん」というメス猫が居りました。
迷い込んだ時は成猫なのに子猫のような大きさで(1.800g)耳ダニとシラミと自分の涎でここまで汚れた白猫は見たことが無いというほどの状態。庭でウロウロしてどこにも行く様子がないので3日目で保護。速攻猫医者へ!さすがの猫医者もあまりの汚さにあきれながらも丁寧にダニやシラミ退治の手当。(よくあそこまでやってくれる!やっぱりすごいよ~!猫医者!)これでご飯をしっかり食べればみんなと暮らせるかと思いきや「猫エイズ」の診断。重症の口内炎はエイズの末期症状とのこと。
どれだけ生きれるかわからないが最後まで看取ろうと覚悟を決め欽ちゃんを我が家の6匹目として迎えました。
隔離状態でケージ生活の欽ちゃんの楽しみはご飯と毎晩熱いタオルで体を拭いてもらうこと。(そうでないとどんどん涎れで汚れていく)野良なのにまったく抵抗せず毎晩それを待っている。猫医者が言った「ハンディを持った子たちは本当にいい子が多いよ!」との言葉を日々実感。スキンシップが多い分応えてくれるのかな~?ご飯もしっかり食べて600gも増えてきた。
もしかしたらみんなと暮らせるかもと淡い期待が生まれたかけた昨年末パタッとご飯を食べなくなり年越しできるのかと・・・年明け早々ステロイドの注射でまた復活。しかしその後は3週間もつ注射が2週間しか効かず注射前の1週間は強制給餌というパターンが始まった。何度も何度もそんな危機を迎えながらも生きようとする欽ちゃん。亡くなる10日前からフラフラになりトイレもうまく出来なくなってきた。どこへも出かけず一日10回以上の強制給餌を頑張ったが2月22日皮肉にも猫の日に旅立ってしまった。
最後の強制給餌のときにそれまでにないほど「いやいや」と首を振り殆ど閉じていた目をうっすらと開け私の顔を見つめてきました。それは「もういいよ。いっぱいごちそうになりました。」と言っているかのよう。それから少しずつ痙攣が始まり「もうすこしで逝っちゃうな」とケージのヒーターを止め覚悟を決めた。何度も何度も欽ちゃんの様子を見に行く私の様子が気になったのか他の4ニャンも欽ちゃん部屋に集まりまるで欽ちゃんにお別れを言っているかのような。3時間後ミルクを飲んだルナが何故かゲェゲェと吐きはじめその後始末をしているとき異変を感じ欽ちゃんを見に行くと私の目の前で「ぐい~ん」と大きく伸びをしたかと思ったら息が止まっていた。今でもそれが最後の瞬間だったのかそれとも死後硬直だったのか判断がつかないけれどその顔は信じられないほど穏やかで気品さえ感じられるものだった。「もっと早くうちに来てくれれば良かったのに・・・」と泣きながら何度も何度も冷たくなっていく欽ちゃんの体を撫でている私の傍に何故かパンがちょこんと座り欽ちゃんの顔を覗き込む。その姿を見てまた大泣きする私。
12年前2匹の扶養家族を立て続けに亡くした私。2匹とも猫医者のところで亡くなり最後の瞬間にそばにいることができなかったことをいつも悔やみ続けていた。今の扶養家族たちも高齢に近づきいつお別れが来るかもわからない時期になってきて欽ちゃんが来る前は彼らの死におびえる私だったが今回欽ちゃんを最後まで看取ることでいつか来る別れを受け止められる人間になれるよう欽ちゃんが私のところに来てくれたのではと思えた。
元気なころの欽ちゃんに会いたかった。欽ちゃんありがとう!大好きだよ!