Историяпротивостояния
Opposinghistory
DieGeschichte der Opposition
対立の歴史
鈴木宗男さん、刑務所から出てやっと普通の民間人として選挙にも出られるようになりましたが、次回の選挙に出て、北方四島の話題をネタに日本の血税を食いものにするのはやめてください。
以前、ご自身でも話されたように、日本には「政治がない」とか、13年3月25日イルクーツクでの森・プーチン会談で一番北方四島が近づいたと思っているようではどうしようもありませんよ。
また、小泉政権になって、「島は離れてしまった」と言っているあなたは、どこにでもいる町内のおじさんレベルの情報分析能力です。そもそも情報収集できてもいません。
ご自分の、まだやりたい利権(工事)への拘りや思い込み話を、国民に向かって堂々と話せる心臓の丈夫な人であることだけは十分に分かりました。
前に、あなたは「無実なのに“国賊”とされて捕まった・・・」仰っていましたが、私達現地現場にいた人間から見たら、あなたを捕まえた日本の警察こそ正しく、どこから見てもあなたは筋金入りの国賊のおっさんです。
私が間違っていると言うなら、正々堂々と書類・資料・その他もお互いに持って、私に異議を申し立ててください。
それとも、私から逃げ回りながら、日本の皆さんに間違った話を続けるのですか。
あなたの相方の森喜朗さん・プーチンさんの「イルクーツク会談の時が、北方四島が一番日本に近づいた時だ・・・」と話している時点で、あなたが全く事実を把握されていないことが分かります。
あの時点で、プーチンさんは北方四島の権限を持っていませんでした。
あの時の北方四島権利権限は、エリチイン前ロシア大統領からサハリン州のファルフトジノフ知事に移っていたのですから。
何も知らないのにも程がある。
これまでのブログにも書いた通り、エリチイン大統領は、「今のロシアはとても貧しくて、このままではやっていけない」、「ロシア国民の為に、石油・天然ガスから生み出される資金の按分条件を『ロシア国民55%、サハリン市民45%』で了解して欲しい」とサハリン州知事にお願いし、ファルフトジノフ知事もそれで了承していました。
その時に、北方四島の管轄権もファルフトジノフ知事に移管されたのです。
昔ロシアの女帝がアラスカをお金でアメリカに売ったように、ロシア政府に55%の利権を渡すことで、ファルフトジノフ知事は北方四島の権利も得ていたわけです。
サハリン州知事選任についても言及しておきます。
もともと知事選任は大統領からの指名でなされていたのですが、サハリン州は住民の直接選挙制でファルフトジノフ知事は勝手に変えて選ぶことにしていました。
もちろん、この民主的な制度はファルフトジノフ知事の施策として行われたのです。
そして実際に、その選挙では圧倒的な支持を得て、ファルフトジノフ知事が誕生していました。本当に圧倒的な住民からの支持を得ていました。
そんな情報も知らなくて、北方四島に関係する頓珍漢な御高説を並べてはダメです。
また、サハリン州の副知事達がいつもファルフトジノフ知事に注意喚起していたことは、「チェチェンと同じように(殺されないように)気をつけてください」という点でした。
しかしながら、プーチンさんグループによって、結果的にファルフトジノフ知事もチェチェン同様の惨劇(暗殺)から逃れることができませんでした。
ファルフトジノフ知事が殺されてから、プーチンさんグループは資源も政治もまたモスクワへ全部持って行きました。
(ファルフトジノフ知事が1年以上かけて綿密にエリチインさんと打合せし、サハリンに関係する大手企業をモスクワから切り離してサハリンに持って来たのですが、ファルフトジノフ知事が殺されてからはプーチンさんにまた全部モスクワに戻されてしまいました)
1999年12月エリチインさんからプーチンさんに交代する前に、エリチインさんはプーチンさんに様々なお願いをしました。
・私を絶対逮捕しない事。
・私のアメリカにいる娘も絶対逮捕しない事。
(なぜならロシアからアメリカに送ったダイヤモンドの件などもあるから)
モスクワのプーチンさんグループに対して、来週中にはある情報を出す予定です。
その内容は、ロシア語と日本語でこのブログに載せます。また消されない限り。
次回は、来週末の予定です。
saharinhiroshi2@yahoo.co.jp
Opposinghistory
DieGeschichte der Opposition
対立の歴史
鈴木宗男さん、刑務所から出てやっと普通の民間人として選挙にも出られるようになりましたが、次回の選挙に出て、北方四島の話題をネタに日本の血税を食いものにするのはやめてください。
以前、ご自身でも話されたように、日本には「政治がない」とか、13年3月25日イルクーツクでの森・プーチン会談で一番北方四島が近づいたと思っているようではどうしようもありませんよ。
また、小泉政権になって、「島は離れてしまった」と言っているあなたは、どこにでもいる町内のおじさんレベルの情報分析能力です。そもそも情報収集できてもいません。
ご自分の、まだやりたい利権(工事)への拘りや思い込み話を、国民に向かって堂々と話せる心臓の丈夫な人であることだけは十分に分かりました。
前に、あなたは「無実なのに“国賊”とされて捕まった・・・」仰っていましたが、私達現地現場にいた人間から見たら、あなたを捕まえた日本の警察こそ正しく、どこから見てもあなたは筋金入りの国賊のおっさんです。
私が間違っていると言うなら、正々堂々と書類・資料・その他もお互いに持って、私に異議を申し立ててください。
それとも、私から逃げ回りながら、日本の皆さんに間違った話を続けるのですか。
あなたの相方の森喜朗さん・プーチンさんの「イルクーツク会談の時が、北方四島が一番日本に近づいた時だ・・・」と話している時点で、あなたが全く事実を把握されていないことが分かります。
あの時点で、プーチンさんは北方四島の権限を持っていませんでした。
あの時の北方四島権利権限は、エリチイン前ロシア大統領からサハリン州のファルフトジノフ知事に移っていたのですから。
何も知らないのにも程がある。
これまでのブログにも書いた通り、エリチイン大統領は、「今のロシアはとても貧しくて、このままではやっていけない」、「ロシア国民の為に、石油・天然ガスから生み出される資金の按分条件を『ロシア国民55%、サハリン市民45%』で了解して欲しい」とサハリン州知事にお願いし、ファルフトジノフ知事もそれで了承していました。
その時に、北方四島の管轄権もファルフトジノフ知事に移管されたのです。
昔ロシアの女帝がアラスカをお金でアメリカに売ったように、ロシア政府に55%の利権を渡すことで、ファルフトジノフ知事は北方四島の権利も得ていたわけです。
サハリン州知事選任についても言及しておきます。
もともと知事選任は大統領からの指名でなされていたのですが、サハリン州は住民の直接選挙制でファルフトジノフ知事は勝手に変えて選ぶことにしていました。
もちろん、この民主的な制度はファルフトジノフ知事の施策として行われたのです。
そして実際に、その選挙では圧倒的な支持を得て、ファルフトジノフ知事が誕生していました。本当に圧倒的な住民からの支持を得ていました。
そんな情報も知らなくて、北方四島に関係する頓珍漢な御高説を並べてはダメです。
また、サハリン州の副知事達がいつもファルフトジノフ知事に注意喚起していたことは、「チェチェンと同じように(殺されないように)気をつけてください」という点でした。
しかしながら、プーチンさんグループによって、結果的にファルフトジノフ知事もチェチェン同様の惨劇(暗殺)から逃れることができませんでした。
ファルフトジノフ知事が殺されてから、プーチンさんグループは資源も政治もまたモスクワへ全部持って行きました。
(ファルフトジノフ知事が1年以上かけて綿密にエリチインさんと打合せし、サハリンに関係する大手企業をモスクワから切り離してサハリンに持って来たのですが、ファルフトジノフ知事が殺されてからはプーチンさんにまた全部モスクワに戻されてしまいました)
1999年12月エリチインさんからプーチンさんに交代する前に、エリチインさんはプーチンさんに様々なお願いをしました。
・私を絶対逮捕しない事。
・私のアメリカにいる娘も絶対逮捕しない事。
(なぜならロシアからアメリカに送ったダイヤモンドの件などもあるから)
モスクワのプーチンさんグループに対して、来週中にはある情報を出す予定です。
その内容は、ロシア語と日本語でこのブログに載せます。また消されない限り。
次回は、来週末の予定です。
saharinhiroshi2@yahoo.co.jp
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