Историяпротивостояния
Opposinghistory
DieGeschichte der Opposition
対立の歴史
大手通信社、共同通信社さんが、モスクワ・プーチングループの作戦に乗せられ、「サハリン州知事が飛行機事故で死亡」という記事を配信しました。
<ファルフトジノフ知事の事故死を告げる共同通信の記事>
サハリン州知事が事故死 墜落ヘリ発見、20人死亡
【モスクワ23日共同】
ロシア極東サハリン州のファルフトジノフ知事らを乗せたヘリコプターがカムチャツカ半島で20日に消息を絶った事故で、非常事態省は23日、墜落したヘリコプターを発見、知事を含む20人の搭乗員全員が死亡したと発表した。 墜落場所はペトロパブロフスクカムチャツキーの南西約100キロの山中で、爆発や火災が起きた形跡はなく、事故原因は不明。プーチン大統領は事故調査委員会の設置を命じた。
サハリン州は北方領土を管轄しており、ファルフトジノフ知事は領土返還反対の対日強硬派。一方で日本や欧米の資本を積極的に導入し、石油や天然ガスの開発を進めていた。 知事の死亡に伴い、マラホフ第1副知事が知事代行に就任した。
2003/08/23 15:03 【共同通信】
実際には暗殺であり、利権に目が眩んだ殺人であるにもかかわらず、「事故死」として一刻も早く終結をさせたいプーチングループと、そんな恣意的な情報を無批判に垂れ流す通信社のせいで、本来、世界中で騒がれるような事件が闇に葬られてしまいました。
その影響は、特に日本の北方領土問題解決に直結するにもかかわらず・・・です。
地元サハリン州(クリル現場)に記者の方達の確認もできない、もちろん一般の人も現場確認できない事は、わかっての暗殺です。
しかし、あのタイミングのモスクワ政府の「事故死」という発表を疑う事もなく配信させたことは、日本の人達全員に「事故死」と思いこますのには大成功でした。
現在も、まったくモスクワのずる賢い作戦には、とても日本人は勝てません。悔しいですが、彼らの方が数段やり手です。
また、どさくさに紛れて、ずっと前の日露会談の昔話に又戻し、相乗りしようとしている輩(日本人)は、約三名位います。
本当に困ったものです。
日本は、完璧に真実とは程遠い情報を思いこまされているわけですから、北方領土問題ひとつとってもマイナスからのスタートです。
サハリン知事が暗殺された後のプーチンさん達の動きの速さ。
大国ロシア大統領が「一州」の知事の死を予言していたかのごとく、すぐサハリンにやって来ました。
そして、サハリン市庁舎前のレーニン広場でプーチンさんも演説で、ぽろりと「これからは、自分がサハリンの面倒を見る」と言い放っていました。
サハリン州知事が前エリチイン大統領とサハリン資源配当分45%を持って、もうすぐ、ロシアの一部で無くなる(「独立」を意味します)という情報を、プーチンさんは知っていたのでしょう。
日本など、ロシアから見て海外への「事故死情報」はそれなりに成功はしましたが、サハリンの市民らは「誰が暗殺を指示したのか」が薄々わかっていました。
だからこそ、プーチンさんは州議会にもよらずに直接モスクワへ戻ったのです。
プーチンさんは、暗殺されたファルフトジノフ州知事の親友でもあった第一副知事マラホフさんに対して、恐怖を背景に後任知事をやらせました。
そして、書類整理と引き継ぎをさせ、その整理が終わったらすぐにクビにして、自分達(モスクワ)の何でも言う事を聞く、オハの市長を次のサハリン州知事にしました。色々の事実の裏話がありますよ。(自分達の安全の為)
オハの市長は、サハリンの大地震の時の市長で、プーチンさんといろんな政治的な取引をしました。
彼は、プーチンさんに歯向かって毎日ドキドキして生きるよりも、プーチンさんに抱き付いたわけです。
しかし、そのオハの市長がサハリン州知事になったのちの姿は酷いものでした。調子に乗って、たくさんの賄賂をもらい、それが公になって結局は州知事をクビになったのです。
ところで、ロシアでは「街の中のお墓づくり」は法律で禁止されています。
しかし、殺されたファルフトジノフ州知事達のお墓は街の中にあります。
これが何を意味しているか…ですが、カリスマ知事として州民から圧倒的支持を受けていたファルフトジノフ州知事のお墓を法律に則って処分してしまうと、我慢を重ねていたサハリン市民もさすがに堪忍袋の緒が切れ、大騒ぎとなってしまうリスクをプーチンさんが感じていたということです。
なので、街の中にお墓を造っても問題無しとしたのです。
※差し替え
この欄に書いてあった件は、今の最も重要なサハリン州知事暗殺、
日本の北方四島返還から少し外れるので、別の機会に出します。
ロシアからウクライナに移ったボロネンコフ氏(下院)は、街の中、ボデーガードの横で堂々と暗殺されました。
「殺しましたよ」と、言わんばかりに、知事の時と同様にモスクワ恐怖のプーチン政権。
私達は暗殺された知事から預かった資料など持って、なぜここまで続けているかは、今の北方領土問題の解決に向けて、重要な要素になるからです。
次回は、4月1日(土)か2日(日)の予定です。
saharinhiroshi2@yahoo.co.jp
Opposinghistory
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対立の歴史
大手通信社、共同通信社さんが、モスクワ・プーチングループの作戦に乗せられ、「サハリン州知事が飛行機事故で死亡」という記事を配信しました。
<ファルフトジノフ知事の事故死を告げる共同通信の記事>
サハリン州知事が事故死 墜落ヘリ発見、20人死亡
【モスクワ23日共同】
ロシア極東サハリン州のファルフトジノフ知事らを乗せたヘリコプターがカムチャツカ半島で20日に消息を絶った事故で、非常事態省は23日、墜落したヘリコプターを発見、知事を含む20人の搭乗員全員が死亡したと発表した。 墜落場所はペトロパブロフスクカムチャツキーの南西約100キロの山中で、爆発や火災が起きた形跡はなく、事故原因は不明。プーチン大統領は事故調査委員会の設置を命じた。
サハリン州は北方領土を管轄しており、ファルフトジノフ知事は領土返還反対の対日強硬派。一方で日本や欧米の資本を積極的に導入し、石油や天然ガスの開発を進めていた。 知事の死亡に伴い、マラホフ第1副知事が知事代行に就任した。
2003/08/23 15:03 【共同通信】
実際には暗殺であり、利権に目が眩んだ殺人であるにもかかわらず、「事故死」として一刻も早く終結をさせたいプーチングループと、そんな恣意的な情報を無批判に垂れ流す通信社のせいで、本来、世界中で騒がれるような事件が闇に葬られてしまいました。
その影響は、特に日本の北方領土問題解決に直結するにもかかわらず・・・です。
地元サハリン州(クリル現場)に記者の方達の確認もできない、もちろん一般の人も現場確認できない事は、わかっての暗殺です。
しかし、あのタイミングのモスクワ政府の「事故死」という発表を疑う事もなく配信させたことは、日本の人達全員に「事故死」と思いこますのには大成功でした。
現在も、まったくモスクワのずる賢い作戦には、とても日本人は勝てません。悔しいですが、彼らの方が数段やり手です。
また、どさくさに紛れて、ずっと前の日露会談の昔話に又戻し、相乗りしようとしている輩(日本人)は、約三名位います。
本当に困ったものです。
日本は、完璧に真実とは程遠い情報を思いこまされているわけですから、北方領土問題ひとつとってもマイナスからのスタートです。
サハリン知事が暗殺された後のプーチンさん達の動きの速さ。
大国ロシア大統領が「一州」の知事の死を予言していたかのごとく、すぐサハリンにやって来ました。
そして、サハリン市庁舎前のレーニン広場でプーチンさんも演説で、ぽろりと「これからは、自分がサハリンの面倒を見る」と言い放っていました。
サハリン州知事が前エリチイン大統領とサハリン資源配当分45%を持って、もうすぐ、ロシアの一部で無くなる(「独立」を意味します)という情報を、プーチンさんは知っていたのでしょう。
日本など、ロシアから見て海外への「事故死情報」はそれなりに成功はしましたが、サハリンの市民らは「誰が暗殺を指示したのか」が薄々わかっていました。
だからこそ、プーチンさんは州議会にもよらずに直接モスクワへ戻ったのです。
プーチンさんは、暗殺されたファルフトジノフ州知事の親友でもあった第一副知事マラホフさんに対して、恐怖を背景に後任知事をやらせました。
そして、書類整理と引き継ぎをさせ、その整理が終わったらすぐにクビにして、自分達(モスクワ)の何でも言う事を聞く、オハの市長を次のサハリン州知事にしました。色々の事実の裏話がありますよ。(自分達の安全の為)
オハの市長は、サハリンの大地震の時の市長で、プーチンさんといろんな政治的な取引をしました。
彼は、プーチンさんに歯向かって毎日ドキドキして生きるよりも、プーチンさんに抱き付いたわけです。
しかし、そのオハの市長がサハリン州知事になったのちの姿は酷いものでした。調子に乗って、たくさんの賄賂をもらい、それが公になって結局は州知事をクビになったのです。
ところで、ロシアでは「街の中のお墓づくり」は法律で禁止されています。
しかし、殺されたファルフトジノフ州知事達のお墓は街の中にあります。
これが何を意味しているか…ですが、カリスマ知事として州民から圧倒的支持を受けていたファルフトジノフ州知事のお墓を法律に則って処分してしまうと、我慢を重ねていたサハリン市民もさすがに堪忍袋の緒が切れ、大騒ぎとなってしまうリスクをプーチンさんが感じていたということです。
なので、街の中にお墓を造っても問題無しとしたのです。
※差し替え
この欄に書いてあった件は、今の最も重要なサハリン州知事暗殺、
日本の北方四島返還から少し外れるので、別の機会に出します。
ロシアからウクライナに移ったボロネンコフ氏(下院)は、街の中、ボデーガードの横で堂々と暗殺されました。
「殺しましたよ」と、言わんばかりに、知事の時と同様にモスクワ恐怖のプーチン政権。
私達は暗殺された知事から預かった資料など持って、なぜここまで続けているかは、今の北方領土問題の解決に向けて、重要な要素になるからです。
次回は、4月1日(土)か2日(日)の予定です。
saharinhiroshi2@yahoo.co.jp