初めて自分でプラモデルを作ったのは、多分4,5歳で、駄菓子屋で買ったものだった。駄菓子屋で売られいていたものは、あのプラスティック枠(ランナーというのか?)がなくて、すでにばらけた部品状態で子袋に入っていた簡単なものだった。箱のも少しはあったか。買ったものは戦艦だったと思う。
それから少し歳がいって、箱に入って少し上等(?)なプラモデルに興味を持つようになった。
うちの街には、おもちゃ屋というのがなかった。私が子供のころ、昭和40年ごろの話だが。それじゃ、おもちゃは何処で買って来ていたんだろう? よくわからない(苦笑)。
それから少し歳がいって、箱に入って少し上等(?)なプラモデルに興味を持つようになった。
うちの街には、おもちゃ屋というのがなかった。私が子供のころ、昭和40年ごろの話だが。それじゃ、おもちゃは何処で買って来ていたんだろう? よくわからない(苦笑)。
大人は、隣町まで行ってデパートで買ったんだろうか?
でも、プラモデルは売っているところがあった。
それが文房具屋だ。
文房具屋でプラモデルって、当時はごく普通の事だったんだろうか? 他を知らないんでよくわからないが。
文房具屋はうちの近くに2軒あった。1軒は老舗ふう、もう1軒は小学校の門の前で、そこのおばさんがやっている、こじんまりしたところ。老舗ふうの方が間口が広く入りやすいし、プラモデルもたくさん置いてあったのでよく同い年の従弟と見に行った。
作るのも好きだったが、あの棚に積まれているたくさんの箱を見ているのが良かった。そして一箱、中を見る。これが至福の時だ。
めったに買わなかった(買えなかった)が買う時は、箱の前で、どれにするかさんざん悩んで、ねばって、ようやく一箱。あとは握りしめた、なけなしのこずかいを何日か貯めたお金を払って、急いで家に帰ってくる。あのわくわく感(と言いたいがそこまでは思い出せない(笑))。
家につくと、早々に箱を開け、設計図も見ずに(字が読めない!)作り出す。途中でなくなる、あのちっちゃいチューブの接着剤には困ったもんだった。
でも、楽しみはそこまでで、作ったあとは途端に興味がなくなった。ほとんど未完成で終わっちゃうんだが、何を作って、その後どうなったか全く思い出せない(笑)。子供はそんなもん飾ったりはしなかった。
少し遅れて交番のある交差点の所にもう一軒、新しい文房具店ができた。こっちは、店も広く交差点側に大きなショーウィンドウを構えていた。なんとそのショーウィンドウがプラモデルの箱で棚一杯に埋まっているのだ。
背の低い子供には、上を向いても全部見渡せないような(実際にはそんなことはない(笑))プラモデルの箱は圧倒的で魅了された。外からでもいい、中に入ればもっといい。間口も広く、天井まで、プラモデルだ。箱たちは整理とは無関係で雑然とした空間。箱、箱、プラモの箱。ここは夢の世界だ(あくまで昭和40年代初めのド田舎の話(笑))。いつまでも見ていたい。いつまでも居たい。
これは、プラモデルの一つの箱を開けてみる感覚とは別のもっと広い、もっと崇高なものだ。一から多に拡張された世界だ(子供がそんなこと思ったか(笑))。
従弟ともよく行ったが、1人でもよく行った。1人ときは、店の中に入る勇気がなくて、大概、交差点側、外から箱を眺めていた。不思議と1人で行くときは、他の子供に会うことがなかった。
そこの店主のおじさんが、ちょっと怖い人で、苦手だった。子供が、プラモデルの箱を開けて中を見ようとすると怒られた。外で見ていると、中からガラスをたたき、し、しっと、あちへ行けとやる。それで臆病者の私は逃げるように走って帰るのだが、何日かたつとまたあそこへ行っている。
ある寒い日、いつものように1人、外で見ていると、おじさんが出てきて、寒いから中に入れと言う。私は言われるままに中に入った。おじさんは子供が苦手そうだった。私も、こういう大人にどういう対応をしたらいいのかわからない不器用な子供だった。ただ、まる顔のおばさんは優しそうだった。
保育園の時、従弟とは別によく遊んでいたやつがいた。外側からあのショーウィンドウを見ているとき、上の方にあったロボットのプラモデル(鉄人28号だったか、違うような)だったと思う、そいつと、もうすぐ来るクリスマスに同じものを買ってもらう約束をした。
クリスマスになるとそいつは親にそのロボットのプラモデルを買ってもらった(後で、完成させたものも見せてもらった)。私は何故か隣町のおもちゃ屋まで行って白いヘルメットを買ってもらってしまった。
白いヘルメット? って、そのころそんなのはやってたか(笑)。何故、俺は、約束を破ってまでそんなもの買ってもらちゃったんだ(泣)。もちろんそれで遊んだ記憶もない。ずっと靴箱の上に置きっぱなしになっていた。
大人になってから、大して興味もないのに都心の大きなプラモデル専門店に入ったこともあった。あの文房具店とは比べものにならないくらいの量のプラモデルが置かれている。でも、子供の時、あの交差点の文房具店でプラモデルの箱を見ていた感覚は起きなかった。
作った後のプラモデルの箱は、学習机の下を占領していた。プチ文房具屋のプラモデルの箱状態。でも、プラモデルも小学高学年でまったく興味をなくし、机の下も、中学になると生意気にも大人が読むカメラ雑誌に置き換わっていた。
今でも、その箱だけ、一つ残っている。戦車や戦闘機、せめてサンダーバードじゃないんだ!
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今でいうと「角川武蔵野ミュージアム」か。
まだ行ってないが、実際、あの本棚の前に立っても、もうなにも起きないかもしれない。
あの本を全部、プラモデルの箱に置き換えたらどうだろうか。あの感覚がよみがえってくるだろうか?