17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

(心の、人の)底の問題

2025-03-03 11:37:53 | 思い付き
本編の方で、ようやくボッチ介護のスタート地点に立った(いつまでかかってんだよ(笑))ので、この辺で我が家での、私の心理的立ち位置に触れておきたい。がちっと書くのも、愚痴臭くなるので、いくつかまとまりのない、思い付きの形で書いてみる。ご容赦を。

私、やらないよ~ですめばいいんだが、大概は、他の人がやるはめになる。
その、人が嫌ってやらないから、やるはめになった人たち、ひっくるめて何て言うんだろうか?

心理学用語でありそうなもんだが・・・

まず、一昨年の暮れに、他で書いたもの(既読の方いたら、申し訳ない)を再掲したい。一部書き変えている。

底って大事だよね。
何を入れるにせよ。

何を入れたらいいかは、もうAIが考えてくれるでしょ。
あの社会の底とか、人の集まった時の底辺とか、こういうの総称してなんて言うんだろうか?

縁の下の力持ち。気配りのきく人。それとも、いじめらて当然のいじめられっ子。2人以上の主じゃない方。昔の大家族の姑にいじられる長男の嫁さん。核家族の虐げられ役の子。社会の下敷き。底上げの下駄。のび太(のび太は社会を支えてるか?)。

少し前の世代なら、多くの社会、家庭で女性がその役割を背負わされてきたんだろうが、もう、そんなのやんないよ~って時代だろう。

でも、底はなくなりはしない。

上の方は、リーダーとか、日本語なら~長、~大臣(もうAIに選んでもらうか、AIでいいじゃない)なんだろうが、その逆、下の方がもっと大事だろう。それを一言でいえる言葉がない。

たくさんあるピラミッドの底なんだから、底にも多種多様あるからか。
でもピラミッドの底なのに、それを支えているのは、大概1点だ。

その1点を、集団を支える大事な1点と見るか、都合の悪いことは全部押し付ける1点と見るかで、大分その集団のあり方が変ってくるだろう。

上がAIってのもなんだが、下もAIにさせる時代か。


次に、ある日の夕方の我が家のテープル風景。私が20代のころかなあ?

4畳半に90cm四方のテーブル(昔だから、ちゃぶ台だね)に4人が座っている。北側にじいさん(父)、その向かい南側に一つ違いの兄(すでに家を出ていて、帰省していたか)、そして東側にばあちゃん(母)、最後、西側に私。
 
じいさんと兄は、何だが盛んに声をあげて話している。何の話だ? 人の悪口か。しかもそれぞれ別々に自分勝手に言いたいことを言っている。会話じゃない。誰に行っているのか? どうも何も言っていない私にらしい。私は、その2人の別々の話を真摯に聞いている。2人同時に。うんうんとうなずき、時にはそれぞれの話に合った言葉も差し込む。ばあちゃんは、というと、全く我関せず。みかんを食べ、お茶をのんで、自分一人の世界をつくっている。

私は、ふと、こいつら何だ、と気づく。すると、ばあちゃんが唐突に、ご飯にしよう、と言ってこの場面は終わる。


「ガスライティング」という用語があるのか。

新聞の書籍広告で初めて知った。アメリア・ケリー著 野坂祐子訳『ガスライティングという支配』日本評論社。帯に「相手を否定し、主体性を失わせていく支配とコントロール」とある。

買って読んでみたんだが、「ガスライティング」のことを知らなかったので、その説明、実例、を期待したのだが、ちょっと違うようだった。アメリカ的というか、実践書で、そのトラウマに対する対処法がいろいろ書かれている。

上から目線の、二律背反。自立の促しと足の引っ張り。些細な事への揚げ足取り。だからお前はダメだんだと。

私に言わせるとガスライティングは底作りの方法論だ。

意識してではなくても、家族の中、親子関係、兄弟姉妹関係でありうることかも。そこはチームとしてまわるようにうまく大人が配慮しないと。


介護で困難にぶち当たったとき、私が1人、よく口にしていたこと。

俺は、お前らとは違う。俺は、お前らとは違う。俺なら出来る。

まあ、小さい人間の思い上がり、独善、傲慢。介護が終わってから、夢でも言ってた(笑)。


カウンセリング
畑違いだけど、もう20年以上前、心理学やカウンセリングの本を何冊が読んだことがあった。カウンセリングのことでカウンセリング自体とは別に、不思議と思ったし、工夫してあんだなあ、と思ったこと。

場所、時間を限定する。対価を払ってもらう。


最後に、夏目漱石の『こころ』から。

漱石って、何? って言う時代だろうか? 昔は、テレビドラマで「坊ちゃん」「三四郎」「こころ」なんかやってたもんだが、漱石に限らず明治・大正の文豪と言われた作家の書いた小説をもとにしたドラマなんて見ることがなくなった。

ちなみに私は、国語が全くダメだった。高校までの嫌い科目3つ選べと言われたら、国語は絶対に入る。そんな私でも、漱石は、高校までに当時岩波文庫から出ていたものは全部読んでいる。どうしてかと言うと、中学の時、岩波から何人かの作家ごとに作品をまとめて箱にしたものが販売された。まず、じいさんがファーブルを買った。多分同じ本屋だったと思うが、自転車で隣の市まで行った。私は漱石だった。箱が気に入った。プラモデルと同じ、箱に魅せられた。何が書いてあったか、中身はほとんど覚えていない。

それでも、多分、『坊ちゃん』と『こころ』は2回は読んでいる。『坊ちゃん』は定番かもしれないが、『こころ』は次のフレーズだけが心に残っていた。

私の事はあてにしないでください。

半世紀ぶりに箱から出して、調べてみたら違った。

「とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから」岩波文庫『こころ』p41から引用

だった。

「先生」は自死しちゃうんだけど、う~ん、「信用」「欺かれた」「残酷な復讐」って・・・

ここで「信用」を、何でも聞いてもらえるとか、一歩踏み込んで、こいつは、俺より底に近い所にいるな、とかに置き換えてもいいか? 国語音痴の私が解釈しても、つまらなくなるだけだけど。

何が「先生」の死に値したのか、もう一度読んでみっか。

写真は、その岩波文庫の夏目漱石の箱と『こころ』