ブログを始めてほぼ10年・・・
幾度となく書いています。
過去に何度も同じ日記を目にされた方々、シツコクてご免なさい。
≪戦火を生き抜いた市松人形≫
実家に赤い着物を着て、ややうつむき加減の市松人形がある。
小さい頃は寝室のたんすの上に置いてあり、毎晩上から見下ろす人形が怖くて眠れなかった。
母に「こわいよ」と言うと、
「この人形は(母の)お父さんが戦前に買ってくれたのよ。
名古屋の空襲で家は無くなったけど、これは燃えずに残った人形だから、きっと皆を守ってくれるよ。」
そんな話を聞いても、幼かった私はどうしてもその人形が好きになれなかった。、
眠りにつけない夜などは、人形が動き出す妄想に駆られたりしたものだった。
今でも世界のあちこちで戦火が上がり、悲劇は繰り返し起きている。
ある雑誌で、無表情の女の子が人形をしっかり握り締めている写真を見て、昔聞いた母の話が蘇った。
「名古屋が空襲された時、おばあちゃん達と押入れの中に入り【南無阿弥陀仏】ってず~っと唱えてたよ。
いつでも逃げられるようにリュックを用意してね、空襲警報のたびに持って走ったんだよ。」
大人になって、やっとあの人形を初めて真正面から見られるようになった。
唇の端を少し上げて微笑している。
髪の毛は少しザンバラになってはいるけれど、どこにも焦げ目等無い。
空襲の度にこの子をしっかり抱え、母は戦火の中を走り抜けたのだろう。
人形を守った母に応える様に、この子は私達を守っていてくれる。
今ではそんな風に思える。
幾度となく書いています。
過去に何度も同じ日記を目にされた方々、シツコクてご免なさい。
≪戦火を生き抜いた市松人形≫
実家に赤い着物を着て、ややうつむき加減の市松人形がある。
小さい頃は寝室のたんすの上に置いてあり、毎晩上から見下ろす人形が怖くて眠れなかった。
母に「こわいよ」と言うと、
「この人形は(母の)お父さんが戦前に買ってくれたのよ。
名古屋の空襲で家は無くなったけど、これは燃えずに残った人形だから、きっと皆を守ってくれるよ。」
そんな話を聞いても、幼かった私はどうしてもその人形が好きになれなかった。、
眠りにつけない夜などは、人形が動き出す妄想に駆られたりしたものだった。
今でも世界のあちこちで戦火が上がり、悲劇は繰り返し起きている。
ある雑誌で、無表情の女の子が人形をしっかり握り締めている写真を見て、昔聞いた母の話が蘇った。
「名古屋が空襲された時、おばあちゃん達と押入れの中に入り【南無阿弥陀仏】ってず~っと唱えてたよ。
いつでも逃げられるようにリュックを用意してね、空襲警報のたびに持って走ったんだよ。」
大人になって、やっとあの人形を初めて真正面から見られるようになった。
唇の端を少し上げて微笑している。
髪の毛は少しザンバラになってはいるけれど、どこにも焦げ目等無い。
空襲の度にこの子をしっかり抱え、母は戦火の中を走り抜けたのだろう。
人形を守った母に応える様に、この子は私達を守っていてくれる。
今ではそんな風に思える。