今日の一枚は、前回に続き「事務所通信」さんのもう一匹の愛猫のマルベック君。
マルベックお泊まり会 - 事務所通信 (goo.ne.jp)
もう少し眉間の間が狭かったかな。。。種類を問わず猫の絵は難しいものだ。
“常識”を疑う
昨年、「常識とは何か」という表題で書いた記事だ。今は休刊になっているが週刊事実報道という真実を伝える月刊誌に掲載して頂いた私の記事。意外(?)にも好評で、普段あまり反応して来ないような人まで共感する、と言って来た(笑)。ということは言葉にはせずとも、私と同じ思いを持っておられる方が少なくないということだろう。
そもそも“常識”という言葉の使い方が間違いである。文字通り、常に持っておく知識という解釈をすればよいわけで、例えば日本の人口が1億数千万人だとか、日本には47の都道府県があるとか、日本の大臣や議員などの政治家は嘘しか言わない、マスゴミは真実を報道しないとか、そういうことが“常識”なのだ。
ここにも書いた通り、人間にも動物にも個人差個体差があり、習慣も行動も嗜好も十人いれば十人とも違う。犬猫うさぎにしても、同じ種類であっても性格が全く違うであろう。動物でさえこれなのに、人間のような複雑な生物ならもっと違って当然だ。日本式に言うところの“常識”などないのだ。
ここにも書いたが、私は喪服も礼服も持っていない。ではどうするのか?と訊かれたら、普通のブラックスーツを着る、と答える。そもそも葬式に喪服を着るなどという決まりは仏教にはない。結婚式に真っ黒な礼服を着るのは日本ぐらいのものだろう。父親の葬式の時も、普通のブラックスーツで、ロンシャンの馬柄のノーコンネクタイ、ベルトもロンシャンブランドのグリーンであった。
葬儀屋が写真を撮ってアルバムにしてくれるのだが、私が遺族代表でマイクを持って挨拶している写真があったので、それをポストカードにして喪中はがきの代わりに出したところ、大好評だった(笑)。
昔、20歳頃、アラビアのロレンスという映画を見た。ご存じの方も多いと思う。この中で異なるアラブ民族で一軍を組織してアカバへ攻め込むべく砂漠を横断中に、一人脱落者が出て行方不明になる(映画ではガシムという名前だった)。それに気づいた主人公のトマス=エドワード・ロレンスに扮するピーター・オトゥールが、脱落した男を探しに行こうとする。しかし周囲は放っておけ、これが奴の運命なんだ、とロレンスを止めようとする。その時、ロレンスは「運命なんてない」と言い放って助けに行く。無事に助け出して戻って来た時、オマー・シャリフ扮するアリ酋長が「運命とは自分で切り拓くものなんだな」と言う。
この台詞は後々まで私の心の支えになり、自分の道を切り拓いたのであった。最も実際のロレンスは、腹立たしくて仕方なかったが、全体の統率を考えて仕方なく助けに行ったようだ。
この台詞に倣って、「常識などない。常識とは自分で作り出すものだ」と私は言いたい。
日本人にとっての“常識”は、周囲の人と同じことをすることになってしまっている。解釈を間違えている。常識の“識”は知識の“識”である。つまりは正しくは、常に持っておくべき知識であり、習慣や行動ではない。例えば海外の人から日本についてするような基本的な質問事項がそれだ。以下は私がよく訊かれた代表的な質問事項。
- あなたの住んでいる街の人口は何人か?
- 国土の何割ぐらいで居住が可能なのか?
- 有給休暇は何日あるのか?
- 週何時間労働なのか?
- 失業率は何%か?
- 社会保障はどういうしくみなのか?
などなど。それに加えて、
- 大臣や議員など、日本の政治家は嘘しか言わない、
- 国会議員は犯罪を犯しても許される、
- マスゴミは真実を報道しない、
- 日本人はコロナ大好き、
なども“日本の常識”として覚えておこう!
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