日本人というのはとにかく規則が好きだ。細かい規則を作ってその枠内に自分を嵌め込みたがる。自分だけならまだしも、そこに他人を入れようとするために“同調圧力”なる問題が生じるのである。海外のように大雑把な規則だけでは生きていけないのが日本人の国民性なのだ。その意味では今のコロナ祭りは日本人に向いていると言えよう。コロナ対策などという愚にもつかぬ“規則”を作って喜んでいる人達の何と多いことか。
さて、昨日フランス・パリのロンシャン競馬場で行われた凱旋門賞。全く人気のなかったトルカータタッソというドイツの馬が優勝してファンの度肝を抜いた。しかも鞍上のルネ・ピーシュレック騎手は凱旋門賞初騎乗だった。もちろんトルカータタッソは素質のある馬で、ドイツでの実績もあり勝って不思議はないのだが、今までドイツでしか走ったことがなく、他の有力馬との対戦や、英国やフランスでのG1レース出走がなかったために、その能力が知られていなかったのだ。日本から2頭が参戦していたが、クロノジェネシスの7着が最高だった。
しかし思うに、仮にこの勝ったトルカータタッソが日本で調教されている馬だったとしたら、間違っても勝てなかったことだろう。それだけ日本とヨーロッパでは人や動物の管理の仕方が違うのである。調教一つにしても、日本は何でもかんでも全ての馬に同じことをやらせて型に嵌めたがるのに対し、フランスなどではその馬にあった調教をしており、馬と人間との信頼関係が出来上がっている。
コロナ祭りが始まって以来、“同調圧力”なる言葉をよく耳にする。文字通り、同じことをするよう圧力をかける、という意味であるが、圧力をかけるというよりも、日本人は勝手に圧力を自分で感じてしまうのだ。周りがやっているから、自分もしなければいけない、などという感覚に陥ってしまうのである。友人の一人が、「自分はマスクしていなかったが、地下鉄の中で周りの白い目に耐えられなくなった」と言ったが、そんなもの、誰も彼を見てなどいない。自分で勝手にそのように感じてしまっているだけなのだ。
今流行りのワクチンチンも同じで、周りが接種しているから、自分も打たねばならない、などと何の深い意味もなく感じてしまうのが日本人なのだ。
日本という国は“同調圧力”なるものを感じやすいようにできている。例えば会社の中では人と人との距離が近く、すぐそばに人がいる。自分の空間などなく、プライバシーも何もないのだ。昼休みも狭い休憩室で一緒に過ごす。そして夜は同僚同士で飲み会、と自分一人になることがない。そのうえ、仕事はチームワークなので、一つのプロジェクトを複数の社員が担当する。
このような環境で働いおれば、別に誰かが特別に“圧力”などかけなくても、日本人の性格からして勝手に“圧力”を感じてくれるのだ。その点、欧米企業は違う。フランス企業など、全員ではないが個室や半個室が多い。個室でなくても、一つの部屋に2~3人が通常で、机も日本の会社のようにひっついてはおらず離れているし、また同室の人が同じ仕事をしているわけではない。
日本と違い、一人がプロジェクト全体を担当するため、チームワークなどというのはこのレベルでは存在しないのだ。社員食堂などは余程の大企業にしかなく、また大企業の数自体が日本のように多くはない。また仕事が終わって同僚と出掛けるなどというのは、個人的に親しい人は別として、基本ありえない。社内で人と接触する時間が少ないのだ。必然的に“圧力”など感じることもない。
勿論、どんな組織にも規則はある。しかし日本のせせこましい規則と違って、大枠の規則であり、自分で考えて自分の責任で行動する範囲が日本企業と比べて圧倒的に広いのだ。
しかしそう考えると、ムーンショット計画などは欧米の方が適用しやすいのかも知れない(笑)。日本人のように団体で旅行することも少ないし、もうすでに企業内では個々が独立して仕事しているではないか。テレワークやオンラインミーティングなどもずっと前から行われており、その点日本よりはるかに先行しているのだ。
競馬の馬も同じで、日本のように日本式の調教を馬に押し付けるのではなく、一頭一頭の馬がある意味独立しているのだ。学校教育も馬の調教も同じだ。ここを変えない限り、日本の馬が凱旋門賞を勝つことはないだろう。
話は変わるが、昨年からオンライン旅行なる言葉をよく耳にする。馬鹿馬鹿しい限りではあるが、私自身は必ずしも反対ではない。なぜなら学校の修学旅行や会社の慰安旅行などは、必ず行きたくない人がいるはずだからだ。他ならぬ私も、中学の修学旅行や前の職場の慰安旅行など嫌で仕方なかった。オンライン旅行があれば、どんなに助かっていたことか(笑)!