今週の日曜日にはフランスのロンシャン競馬場で凱旋門賞が開催される。何と第100回だそうだ。競馬の世界では、この凱旋門賞を勝つことが馬にとっても調教師にとっても騎手にとっても最高の栄誉とされている。実は私は毎年、凱旋門賞出走各馬の直前の関係者のコメントを和訳している。今年もそろそろ今夜あたりから原稿が入って来るだろう。
今日は競馬にご興味のない方も、是非読んでおいて頂きたい。
昨年は凱旋門賞を2連覇して、史上初の3連覇を目指していた牝馬のエネイブルが圧倒的一番人気だったが、直線伸びずに大敗した。今年は有力馬が3頭ほどいるが混戦模様だ。ディープインパクト産駒ながらヨーロッパ育ちのスノーフォールが英オークス、愛オークス、ヨークシャー・オークスとオークスを3勝もしているスノーフォールが注目を集めそうだ。
日本からも2頭参戦する。私はもう競馬から20年以上遠ざかっていて、最近の馬のことはよくわからないが、昔は専門家を自称するほどに詳しかった。この凱旋門賞には1969年のスピードシンボリ、1972年のメジロムサシ、1986年のシリウスシンボリなどが出走したが、当時この程度の馬がはるばる遠征したのが不思議であった。他にも米ワシントンDCにツキサムホマレやフジノパーシア、ハシクランツなどが遠征しているが、当然のことながら全く通じなかった。ツキサムホマレなどはブービーの馬から30馬身も話された殿負けを喫した。国内でも大した成績でなかったのだから、この程度の馬が海外で通じるはずがなかった。
私が思うに、過去の日本の競走馬で、凱旋門賞へ行って勝てたかも知れなかったのはこの4頭だ!
タニノチカラ(1973~1974)
ハイセイコー(1973~1974)-重馬場に限る
トウショウボーイ(1976~1977)-良馬場に限る
ホスピタリティ(1982年)
なぜならこの4頭は戦績云々の問題ではなく、スケールがとてつもなく大きかった。底を見せておらず、限りない可能性を秘めていたからだ。凱旋門賞のようなレースには成績が良いだけでは通用しないのだ。またいくら強い馬でも好位から差し来るような馬や後方から追い込んで来るような馬ではだめだ。その点、この4頭には先行力があり、自分でレースを作れるという強みがある。これに当時の福永洋一騎手などが騎乗していれば、更に可能性が膨らんだことだろう。想像するだけでワクワクする。
他にもヒデハヤテ(1973年)、マルゼンスキー(1977年)、サルノキング(1982年)などが挙げられるが、3歳前半で早々に故障してしまっているので、ここでは取り上げない。
競馬の話になったので、ついでに11月末に東京競馬場で開催されるジャパンカップについて一言触れておきたい。ジャパンカップは日本の競馬会が海外の馬を“無料招待”することで1981年に始まった。当初は一流馬が来てくれず、欧米からは二流三流の馬が参戦したが、それでも日本の馬は勝てなかった。やがて競馬会の努力により、凱旋門賞を勝った馬や入着した馬が参戦してくれるようになった。ここで知っておくべきは、ヨーロッパの競馬は凱旋門賞が終わればシーズン終了であることだ。つまり、そのあとはもう調教しない。ジャパンカップは日本中央競馬会が関係者の旅費や滞在費を全て負担する。招待されれば、自己負担はないわけだから、皆さん遊びに来るわけだ。1996年の凱旋門賞馬エリシオ(仏)などその典型で、無理させないために調教しなかったとレース後にはっきり言っている。
凱旋門賞を勝つような馬は種牡馬として高値が付く。下手にジャパンカップで故障などしようものなら取り返しがつかなくなるのだ。ところが日本の一般の競馬ファンはそんなこと知らない。特に日本人はネームヴァリューに弱いうえに欧米信仰がある。盲目的に凱旋門賞で健闘したような馬に賭けるのだ。競馬会の思う壺である。何も考えずに表面的なことしか見ない点は、新型コロナやコロナワクチンに対する考え方と同じだ(笑)。
余談だが、ブランドのロンシャンの名前の由来はパリ・ロンシャン競馬場である。なのでロゴマークが競馬の馬なのだ。
フランスは何度もロックダウンを強いられ、ワクチンパスポートをめぐって各地で大規模デモが続いている。いろいろと混乱が絶えないが、ただ街中では飲食店は普通に営業しているし、マスクなどしていないし、日本のような奇々怪々なアクリル板など存在しない。競馬場も普通に入場できる。あの飲食店のアクリル板、あれを見ると本当に日本人のせせこましさというか、人間としてのスケールの小ささを感じる。凱旋門賞で日本の馬が勝てないわけだ。これは馬の能力の問題ではなく、人間としての問題であるように感じるのは私だけだろうか?