ネットが宗教にとって代わる!? 「情報」で人生の悩みは解決しない
2014.06.23 Liverty Webより
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8053
米紙ウォール・ストリート・ジャーナル電子版が、「グーグル(Google)は神(God)にとって代わるか」
という興味深い記事を掲載している。
オーリン工科大学のアレン・ドーニー教授が様々な社会調査結果を研究したところ、アメリカで
「宗教に所属しない人」は、この20年ほどで8%から18%にまで増えており、その変化が
「インターネットの利用時間が増えたこと」に相関していることがわかったという。
アメリカ人の大部分は神を信じていることから、これは宗教観の変化ではなく、
「特定の教会や宗教コミュニティーなどに通っているかどうか」という、ライフスタイルの変化に近い。
同記事では、その変化の背景に、「インターネットを使えば、同じ趣向を持った人々のコミュニティーに
簡単に参加できるようになったため、所属意識を求めて聖書勉強会や礼拝に参加しなくてよくなった」
「何でも即座に調べられるようになったので、人々の中に、宗教で培う忍耐や思慮深さと相容れない
精神が生まれている」ことなどがあると推測している。
さらに、この「グーグル(Google)が神(god)に取って代わっている」状況に対して、「フェイスブックや
グーグルはデータの収益性に関心があり、魂の状態には関心がない」「インターネットが答えてくれない
ものは、知られなくなる危険性がある」などと問題提起している。
つまり、インターネットは所属意識を満たし、様々な情報を瞬時に入手するのに役立つかもしれないが、
宗教で教える「人生や魂にとって本当に必要なこと」は教えてくれなということだ。
それにも関わらず「インターネットが宗教に取って代わっている」とすれば、現代人が宗教の本当の意義を
忘れているということだろう。
人生の悩みを最終的に解決してくれるのは「情報」ではない。例えば、インターネットには就職情報が
溢れているが、「自分は人生の中で、どんな仕事がしたいのか」は検索できない。人間関係の悩み相談も
インターネット上に溢れているが、そこで提示されるアドバイスを見ても、実際に悩みが解決されることは少ない。
そうした人生の悩みを解決するのは、本来、宗教である。仏教書をじっくり読みながら人生の目的を考えたり、
禅や瞑想で自分を見つめる中で、本当にやりたい仕事を見つけたりすることもある。教会で祈りながら
「神の愛」を感じることで、他人に対して優しくなれたり、人生の試練に打ち克つ勇気を得たりすることもある。
宗教で行う儀式、勉強、瞑想は、「智慧」ともいうべき人生の答えを与えてくれる。それは、心の底からの
確信や実感をともなう智慧であって、「情報」とは異なるものだ。インターネットで代替できるようなものでは
決してない。情報技術の進歩は生活を劇的に便利にしたが、宗教的な時間の意義を問い直す必要性も、
それだけ高まっていると言えるだろう。(光)
【関連記事】
2014年2月号記事 大川隆法 未来への羅針盤 情報を智慧に変えるには
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2014年4月号記事 宗教を信じると、自由になる - 編集長コラム
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この記事の件も、仏法真理の因果の理法に則って考えたとき、本当に因果関係があるのだろうか。無理やりこじつけて結びつけているように感じる。
既存の宗教から離れてゆく理由は、現在のサラリーマンなどの悩みを解決する能力が、既存の宗教にはないからではないのか。
現代人の悩みを解決できるのは、幸福の科学の教えしかないだろう。