「維新分党は真の保守結成への最後のチャンス!」
と 西村真吾議員
2014年05月31日 花降る里さんより転載、させていただいた記事です
http://rokkou-kabuto.seesaa.net/archives/20140531-1.html
「維新分党は真の保守結成への最後のチャンス!」と 西村真吾議員
石原氏が、「結いの党」と連携を図ろうとする「大阪維新の会」と決別した
(「維新の会」に切られたともいえますが)
ことを受けて、以前、確か、橋下さんの従軍慰安婦に関する
(沖縄米軍司令官に対しての)“不適切”発言を擁護して除名処分をうけた西村議員が、
気を吐いておられます。
「大阪維新の会」は、石原氏率いる保守の重鎮達を切って、ゴリゴリの脱原発、
「大阪維新の会」は、石原氏率いる保守の重鎮達を切って、ゴリゴリの脱原発、
護憲派「結いの党」と連携するのですから、完全にサヨクな野党連合と化しました。
もともと民主党的だったので、当然の帰結なのかも知れませんが、石原氏の橋下氏への
期待は、完全に裏切られる結果となりました。
そこで…、「今度こそ真性保守の結集!」と呼びかけておられる西村議員ですが、西村さん
そこで…、「今度こそ真性保守の結集!」と呼びかけておられる西村議員ですが、西村さん
ご自身を見てもわかるように、今や「真性保守」ほど、分断され、片隅に追いやられようと
しているのが「政界」の現状で、“極右”(笑)とされる安部内閣でさえ、国防軍はおろか
「集団的自衛権」すら未だ持ち得ていないのを見ても、今日本で、如何に「保守」が弱いか分かります。
(不測の事態が起こったときには、首相の権限で「現場に判断」させれば良いだけだと思うのですが、
わざわざその為の法律を作ろうと四苦八苦されています。どうせ難しいなら「9条の改正」を図った方が
よっぽど「話が早い!」と思いますが、安倍首相ご自身が法律を理由に、決断を先送りして逃げている
としか思われません。首相でさえそうなら、“不測の事態”が起こっても“現場”は何もできません。)
この“煮え切らない政界”を正すのは、「決められない自民党政治」に見切りをつけた、
この“煮え切らない政界”を正すのは、「決められない自民党政治」に見切りをつけた、
真の保守勢力の結集しかないのは確かでしょう。
維新を出た“石原党”には、さっそく都知事選でも応援演説を買って出た田母神氏が参加を表明
維新を出た“石原党”には、さっそく都知事選でも応援演説を買って出た田母神氏が参加を表明
しているようで、保守結集の機運はすでに高まっているようです。
(参考→ 「理想国家日本の条件」 維新分裂と石原・田母神新党」
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/751eed856a957359da834e08d72ca18c
http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/751eed856a957359da834e08d72ca18c
サヨク野党、与党内サヨク、サヨクマスコミ…から立ち昇ってくるすべての迷妄を論破し、
命に代えても守るべきは、「憲法」ではなく、日本の国体であり、そこに生きる日本人であることを、
自虐史観ではなく誇りを持って生きた先人達とそして未来の日本人の為にも、石原氏には、
是非もうひとがんばりしてもらいましょう。(時間が無い割には、遠回りされましたね)
こうやって、声をあげる日本人の結集が必要なのは確かですが、
こうやって、声をあげる日本人の結集が必要なのは確かですが、
これまで、表に出てこようとすると、悉く妨げられ、分断され、バラバラにされて続けきたのも、
“日本国と日本国民を守る日本人の結集”
石原氏の動きを見て「今度こそ、結集!」とよびかける西村議員の声が「ブロゴス」に載った
石原氏の動きを見て「今度こそ、結集!」とよびかける西村議員の声が「ブロゴス」に載った
ことも、歓迎すべきコトながら、寄せられたコメントを見ることはできず、「日本人の結集」を
用心深く見守り、分断するネットワークが存在することも、又、確かなようです。
気のせいかも知れませんが、seesaaブログでは政治・時事系のブログのランキングが見えにくく、
気のせいかも知れませんが、seesaaブログでは政治・時事系のブログのランキングが見えにくく、
産経の「イザ!」のような、ブロガー同士の繋がりが意図的に持ちにくされているような印象を受けます。
(「Iza!」が特別だっただけで、コレが普通なんでしょうけど)
最近も、お世話になっているブログ仲間さんに、「昨日、リンク先からここに入れなくなった」とか、
最近も、お世話になっているブログ仲間さんに、「昨日、リンク先からここに入れなくなった」とか、
「コメント出来ないよ」とか云われてビックリしましたが、気づかない処でイロイロ“工作”されて
いるのかも知れません。(疑心暗鬼になってはいけませんが、パソコン(とその主)のせいにだけ
出来ないようなことが、よくあるんです。)
ブログを始めて以来、「分断工作」というものを肌で感じることが(もちろん勘違いも多々!)ありますが、
ブログを始めて以来、「分断工作」というものを肌で感じることが(もちろん勘違いも多々!)ありますが、
こんな弱小ブログでさえ、ひっかかる?程の“きめ細やかな分断工作”が為されているのなら、
心してかからねばなりません。
逆にいえば、
逆にいえば、
サヨク一般ユーザーに“ネトウヨ”と揶揄(分断)され疎外されている“弱小ネット保守”のブロガーも
数が集まれば、アチラ(分断側)にとっては厄介な存在だということです。
“ごまめの歯ぎしり”も集まれば、ソートーな騒音になるでしょう。(笑)
自公政権の“偏った中道政治”に違和感を持つ日本のサイレント・マジョリティもそろそろ、
“ごまめの歯ぎしり”も集まれば、ソートーな騒音になるでしょう。(笑)
自公政権の“偏った中道政治”に違和感を持つ日本のサイレント・マジョリティもそろそろ、
「云っていることは正論」という評価を受けている宗教政党「幸福実現党」や、維新の会から除名処分を
受けた西村議員のように、あきらめず声をあげ、
一足先に表に出て戦おうとしている“石原新党”を応援したいものです。
誰に託すか、どの党に託せるのか…ではなく、一人ひとりが「日本人」として「守るべき日本」を取り戻し、
誰に託すか、どの党に託せるのか…ではなく、一人ひとりが「日本人」として「守るべき日本」を取り戻し、
「神国日本」に結集すれば、自ずと「正解(結論)」は見えてくると思われます。
普通、国の「国家観」は、民族の「宗教観」と連動します。
「神を持たない国」に「神国日本」が飲み込まれる位なら、日本列島は神々によって沈没させられる
普通、国の「国家観」は、民族の「宗教観」と連動します。
「神を持たない国」に「神国日本」が飲み込まれる位なら、日本列島は神々によって沈没させられる
だろうと考えるのが、「大和魂」だと思います。(一度負けたからと言って、2度と戦わないと宣言して、
占領され、民族浄化と称して、日本国民が大量に虐殺され自由を奪われたら、
サヨク護憲平和主義者たちは、先祖と子孫にどうやって詫びるつもりなんでしょうか?)
「石原・田母神新党」頑張れ!「西村真吾」さん、頑張れ! 「幸福実現党」 頑張れ!
「石原・田母神新党」頑張れ!「西村真吾」さん、頑張れ! 「幸福実現党」 頑張れ!
(自分を含めた)弱小「ネット保守」、頑張れ!
「小異を捨て大同につく」と言う言葉はこういう時に使うんですね。
「小異を捨て大同につく」と言う言葉はこういう時に使うんですね。
分断工作に負けるな、日本!
ブロゴスの記事 http://blogos.com/article/87432/
真の保守結集へ石原慎太郎さん、がんばろう
二十八日夕刻、石原慎太郎氏が維新の会の分党を表明した。これは、「大阪市長の党」への
三行半(みくだり半)であり、理由は言わずとも分かっていることだ。
石原慎太郎さんと平沼赳夫さんらに、この判断を促したものは、我が国を取り巻く内外の厳しい情勢と、
石原慎太郎さんと平沼赳夫さんらに、この判断を促したものは、我が国を取り巻く内外の厳しい情勢と、
祖国に対する政治家の使命感である。
今こそ、この厳しい情勢、即ち、国家的危機に対処し、これを克服するために、我が国は
今こそ、この厳しい情勢、即ち、国家的危機に対処し、これを克服するために、我が国は
「本来の国家」を取り戻さねばならない。この「本来の日本」を取り戻し国家の安泰を確保するために、
自主憲法の制定は、政治家の国家・国民に対する政治的使命であり責務である。
この使命の観点から、石原さんは、三行半を投げたのだ。従って、これは、公の使命に生きるべき
この使命の観点から、石原さんは、三行半を投げたのだ。従って、これは、公の使命に生きるべき
政治家として当然のことである。私は、この三行半を促し待っていた。
よって、これから、国家的危機の克服、救国のための真の保守集団結成への動きが始まる。
よって、これから、国家的危機の克服、救国のための真の保守集団結成への動きが始まる。
始める。そして、恐らく、この動きが最後のチャンスであろうと思う。
何故なら、世界情勢の流動化と危機の厳しさから観て、我が国には、そう多くの時間は残されて
いないからである。
では、もう一つの動きは何か。それは、またもや「自民に対抗できる野党の結集」で、
では、もう一つの動きは何か。それは、またもや「自民に対抗できる野党の結集」で、
左翼を取り込むかたちで行われる。よって、目は内向きで国家観がない。
はて、この掛け声、どこかで聞いたことがある。そう、「自民に対抗できる野党の結集」という掛け声、
はて、この掛け声、どこかで聞いたことがある。そう、「自民に対抗できる野党の結集」という掛け声、
あの悪夢のような民主党政権を生み出す前にも聞こえていた。
これは、我が国を取り巻く厳しい情勢に目を閉ざした、反日でも侮日でも、何でもよいから、
ただ人を集めるだけの国家観と祖国愛と志がない声だ。
・
。
国の会計の単年度制が、法律により認められているので、こういう部分も変えましょうよ、ということでしょうかね。
ボケ老人のように批判する人もいますが、なかなかの人ですね。
財務省に斬り込み、最後と言えば失礼ですが暴れてほしいですね。