元慰安婦がついに真実を証言
「暮らし向きが苦しく、空腹の弟たちのためと父親に2度売られた・・・
http://www.hoshusokuhou.com/archives/33534891.html
慰安婦「10万人いた」? 自ら「父に売られた」証言も…
韓国紙報道に疑問・矛盾の数々
2013.10.27 産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131027/kor13102718000001-n1.htm
日本統治時代の「慰安婦」問題をこじらせている理由の1つに
韓国メディアの極端な
報道姿勢があることは以前から指摘されてきた。
特に最近、具体的な証拠をもって検証するという姿勢は消えうせ、
これまで以上に一方的な
思い込みや元慰安婦・反日団体の主張を 垂れ流して問題の
拡大再生産を続ける。
韓国メディアが伝えた“証言”や“情報”を詳細に見ると、
おかしなことに気づく。
■「空腹の弟たちのため」2度売られ…
朝鮮日報は一方で、元慰安婦の女性たちが暮らしている施設でインタビュー
した結果として、
女性らの当時の境遇をまとめている。
女性らが訴える境遇は悲惨で、深い同情を禁じ得ないものだが、
中にはこんな証言もある。
平壌出身で91歳になるキム・スンオクさんという女性は
「暮らし向きが苦しく、7歳から他人の家で
生活していると、空腹の弟たちの生活の一助にと父親の勧めで、
妓生(キーセン)として売られた」
と述べている。
キムさんはもう一度、家に帰りたいと思う一心で、金を稼ぎ借金を完済。
家に戻ったが、
父親は再びキムさんを売り、中国・黒竜江省の「石門子」という慰安所に
行くことになった。
約5年間、慰安婦として働かされた-。キムさんは同紙にこう述べている。
赤貧ゆえに2度にわたって父親に売られたという事実には、だれもが
同情を禁じ得ないだろうが、
きっかけは「父親が娘を売った」という事実である。
朝鮮日報のインタビューでは他にも、「工場で働けば、お金を稼げると
聞いたが、慰安婦の募集
だった」という女性の話や、「家が苦しく学校に行けず、1940年に、
お金も稼げて勉強もさせて
もらえるという誘い話に乗って蔚山(ウルサン)の旅館で働き、42年に
朝鮮人1人と日本人1人に
中国の延吉に連れていかれ、3年間、慰安婦として過ごした」という
女性などの話が出てくる。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131027/kor13102718000001-n4.htm
■地元出身者による女性連れ去り多発
朝鮮日報など韓国メディアは、こうした話をたびたび引用して
日本批判のよりどころに
しているのだが、当時の社会状況などについては検証することはない。
当時の韓国では、朝鮮出身者が女性を連れ去った事件
(1939年8月31日付の東亜日報)や、
朝鮮半島出身者による少女買春事件(33年6月30日付同紙)
などが多発していた一方、
日本の治安機関が連れ去られた女性らを救出したという出来事
(39年3月15日付同紙)があった。
こうした事実を提示し、社会情状況を重ね合わせて検証するという
報道姿勢は、韓国メディアには望めないのだろうか。(抜粋)
コメントより
それでは自称従軍慰安婦証言を検証してみましょう
「生活は貧しく、12歳のときに100円で売られた。
ソウルの金持ちの家で小間使い。
1938年に威鏡南道ハムン郡で女中をしていた時に、
その家の娘の身代わりとなって満州に連行され従軍慰安婦となった」
「17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人少女全員に、
日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として
徴用されたのだと思いました。」
「私は19歳で学校を卒業する25日前に、日本軍に引っ張り出され、
仕方なく慰安所に行ったんだ」
「満18歳になったある日、男がやって来て、村から娘を提供
するように言いました。」
『村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅され、
1941年、韓国を離れましたが、到着した場所は、慰安所でした。』
「14歳のとき、いわゆる「少女出」で満州に連行され、
皇軍兵士のセックスの道具にされた。
つらい体験だった。」
6人の証言ではありません
すべて黄錦周さん一人による証言です
言うたびに内容が変わります
上から順に
(1)従軍慰安婦と戦後補償 / 著者:高木健一
(2)国連・経済社会理事会クマラスワミ報告 / 1996年1月4日
(3)"TBS"「ここが変だよ日本人」
(4)「日韓社会科教育交流団韓国を訪問/1997夏期
(5)旧日本軍「従軍慰安婦」の証言を聞く集会 / 1997年12月5日
(6)黄錦周さんの証言を聞く会 / 2001.07.17 / 東京大学にて
これは酷い(´・ω・`)
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