断っておきますが、指名打者制(以降、DH)導入=DH強制適用ではありません。
DH導入とは、各試合についてDH適用の有無、試合途中の解除を選択できる制度。
だから、これまでのセの野球を本気で維持したいチームはDHを使わず試合で闘う選択肢は残されています。
つまり、DH導入はセの伝統野球の廃止ではなくDHという選択肢を広げるだけなので反対する理由もないはずです。
では、議論のたびに反対意見が飛び交うのは、なぜでしょうか?
これは、伝統的なルール(会員社会)から選択自由なルールに変える事への強い抵抗と排斥の現れです。
つまり、伝統的なルールを変える=過去を自己否定する、と考える日本人特有の偏狭で閉鎖的な体質によるもの。
以下、セもパもDHを採用しない時代からのプロ野球OBの方々やYahoo知恵袋などネットユーザーの反対の声をかき集めて検証しました。
●反対意見1(主旨:DH野球は10人だから野球ではない。パのDH廃止が本筋)
「野球の原点を残したい」
「『不変』 どんなに時代が変わろうと伝統や守っていくこと それもあると思う。俺にとってその『不変』の1つが『投手は9人目の野手』という野球の原点 投手は投げるだけじゃなく守備も攻撃もしっかりこなす。という原点」
<上記意見への検証>
パにDHがない時代も知る選手に多い意見。彼らの本気度が高ければ、パのDH廃止も同時に訴えていくべき。例えば、交流戦や日本シリーズのDH廃止を訴えるべきでしょう。
●反対意見2(主旨:投手のホームランが見れなくなる。)
「当たり前やけど反対。昔江夏のサヨナラホームラン会ったでしょ あれを見たらあなたも改心するでしょう」
<上記意見への検証>
DHの試合が増えれば、投手のホームランが見れなくなる寂しさは確かにあります。ただし、日ハムの大谷のように打も優れている場合は、DHと投手の二刀流で起用すれば対応可能です。悲観し絶望する必要はないのです。
●反対意見3(主旨:攻走守で総合点が高い選手以外(功だけ優れた選手)は認めない。)
「野球の基本は、『打つ、守る、走る』でトータルで優れた人がレギュラーになるスポーツかなって思っています。だから、守備や走塁が劣っていても、打力が、それを補っていればレギュラーになれるし、補い切れていなければ、代打要員として使われるのが野球と思っています。」
<上記意見への検証>
上記は、DHは総合点を付けられないからレギュラーにするのはおかしいという論調。
実は将来の野球人口を考える上でも、選手のあり方は大変重要な論点。
代打やDHは、DHを除く正選手より劣る存在としチーム内で序列をつけるべきという考えは、かえって野球をやりたい将来世代への間口を狭めている。この意識は選手にも浸透していて、むしろセの選手の能力開花とチームへの貢献にブレーキをかける一因とも思えます。
●反対意見4(主旨:DHがあると代打の出場機会を奪う。)
「素人が見ていて面白い部分に、素人ながらいつ代打いくのか・それがDHになったら減ります。勝てばいい、もしそうなら人気面はどうですか?巨人・阪神のあるセリーグが人気ありますね。勝ち負けだけじゃありません。」
<上記意見への検証>
DHにも代打を出してDHを交代できます。でも、各チームの代打の起用回数を比べると、確かにパよりもセが多いのは厳然たる事実で、代打を見る楽しみはなくなります。ただし、代打で1打席しか見れない選手が、DHで毎打席見れる、新たな楽しみはあります。
●反対意見5(主旨:セパの大きな違いがなくなり、2リーグ制の意味はあるの?)
「選択肢としてパリーグ有り、セリーグ無しで分けていた方が良いのでは無いかと思います。」
<上記意見への検証>
結局、DH野球の定着の有無がセパ格差の要因の1つとなりつつある以上、文化の違いをなくすからダメと断言してよろしいのかということです。
つまり、以下2つの問いかけのどちらを大事にするかという話になります。
1.リーグ間で文化の違いを残す事が最優先されるべき
2.リーグ間の戦力が拮抗し、互いに競争できる事が最優先されるべき
結局、どの反対意見もリーグのレベル向上や戦力面を度外視した感情論か、既成の枠組みにこだわる考えに過ぎません。
指摘される懸念も、セの文化がなくなる点に触れるものばかりで、戦力面での弊害を指摘するものは皆無。
ということで、戦力格差を埋める1つの手としてDHを試験的に全シーズンで行う事は、十分に価値があると思います。
(もちろん、DH導入でセパ格差が解消するほど単純な話ではなく、交流戦の大幅増加や、チームの編成や育成やスカウティングの改革もあわせて不可欠である事は当然でございます。)