その中で バーバラが6月4日の Japantimesに書いた イザベラさんの記事の和訳が
出来あがりました。
とても長くて このブログひとつで20000字・・初めて知りました・・
なので 上下に分かれていますが 是非読んで下さいね。
この翻訳 私には出来ない事ですので 我が家の旦那さまのお姉さんに無理を言ってお願いしました。
長い文章なのにありがとうございました
ではでは ここから・・・・
元の記事はこちらです。
3月11日、巨大地震が東日本を襲った時、新潟在住のイザベラ・ガラオン青木は
一体何が起こったか知る由もなかった。
皮肉にも 被災地域の真っただ中にいる事に気づいた彼女は 震災から2か月間の間に
現地に20回以上も足を運んだ。
25年間日本に住んでいる彼女は 地震が起きた時、下の娘と外出中でその日は
娘の高校入試の結果発表日、夫に合格の報告をしようとしたが 携帯電話は通じなかった。
その時 彼女は「料金を滞納していたのかな? 」と思った。
ところが 間もなく店のテレビで「津波」の様子を見て、なんと恐ろしい事が起きたかと思い、
次の瞬間 動物達が被害に遭っていると考えた。
人間の事を二の次に考える「動物狂信者」と思われたくはないが、
動物たちを救出することが 自分がすべき事だと彼女は思った。
新潟にある 動物シェルター“アニマルフレンド”、ペットの寄宿舎である “アニマルガーデン”
の創立者である イザベラはイタリアで生まれ、8歳の時に英国に移り住む。
1986年日本語習得のため来日し、最初は東京に、後に新潟に移り、その地の日本人と結婚する。
動物愛護者である彼女は、日本の動物処分場の酷さに大いにショックを受け、様々な活動を通して、
動物愛護を目指す日本の小グループとの関わりを重ねていき、
シェルターの必要性を感じ4年前に活動をスタートしました。
イザベラのシェルターは日本では珍しいもので「殺処分」はせず 問題がある動物たちも年齢、
健康状態、態度などを問わず受け入れている。
「どんな問題のある動物たちも私たちは受け入れるつもりです。
多くの団体は譲渡可能な動物を引き取りたがるが、どんな動物にも生きる権利があると思います。
この大惨事の前はアニマルフレンドは 400匹に新しい里親を見つけ、
さらに120匹を超える動物を受け入れるところでした。」
今ではイザベラの保護を求めて、犬、猫(その他の動物)の数が2倍を超える状況だ。
地震の三日後イザベラは、車に食糧、水を詰め込み、ほかの二人と東に向かった。
政府が禁止区域と定めた場所で、どんな状況かと聞いたら、救援隊の一人によると
生存者は皆無の荒廃した風景だと述べた。
津波は人間、動物その他すべてを奪い去っていった。
数日後イザベラは津波で助かった人の中に 意に反してペットと離され、
ペットと一緒に居たいと願う人が多数いることが 痛いほどわかった。
避難所が動物を受け入れられないのはわかるが、離された動物たちは、食糧、治療、投薬を受けられず、
苦痛を余儀なくされているとイザベラは訴える。
イザベラは、数々の避難所を訪れ、食糧と彼女の連絡先を残した。
そうすれば政府機関や 動物の面倒を見てもらいたい人たちが彼女に連絡が取れると思ったからだ。
せっかく助かったのに誰にも面倒を見てもらえない動物たちの面倒を見ることができると思った。
「飼い主と共に、津波にさらわれ三日間屋根の上に浮かんでいたコーギー犬がいました。
犬だけが救助されました。あれほど怯えきった犬の目を 私は見たことが有りません。
これらの事を私は決して忘れないでしょう。私の生活は全く変わり果ててしまいました。
被災者たちが体験した数々の惨状、人間の生命がいたるところに散った光景は自分を変えた」と彼女は言う。
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