福島における避難勧告は飼い主を震撼させた。結果として動物達はトラウマになって走り回ったり
何かに取りつかれているような目を見せていた。
動物達には状況が理解できず、見捨てられた動物たちは空腹にあえいでいる。
イザベラは何度もその地区に足を運び、また多くのボランティアグループも多くの動物達を保護した。
何匹かは彼女を見てかごの中で飛び跳ねて喜んでいた。
彼女は この子たちを新潟まで運ばなければいけなかった。
他にも見捨てられ野生化した動物達がいたが 全てを捕獲するのは不可能であった。
原子力発電所の近くは立ち入り禁止になったが、悪夢のような状態が続いている。
動物を残してきた飼い主からの電話が鳴りやまず、日に40件にもなり 今も続いている。
飼い主の一人は、すぐ帰宅できると聞いて、犬や猫を家に閉じ込めたり、外につないだりしてきた。
その結果、餓死することになった。
ボランティア達のコーディネーターとなっているイザベラは、自身でも救助に出掛けている。
2匹の犬を置いてきた飼い主から救い出してほしいと電話が有り、
ボランティアが到着したとき、死の寸前だった。2匹は鎖に繋がれどうにか生きていた。
閉鎖された区域を後にしたボランティア達は 警察官に呼び止められ質問を受けたが
どうにか犬達を連れ出すことができた。
もう一件の電話は九州に住む飼い主の娘からで、避難区域の県境にある茨城県に
住んでいる母親がノンと言う名の犬を家の外に繋いで残してきたので
心配で夜も眠れず気が狂いそうとの事、もしその地区に行けるのならどうか食べ物を置いてきて
欲しいとの事だった。
次の日にはノンを連れて来られると思っていたが、警官に止められ、入れないと言われたが、
まだ震災から日が浅かったので、夜は通行規制がなく入る事が出来た。
原発から4キロ程の地域で、道路は亀裂だらけで恐ろしかった。
住所をカーナビに入れたので迷わず行けた。
ノンは生きていた。ノンと飼い主の女性は再会する事が出来た。
彼女は それが信じられないといった様子だった。
そして アニマルフレンドが ノンの飼主に 新しい家が見つかるまで預かる事になった。
数多くの人々が自分の動物の事を心配せざるを得ないこの状況は 辛く悲しい事だ。
この災害で大切なもの全てを失ってしまった人々にとって、動物達もその中のひとつである。
本来ならこのようなトラウマは 全く不必要なものだったはずである。
イザベラは、動物への対応には批判的であったが、福島県の職員たちが
政府に止められていても 救出活動に協力的である事に気付いた。
イザベラにとって、今の状況はまだ満足のいくものでなく、許しがたいことである。
我々は1995年に阪神大震災を体験している。
あの時も動物救済に関してはお粗末であった。
その後、新潟で、2度地震が起き、2度目の時はうまく対応出来た。
私の知る限りでは、動物たちは救済され、安楽死もなかった。
政府機関にはそれなりの決まりがあるだろうが、このたびの災害においては
機能しておらず、元に戻ってしまった。
原因が大災害とはいえ、イザベラは同情的ではない。
日本は 自然災害が多い国です! と彼女は言う。
それなのに ペットやその飼い主の為の対策がされておらず
まだ多くの人々がペットと共に 自動車で寝泊まりしている。
政府は、初期段階でペットの収容を考えるべきであり この様な精神的苦痛を
飼い主に与えるべきではない。
福島地域に関しては幾つかのグループやボランティアの申し出に対して
なぜ聞く耳を持たないのか説明を求めたい。
イザベラはそれでも、最善を尽くしている。ボランティア、寄付、食料品の寄付。
特に動物を引き取ってくれる人達の数が必要で、歓迎する。
動物救助には終わりがなく、私たちにはまだ、なすべきことが山ほどある。
もうパニック状態ではないけれど、車の中で生活したり、食糧が足らない動物や
助けを必要としている動物たちが原発地域に居る。
仮設住宅でも動物を連れた人たちは入居を後回しにされ、その人たちの生活は
崩壊している。 出来るなら、被災者たちは動物達といっしょに居たいのだ。
しかし、人々は移動を続けなければならず、
動物と離れ離れにされていると、彼女は指摘する。
この様なことが まだずっと続いていくことでしょう・・・。
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バーバラの希望により 文中のイザベラさんの呼び方を 青木からイザベラに変更致しました。 6/21
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あっ!!驚いた マキシはミズオオトカゲ HP
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