言葉が通じる相手でも
話が通じるとは限らない
…これ、本当にツラいものです。
そもそも本来、言葉というのは
相手に伝えるために非常に便利なツールであるはずのもの。
それが時に
言葉が凶器となり人を傷つけることもあれば
言葉が人を癒す薬にもなったり。
話が通じない相手には
どうしても苦手意識を持ってしまいます。
相手が会社の上司などの場合は特にそう。
悔しい思いをしながら、
諦めて我慢するしかないと思ってしまう。
自分の話し方が悪いから?
だから話が通じない?
それもあるかもしれませんが
話が通じない、と感じた場面では
言葉を変え言い回しを変え
なんとか伝えようと頑張ってみても
話は平行線のままだったり
あるいは、
「なんでそうなる?」って予想もしてなかった方向に話が展開していってしまったり。
きっと
話し方だけに問題があるのではなく
聞くことが話すことよりずっと難しいから
なんだろうと思います。
聞き上手、というのとはちょっと違って
聞き取り能力、というのとも違う、
読解力の“聞く”版。
この力、なんて言うんでしょう。
聴解力?
おそらく
この“聴解力”にはかなり個人差があると思われます。
厄介なのは、
話が通じない相手ほど
自分の聴解力が足りないのかも、とは思わないことです。
せっかちで最後まで話を聞かない、
というような理由から話が通じない場合はまた別として、
しっかり伝えようと
ちゃんと理解してもらおうと
話し方の工夫をしてるつもりでも
相手にはまったく入っていかない様子…
そんな場面では
相手は自分が理解していないとは感じていないわけですから
モヤモヤするのはこちらだけ。
これも
ストレスの原因だったりします。
世の中的に、
もっとこの“聴解力”(でいいのかわかりませんが)に着目し、
学校でも
長文読解だけでなく
聴解力テストなども組み込んだカリキュラムを見直してみてはどうかな、なんて
勝手ながら思ってみたりもするのです。