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特になにもないですが

宝の山

コロナ禍に見たYouTubeがきっかけで
フラを習ってみたいと思うようになり

お教室に通い始めて現在3年目です。


私が選んだ先生は
こだわるポイントがとても細かく、
その情報を惜しみなく分け与えてくれます。

先生からいただく注意とたくさんの情報は
生徒にとって宝のようなもの。

これまでのレッスンで
とにかくがむしゃらに宝を集めてきた感じです。


ところが最近の私は

早く集めて!ほら、コレもアレも!と
目の前にどんどん積み上がっていく宝を 

だんだん集めきれなくなってきているように感じておりました。

『こんなにたくさん宝が並んでるのに
なんでさっさと集められないんだろう』

そんな私の気持ちを見透かすように

「欲しがってもいないようだから言わなくていいよね」と先生からの叱咤。
…さすが鋭い(汗)


欲しがっていないわけじゃないのです。
むしろ
それをもらいに行ってるようなものです。

なのに
いつのまにか私は
その環境に甘えてしまっていたのかもしれません。

ここに行けばいつでも売ってる、
そう思っているお気に入りのお菓子みたいな感覚に。



それから数日経ったある日
生徒仲間の一人から
「退会しました。お金と時間を費やすのは無駄だと判断したので」
そんなLINEが。

ショックでした。

一緒に頑張ってきた人が去って行った、
という寂しさもありますが

私が宝だと思っていたものは
その人にとっては価値のないものだった、
ということに驚いたのです。


うまく表現できないんですが

私が宝だと感じているものは
私にとっての宝なのだ、と
気がついた思いがした瞬間でした。

もっともっと大事にしたい、
そう思えました。


レッスン中の先生の言葉はキツいです。

丁寧な内容なのに
言葉が乱暴なので
そのガラの悪さ(?)について行けず
辞めて行った人もいる程です。

『そんな言い方しなくても』
そう思うことは何度もありますが

その言葉の中に、
私にとっての宝が詰まっているのを感じているのです。


私はやっぱり
まだここで宝集めがしたいかな、

そんな気持ちになりました。

ある日とつぜん
まったく興味がなくなるかもしれませんけどね(*´˘`*)






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