先日、まるまるさんのブログで立原道造さんの詩が
掲載されていました。
私の好きな詩人のひとりですが、今日は夭折の詩人、
矢沢 宰さんの詩集「光る砂漠」の中の一編をご紹介します。
五月が去るとて
何を悲しむ。
たとえ伏す身といえど
熱き血潮をたぎらせて
生きると決したは
この五月の時では
なかったのか。
五月が去るとて
何を悲しむ。
この胸に
真白きバラを
押し付けて
進もうと誓いしは
この五月の時では
なかったのか。
五月が去るとて
何を悲しむ。
ああ だがこの若い十六歳を
むかえての
五月が再びまいらぬと思えば
わが胸は涙でむせぶ。
彼は21歳で病気のため亡くなりました。
この詩を読むたびに命の大切さと生きていこうと思ったものです。
掲載されていました。
私の好きな詩人のひとりですが、今日は夭折の詩人、
矢沢 宰さんの詩集「光る砂漠」の中の一編をご紹介します。
五月が去るとて
何を悲しむ。
たとえ伏す身といえど
熱き血潮をたぎらせて
生きると決したは
この五月の時では
なかったのか。
五月が去るとて
何を悲しむ。
この胸に
真白きバラを
押し付けて
進もうと誓いしは
この五月の時では
なかったのか。
五月が去るとて
何を悲しむ。
ああ だがこの若い十六歳を
むかえての
五月が再びまいらぬと思えば
わが胸は涙でむせぶ。
彼は21歳で病気のため亡くなりました。
この詩を読むたびに命の大切さと生きていこうと思ったものです。