1,131mの活火山で、現代でもときおり噴火しています。
資料によると、寛永17年(1640)大噴火があった。
もとは1,700mぐらいの富士山型の山だった。
それの中ほどが吹き飛んで、この北側の海に崩落し、対岸の有珠に津波となって押し寄せたといいます。
このため、北側の湾は噴火湾と名がついた。
この噴火による噴煙、降灰で日照が遮られ、寛永の飢饉になったという。
噴火の降灰で川がせき止められ、大沼、小沼、じゅんさい沼など大小の湖沼が生じた。
スワンの遊覧ボートがあるのは、大沼公園です。
私は、終戦直後、父母に連れられて、この湖に行ったことがあります。
同行した弟、湖水に片足を落っことし、帰路は靴片方、濡れたままだったのを覚えています。
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