当時の学校友達の福●君は、今でもメル友になってくれている。
芦屋にずっと居るその彼が、「自分の家のすぐ近くに阿保親王の塚があるのを知ってるだろう。それが業平の父だよ。
業平も芦屋にいたことがある」と、写真を写して送ってくれたのだ。
阿保親王陵
在原業平歌碑
私も中学・高校時代には芦屋にいて、親王塚町があることは知っていた。今でも、も一人の旧友、深●君が親王塚町にいる。
深●君は、昔の芦屋しか知らない私に、今の芦屋の地図を送ってくれていたのだ。
だけど、当時、高校生の若造だった私にとっては、阿保親王も業平も全然眼中にも、意識にもなかった。
人に言われりゃ、そうだったと気がつくが、写真に写っている現物2点は、私は目にしたことはなかったのだ。
そういえば、芦屋には近くに別に業平町というのがあったことは、前から知っていた。
今、もういっぺん、福●君からの写真を見ると、親王塚は「平城天皇皇子、阿保親王墓」として、宮内庁が清々と管理しているのであった。
きれいに写っている。
彼いわく、業平の墓は、琵琶湖の北、マキノ町にあるのだそうである。
芦屋市楠町の福●君、親王塚町の深●君よ、ありがとう、おおきに。
また、なにかあったら知らせてや。
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T.F(同期生)
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