サンズ・トーク

セビリアにハポンという名の人がいる

テレビの海外旅行番組をみていたら、セビリアの近くの集落には、ハポンと名のつく人が大勢いるとのことであった。
ハポンとは、ジャパンを意味するスペイン語だ。

400年も前、徳川家康が天下を取ったころ、仙台藩の伊達政宗がスペインからローマに遣欧使節団を送った。
団長の命を受けたのが支倉常長。総勢180人で太平洋を渡り、メキシコに至る。
そのころになると、幕府からはキリシタン禁教令がだされ、不安な状況になったようだ。
常長は30人ぐらいの人を率いてメキシコからセビリア近くのコリア・デル・リオに到着、大歓迎を受けたそうだ。
その後、スペイン国王に会い、ローマ教王にも会ったが、通商の交渉は前進せず、常長は元和6年(1620)帰国した。

その折、スペインに従者の日本男性が残留、それらが侍の子孫を残し、日本人という誇りを代々受け継いで、ハポンという名を名乗っていることのようなのだ。
テレビに映る集落には、ハポンと名乗る男女がたくさん居て、誇らしくインタビューに応じていたのが印象に残っている。

今日び、日本人の誇りはどこにいったやらという政治や世相のありさまであるが、この番組を見てプライドの持てる人生でありたいと思ったのは私ばかりじゃなかろうと思うのでした。

ついでだが、昔、ヨーロッパにいってセビリアも訪れたことがある。セビージャというのだ。
グアダルキビール川が流れていた。その川のほとりに支倉常長の銅像があるとのことであった。

なぜ、家康を差し置いて、伊達政宗がわざわざスペインあたりに使者を遣わしたのか、謎が残る。
この物語には、ほかにも秘話というか、興味深いことがらがいろいろとあるのだ。

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