北九州市は1963年に、当時の門司、小倉、戸畑、八幡、若松の5市が合併して誕生しました、今年で55周年となります。明治初期までは、門司、小倉は筑豊の田川、大分県北部を含んで「豊前国」として、また戸畑、八幡、若松は「筑前国」の一部として治められていました。しかし、この地区は明治初期の廃藩置県によって「福岡県」に属するようになりました。私共もこの北九州市に移住して早二年半となりましたが、この街は豊前と筑前の微妙な文化の違いが感じられます。詳細は省きますが、それでは、この街の「豊前国」と「筑前国」の国境はどこだったのかという素朴な疑問に駆られました。それは現在の小倉北区、戸畑区、さらに八幡東区の境界となっている南北に流れる「境川」という細い小さな川とわかり、1日の日曜日にその川筋を河口から南に金比羅山まで約12㎞歩きました。当時の国境石柱も二か所ありました。もちろん当時とは異なるでしょうが、小さな細い川でした。五市が合併されるまで、この川を挟んで子供たちが石を投げあって喧嘩していたという記録もあります。
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