旅好きのブログ

旅と花を愛するブログ

忘年旅行

2009-12-21 22:32:18 | 日記

           

20日 日曜日から1泊2日で 仲間達との忘年旅行に行ってきた
行き先は 福島県小名浜にある ハワイアンリゾート(旧;常磐ハワイアンセンター)である 関東各地から無料の送迎バスサービスがあり、私達は船橋から3時間のバスで到着した
折からの寒波襲来でかなり寒い陽気だったが構内は ハワイを思わせる暖かさで、到着早々 アロハシャツに着替えて もうリゾート気分満々・・

 夕方からはメンバーで忘年宴会、、  飲み放題で飲み過ぎた人も、飲み足りない人もいたが 時間の制限もありました

宴会後は 舞台で繰り広げられたハワイアンショー、ポリネシアンショーをじっくり堪能した この種ショーをハワイやポリネシアン地域で見るとき ダンサーはもちろん現地の人達であるが 日本で繰り広げられたショーのダンサーはもちろん日本人ダンサーだ



 肌の色も全然違う 問題は踊りの内容   夜の部、昼の部 全て素晴らしいショーだった


寒いっ~

2009-12-18 19:55:45 | 日記

今朝の仕事は午前4時頃終わった  
でも まだ電車もバスも動いていない   今朝は何故か強い冷たい風が吹いておりどこかで時間を潰すなんて場所も無かったので タクシーを利用し帰宅した

 午前6時頃 就寝    寝ようとしたら 家がぐらぐら揺れる  伊豆地方での地震がこちらでも感じられた  その後 70回も体感地震が起きている

起きあがったのは午後2時過ぎだった まぁなんとか疲労は回復したようだ  今年の仕事は多分今朝の分で終わりになるだろう

 今日の寒さ 裏日本方面では 半端では無いようだ 今まで降らなかった雪がドカット降り積もった様だ。

 静岡の友人  フィリッピンの旅から帰ってきている  観光地や大戦の戦跡を巡って来たようだ  私は戦跡などはTVの画面でしか見たことはないが 現実に壮烈な戦いが行われた戦跡を巡るのもまた 一考 かもしれない  我が国ではまだ沖縄にも戦跡が残っているが。

 今年の予定  週末は最後の忘年旅行 そして来週最後のゴルフ 
その後は 年末旅行と相成る

 今日の画像 :  先月訪れたバンコクのゴルフ場にて  
             デンドロビュームが大木に着生している様子
             洋蘭は本来この様にして育っているのだが 
             我が国ではそうも  いかない


友人の年賀状作成

2009-12-17 18:25:01 | 日記

 友人の年賀状作成の手伝いに行った  彼はパソコンを勉強しているがなかなかうまく使い来ない  毎年手伝ってあげている
 まず 彼の住所録から 年賀状を出す名簿をピックアップして 宛名面の印刷、、
その後は 裏面の作成  当初友人は裏面を印刷やさんに発注するつもりだったが、費用面からも自作が良い  
 私が裏面デザインが載った本を持っていき それをパソコンにインストールして裏面の印刷を終えた

 私自身の年賀状も終盤に近づいているが、まだ完成(完了)とまでは行っていないが来週頃までには投函出来る目処が付いた

 今夜は千葉市内の現場で夜勤の仕事だ  寒そうだが屋内の現場だと思うので頑張ろう


 


ミニ忘年会

2009-12-16 23:15:57 | 日記

 お昼過ぎに家を出てまず 丸の内にあるHSBC銀行と言うところに行って口座開設の手続きを済ませた  
ここの担当者は一人ずつ個室を持っておりそこでの作業だった

 最近の超低金利で銀行預金などは実質的に目減りがしているような状態だ 何とかならないものだろうか!

 終わってから 有楽町のSQオフィスへ出向き、予約した航空券の諸条件を聞いてきた  気になっていた復路のフライト変更は 無料で出来ることを確認しほっとした
購入した代理店の言い分とは異なっているが 一安心

 PM5時から 銀座のレストランで郷里の同期生4名とミニ忘年会と称して ”飲み会”に行って歓談 4時間も居座ってしまった 料理もお酒(いも焼酎)とても美味しかった
 今年は後残り1回 忘年旅行が控えている (福島の常磐ハワイアンセンターでの一泊旅行) 


母の命日

2009-12-15 21:32:08 | 日記

今日12月15日は 亡き母の命日であった 改めて過去帳を見てみたら67歳の時になくなっている 67歳と言えば自分はもうとっくにその年齢をオーバーしている
今思えば何と早い、若い年齢で無くなったのだろうと改めてこれまた思っている
 その時自分はまだ30代後半の若造だった  親とは離れて住んでいたからガンを患ってもう手遅れというという頃まで気づかなかったことが悔やまれたならなない

 その頃は、健康診断など やったこともなかった ただ戦後一筋に働き続けてこの様な最期をとげた 母親  思い出せば身を粉にして自分たちを育ててくれたことに改めて感謝し 冥福を祈る