母の日
ちまたでは母にカーネーションを渡すとか、お花を贈るとかあるが、今の私にはそれができない。
私の心の奥には、まだ両親を受け入れられない、そして許すことができない自分がいる。
今、ここで書くことは非常に私の心の中に押し込んできて封印してきた事柄である。
小さい時、まだ小学校1年、2年の時、私は学校のクラスメートや習い事をしている友達からいじめられていた。昔もいじめはあった。
私はいじめられていたけれど、両親には決して相談しなかった。
全部自分で背負った。
相談したところで、解決などしなかった。
でも本当はかばってほしかった。
甘えたかった。
いつでもそばにいて、「大丈夫だよ」って言ってほしかった。
そんなこと言ったら、かわいがってもらえないと子供心に思っていた。
だから、自分で解決して一切両親には言わなかった。
いつもお姉さんぶっていた。
そして、なんでも他の人に甘えないで生きていこうと思っていた。
そんなことをここ最近、色々なことを通して思い出すようになった。
昔の私を掘り起こし始める必要があった。
そうしないと行き詰るようなことがおき始めたからだ。
面と向かい初めてから、
「謝ってほしい」と思うようになった。
しかし、まだ少しずつだが
「あの時は仕方なかった。両親達が私をかばってくれなかったけれど
もう許そう」と思い始めてきている。
だって、母が私を産んだとき、まだ34歳だったのだから。
今の私が34歳になった時、果たして私は子供をかばうことができただろうか?
たぶん、母と同じなんだろうな。
そんな気がした。
ちまたでは母にカーネーションを渡すとか、お花を贈るとかあるが、今の私にはそれができない。
私の心の奥には、まだ両親を受け入れられない、そして許すことができない自分がいる。
今、ここで書くことは非常に私の心の中に押し込んできて封印してきた事柄である。
小さい時、まだ小学校1年、2年の時、私は学校のクラスメートや習い事をしている友達からいじめられていた。昔もいじめはあった。
私はいじめられていたけれど、両親には決して相談しなかった。
全部自分で背負った。
相談したところで、解決などしなかった。
でも本当はかばってほしかった。
甘えたかった。
いつでもそばにいて、「大丈夫だよ」って言ってほしかった。
そんなこと言ったら、かわいがってもらえないと子供心に思っていた。
だから、自分で解決して一切両親には言わなかった。
いつもお姉さんぶっていた。
そして、なんでも他の人に甘えないで生きていこうと思っていた。
そんなことをここ最近、色々なことを通して思い出すようになった。
昔の私を掘り起こし始める必要があった。
そうしないと行き詰るようなことがおき始めたからだ。
面と向かい初めてから、
「謝ってほしい」と思うようになった。
しかし、まだ少しずつだが
「あの時は仕方なかった。両親達が私をかばってくれなかったけれど
もう許そう」と思い始めてきている。
だって、母が私を産んだとき、まだ34歳だったのだから。
今の私が34歳になった時、果たして私は子供をかばうことができただろうか?
たぶん、母と同じなんだろうな。
そんな気がした。
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