ペットのお寺「サラの苑」スタッフブログ

サラの苑 スタッフが、仕事の様子やプライベートをブログでお届けします。

仏さまの種まき

2017-10-12 17:56:03 | 仏さまの種まき

こんにちは、沙羅の苑です。

ここ数日は10月とは思えない暑さの日が

続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

寒暖の差が大きくなると、体調を崩しやすくなります。

くれぐれもお気を付けください。

 

さて、本日は本蔵院住職によります『仏さまの種まき』を

お届けいたします。

 

”仏法聞き難し 今すでに聞く”

 

この言葉は、仏教徒であるならばどの宗派であっても

必ずお唱えする三帰依文(さんきえもん)の一文であります。

これは、仏の教えを聞く事は非常に得難いが、

今私はこうして聞く事が出来る、という意味であります。

どれくらい聞き難いかと言うと、

お経の中に「百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難(かた)し」

とあります。「劫」とは単位でありまして、四十里四方の巨石を

天女が三年に一度舞い降り羽衣でその石を撫で、

ようやくその巨石が無くなる間を劫と言います、

その百千万倍という途方もない時を経て、

今私は仏の教えに出会ったということです。

この前文には「人身受け難し 今すでに受く」と書かれています。

仏教では聞法と言って、教え(法)を聞くという事を

とても大切にします。教えを聞く事のできる人間という

形をいただき、そしてその教えと出会うこともできた、

という奇跡のお話しがそこに記されているわけであります。

今こそ仏法に耳を傾け、百千万劫の奇跡に感謝いたしましょう。


仏さまの種まき

2017-09-04 16:33:06 | 仏さまの種まき

こんにちは、沙羅の苑です。

9月に入り、皆様いかがお過ごしでしょうか?

日中はまだまだ残暑の厳しい日が続いておりますが、

朝晩は風が涼しく感じる日も多くなりました。

夜はうっかり窓を開けたまま眠ってしまうと

風邪をひいたりする事もあります。

皆様も体調管理には十分お気をつけください。

さて本日は、本藏院住職によります『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

”道心有る人を名づけて国宝と為す”

                       伝教大師 最澄


 この言葉は、最澄が天台宗を開かれる際に記された

「山家学生式」(さんげがくしょうしき)の

一文であります。これを原文のまま書きますと、

「國寶何物 寶道心也 有道心人 名爲國寶

(国宝とは何者ぞ 宝とは道心なり 

道心ある人を 名づけて国宝と為す」こうなります。

今は、国宝と言いますと国から指定を受けた

仏像や建物などと思われますね。

ところが、本当の国宝とは一体何か。

それは、道心つまり仏道という道を

求めている人だと言うのです。

先人たちは何も宝物を残したくて仏像や建物を

残したわけではありません。己を捨て他のために

尽くすという菩薩を作りたかったのです。

そしてその菩薩が、本当の国の宝なのであると

教えてくれています。

同じ山家学生式の中に、「道心の中に衣食あり

衣食の中に道心なし」とあります。

人間の生きる軸と言うのは、

道を求めるという菩薩像にあるわけです。

 


仏さまの種まき

2017-07-03 09:57:30 | 仏さまの種まき

おはようございます、サラの苑です。

熊本では連日30℃をこえる日が続いておりますが、

皆様いかがお過ごしでしょうか?

ただ、明日からはまた雨が降るそうですが、

気温は依然高いそうです。

くれぐれも体調管理にはお気をつけください。

 

さて、本日は本蔵院住職によります『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

 

”仏道をならうというは 自己をならうなり”

                      道元禅師


 道元禅師(一二〇〇~一二五三年)は、曹洞宗のお坊様であります。

この言葉は、有名な句でありますが、

このような言葉を祖師たちは多く残しておられます。

例えば、我が真言宗の祖師・弘法大師空海は、般若心経秘鍵の中で、

「それ、仏法遥にあらず 心中にしてすなわち近し」と仰っています。

 仏とは実態ではなく、お釈迦さまが説かれた法そのものであります。

お大師様の言葉をお借りすると、宇宙を構成している

真理そのものであります。道元禅師も修行をして仏になるのではなく、

修行そのものが仏であると教えています。

つまり、仏という真理そのものが私の中に内包されているという事を、

自覚するという事がとても大切なことなのです。

人はついつい外に目を向けがちですが、

向こう側に仏さまを置いて拝むのではなく、

内に内に目を向けていく内観の道が仏道そのものなのです。

 

 


仏さまの種まき

2017-06-02 09:34:26 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

6月に入り、梅雨入りに関するニュースもちらほら聞くようになりました。

今年は例年に比べると、梅雨入りが遅れる傾向にあるようです。

雨が降ると、どうしても外に出る事が億劫になる人も多いとは思いますが、

昔から、「晴耕雨読」といったように、晴れた日は畑を耕し、

雨の日には家で読書を楽しむように、体を使って汗を流せる喜びと、

頭を使える楽しみは、人間にとって理想とした生活であるといったような

言葉もあります。雨の日にはゆっくり読書等もいいですよね。

 

さて、本日は本藏院住職によります、『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

”仏教には初心という言葉がある 

初心を持っているのは素晴らしい事である”

                     スティーブ・ジョブズ

 

 言わずと知れたアップル社の創業者。彼の思想には

仏教の影響を受けていたと言われています。

 日本人にとって、「初心を忘れず」ということは、

比較的心に浸透しており、よく使う言葉ではありますが、

外国人にとっての初心とは、また新鮮であったのかもしれません。

しかし、あらためてこの初心という言葉を考えてみる時、

私は修行を始めた頃を思い出します。

師から、「初発心時 便成正覚」という言葉を頂きました。

よし、やろうと心に決めた時には、もうそれは成っているのだという言葉です。

しかし、時が経つにつれて、純粋な種はどんどん穢れていき、

本来の輝きを取り戻せなくなっていきます。

 しかし、いつでも初心に帰り、自分は何のために生き、

何を成すべきか、繰り返し繰り返し自問することが

とても大切な事なのであると教えてくれています。


仏さまの種まき

2017-03-04 16:58:04 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

最近は日中は暖かく、もうすぐそこまで

春が近づいているよう感じます。

さて、本日は本藏院住職によります

『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

困る事を縁として 

       それを克服していく”

 

 悩んでいると口にしますが、厳密にいえば、

それは大抵「困っている」場合が多いです。

解決のつかない問題に直面し、どういたら良いのか

分からなく悩んでいる。

「我」というエゴを立て、自分にとってどちらが都合が良いか、

得であるか、そのような観点に立って問題に立ち向かっても、

それは答えが見えてきません。

本当に悩んでいるのではなく、困っているのです。

 困るという事を縁として、それに向き合う。

そこに物事が発展したり、自分が成長するのです。

その場から逃げても、問題の解決にはなりません。

むしろ、困っている事から逃げると、

その問題に追いかけられます。

つまり、苦しいから逃げるのではなく、逃げるから苦しいのです。

 トライアル&エラー「挑戦と失敗」を繰り返すしかないのです。

何か事を越せば失敗するものです。

しかし、「失敗」を大きなチャンスとして捉え、

それを乗り越えて行くところに人生の深みと味わいが

出てくるのではないでしょうか。

 


仏さまの種まき

2017-01-01 09:00:00 | 仏さまの種まき

皆様、明けましておめでとうございます。

本日は今年最初の、本藏院住職によります仏さまの種まきをお届けいたします。

 

”いちずに一本道 いちずに一ッ事”

                     相田 みつを

 

 皆様 明けましておめでとうございます。

昨年は、熊本にとって本当に大変な一年でございました。

しかしながら、そういった中でも人の温かみや

繋がりをあらためて感じる好き日でもあったと存じます。

どんな状況に置かれても、いつも仏様は傍にいてくださいますし、

お浄土はいつでも心の中に開く事が出来ます。

また今年一年、新たな気持ちで歩んでまいりたいと思います。

 今年最初の言葉は、相田先生を選ばせて頂きました。

非常に勇気を頂く言葉だと思います。

師匠も、「人は悩むものなり 人生は燃ゆるものなり」と

教えてくださいました。自分の決めた道を信じ、ただひたすらに歩む。

人の一生というものは、それしかないのであろうと思います。

 私もしっかり前を向いて、一歩一歩進んでまいりたいと思っております。

本年も何卒、仏法興隆・寺門繁栄にご尽力賜ります様お願い申し上げ、

年頭のご挨拶と致します。


地鎮復興祈願『百螺祈願』

2016-12-18 17:35:41 | 仏さまの種まき

年の瀬も迫り、忙しい日々をお過ごしの事と存じますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今年、熊本は4月に2回の大きな地震を経験し、未だ復旧、復興を目指している最中でございます。

そんな中、沙羅の苑を運営しております『本藏院』は先月の11月7日は『加藤神社』にて、11月8日は『阿蘇神社』にて『百螺祈願(ひゃくらきがん)』を厳修致しました。全国から集結した100人を超える山伏が法螺貝を立て復興の祈りを捧げました。

 

熊本の地鎮と復興への祈りを『本藏院』『加藤神社』『阿蘇神社』と共に熊本の地に響かせた『百螺祈願』のドキュメント映像の予告編が出来上がり、更にテレビタミンの同行取材の放送がございました。

当日、観覧できなかったと言われる皆様も是非、ご覧になられて下さい!

 

 

 『百羅祈願』予告編

https://www.youtube.com/watch?v=JnbCf-miuEY

 

『テレビタミン放送』

https://www.youtube.com/watch?v=pCa1daZIgN0


仏さまの種まき

2016-12-06 17:06:20 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

いよいよ12月を迎えました。

12月は「師走」と言われます。

師走とは陰暦の12月の別称の事で、

様々な説がありますが、字が表す通り、

年の瀬を慌ただしく過ごす様子を表している説が有力のようです。

 

さて本日は、本藏院住職によります『仏さまの種まき』をお送りいたします。

 

“偶然を通して必然がある“


今回の本藏院を中心とした壮大な企画「百螺祈願」を終え、

本の皆様と共に少しでも手を合わす時間を持てたならば、

それは私にとってかけがえのない事であります。

 思えば、京都醍醐寺と加藤神社、阿蘇神社が三位一体となって、

この事を実現できたのは奇跡的であったし偶然かもしれません。

しかし、計画を進めて行くうちに、この計画はそこにあったというか、

向うの方が私を見つけていたと申しますか、

私はそれに導かれるがまま進めていったという感覚がありました。

そんな不思議な体験を致しました。

 自分が考えたと思っていた事は、すでにもうあった。

仏教では「既有」とか「本有」と申します。これは非常に大切な概念です。

自分が考える事はたかだか知れています。むしろ、そこにある事、

本来ある事を回復していくという事が本当の姿なのかもしれません。

 

 


仏さまの種まき

2016-10-10 16:21:46 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

今日は3連休の最終日です。

天候にも恵まれ、お出かけされた方も

多かったのではないでしょうか?

また、最近は朝夕急に冷え込んできたように感じます。

体調管理にはくれぐれも用心されてください。

 

さて、本日は本藏院住職によります 『仏さまの種まき』をお届けいたします。


”人の出会いには

      必ず意味があると思います”

 

 生きていますと、いろんな方と出会います。

愛する人、都合の良い人悪い人、勝てない人、

憎い人、一生を共にする人。それは様々です。

一体、生きているうちにどれだけの方とあうのでしょうか。

 仏教には、善男子「ぜんなんし」・善女人「ぜんにょにん」

という言葉がございます。これは、仏教の教えを

聞こうとする人の事を言います。こういう人たちが集まって出来た

輪を「サンガ」と言います。お経の中に、帰依仏・帰依法・帰依僧と

ありますが、その中の帰依「僧」を「サンガ」と言います。

つまり同じ志を持った共同体ということです。

 人生何かのご縁でたくさんの方に出会います。

しかし、本当の出逢いというのは、私を仏の道へと

導いて下さる方との事だと思います。

そういう意味では、すべての善男子・善女人が私の師であり、

どんな方であっても私においては、かけがえのない

存在であるという事が言えるのではないでしょうか。

 

 


仏さまの種まき

2016-09-02 13:06:03 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

暑さも一段落したかと思えば、

今度は台風が九州に迫っております。

今日の予報ですと、日曜日に最接近するようです。

皆様もくれぐれもご用心くださいませ。

 

さて、本日は本藏院住職によります 『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

”失敗をした事がない人は

    新しい挑戦をした事が

          ない人である   アインシュタイン”


 人間、気が付いたら生まれていて、

さあ一人で歩いていきなさいと生きて、今に至る。

人の一生とは一体何であるのか、何の意味があるのか、

そんな事を考えた事がある方は少なくないはずです。

 しかしながら、何が人の幸せで如何に生きるべきかという事は、

釈迦をはじめ多くの先人達が身を持って示して下さっているはずです。

例えば、電車に乗る時も、行き先を決め切符を求め、後はそれに乗る。

当たり前の事ですが、人生も同じように、私はここに行くんだ、

誰が何と言おうとここに行くんだという心を決める事が大事であります。

心が決まれば、今の自分が変わる。行き先が決まったら、

後は燃えに燃え、失敗を恐れず前に進むだけであります。

 そのような人生も良いのではないでしょうか。