ペットのお寺「サラの苑」スタッフブログ

サラの苑 スタッフが、仕事の様子やプライベートをブログでお届けします。

仏さまの種まき

2016-08-09 12:48:49 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

熊本では連日の真夏日が続いておりますが、

皆様いかがお過ごしでしょうか?

酷暑に伴い、熱中症のニュースもよく見聞きします。

水分、塩分の補給、また、屋内においても

エアコンの適宜適切な使用を心がけ、

事故のないよう、暑い夏を乗り切りましょう。

 

さて、本日は本藏院住職による

『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

もし自信をなくして

 くじけそうになったら

 いい事だけを 思い出せ  アンパンマン体操より

 

 この世の中で生きていると、どうしようもなく

辛くなったり、堪え切れなくなったりするものです。

この世は、良い事だけではなくむしろ自分の思い通りに

ならないことほうが多いのです。それを仏教では、

求不得苦(ぐふとっく)…「求めている物が手に入らない苦しみ」、

怨憎会苦(おんぞうえく)…「嫌いな人にも会わなければならない苦しみ」と

言ったように、人には様々な苦しみがあります。

 でも、この歌のように、くじけそうになったらいい事だけ、いい事だけを

思いだして前向いて元気に歩いて行くのです。

そうしているうちに、次第に自信も取り戻していき、

また力と智慧が沸いてくるものです。

お孫さんや子どもさんとお話しする時、また困っている人を見かけたら、

この言葉を思い出してみて下さい。

 

仏さまの種まき

2016-07-01 14:33:53 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

本日は本藏院住職によります

『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

”人は生まれて生きて死ぬ

 それだけでたいしたもんだ  北野武

 

先の東日本大震災でも、今回の熊本地震、豪雨でも、

私たちと同じように明日は来ると思っておられた方々が

たくさん亡くなられました。

その方々の極楽浄土を祈りつつも、私たちはこの事実を

どのように受け止めるべきであるか考えなければなりません。

 仏教の死生観とは何か。それは、「死」が問題なのではなく、

やがて死がやってくるような「生」が問題なのであります。

「死は生の終わりにあるのではなく、生の中にある」

これが仏教の死生観であります。

 やがて来るような死、死を待つような生、これは暗い。

死というものを抱えたまま生きているのか、

それを乗り越えて生きていくのかという事は、

決定的にその人の生きる人生の内容を変えます。

この武さんの言葉は、死に向かう生とは違う、いつでも死んで往ける、

そんな勇ましさを感じます。

まさに死を乗り越えた言葉ではないでしょうか。



仏さまの種まき

2016-06-10 15:13:02 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

本日は本藏院住職によります

『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

 

 “本当に生きる“

 

 

 よくお浄土はあるかないかと聞く人があります。

しかしお浄土とは、あるなら信じるし、

ないなら信じないというような世界に

あるのではありません。

そのように求めるところにお浄土はありません。

 生きるという問題に関係するのがお浄土なのです。

お浄土を「修行安心の宅」と言われる様に、

心の安んずる場所ということです。

もう少し言えば、安んじて苦労のできる場所、

本当の生活が営まれる場所というのがお浄土なのです。

 しかし、私たちは生はあるが、その生を本当に

生きているとは言えるのでしょうか。

人間は決して損が嫌いなのではなく、

苦労が絶対に嫌だという生き物でもない。

むしろ問題は、そういう心を実現する場所が見つからないことであります。

自分の在り方を見失っているのであり、それが不安なのです。

 今回の震災で皆様それぞれに、自身の人生観に大きな影響が

あったことと思います。これを機縁に、

「本当に生きる」とはどういうことであるか、

一緒に考えて参りましょう。


仏さまの種まき

2016-04-08 17:56:07 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

桜も多くの所では散ってしまい、緑色の葉が目立つように

なっておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

本日は本藏院住職によります

『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

 

 これは、住岡夜晃(すみおかやこう)という

大正・昭和と広島で活躍された宗教家の言葉です。

 「継続は力なり」という言葉は非常に有名ですが、

その全文がある事はあまり知られていません。

 夜晃は、本当の強さとは「正しい念願を貫くこと」

であると言っています。自分よがりではなく、名声や貪欲に走ることなく、

静かに、静かに一筋の道をただひたすらに歩むことです。

 また、人間の本当の念願・願いとは何でしょう。

人間は本当は裸になりたいと願っているのです。

仕事でも勉学でも何でも、一つの事に一心になりたい。

一心になった時、腰が決まった時、心が輝きだす。命が輝きだす。

そういうことを人間の心の奥では願っているのです。

楽をしたいと願うものではないのです。

 遅いという事はありません。ゴールが目的ではなく、

継続という坂道を登っているという事に、

力みなぎるものが出てくるのではないでしょうか。

 

平成二十八年四月発行

 


仏さまの種まき

2016-03-04 18:12:51 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

3月を迎え、暖かい日が続いておりますが、

皆様いかがお過ごしでしょうか?

 

本日は本藏院住職によります

『仏さまの種まき』をお届けいたします。

 

 

 三月はお彼岸の月でございます。今年の彼岸中日

つまり春分の日は二十日になります。

昼と夜の時間が同じ、太陽も真東から上がり真西に沈む、

お彼岸には真ん中という意味もあります。

 お釈迦様は、「中道(ちゅうどう)」を説かれました。

どちらにも偏らない心の事です。

例えば、ギターの弦を思い出してください。

張りつめた弦では切れてしまいますし、

反対にゆるくすると音はなりません。

どちらにも偏らない一番良い音を出す「ここ」という

塩梅(あんばい)があります。そこが中道です。

ところが人間は、2つしかないのです。

好きか嫌いか。損か得か。上か下か。

よく考えてみればそうではありませんか。

人と比べ、国と比べ、あの人よりは少しはましだと。

そういう心が常に人間の心の奥底に働いているのです。

これを我執といって、自分に対する愛着から来る心です。

 どうか彼岸の期間は、皆さんと共に心落ち着け、

我執を離れた心穏やかな時間を過ごしましょう。

 

平成二十八年三月発行

 


仏さまの種まき

2016-02-06 10:09:56 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

本藏院住職による『仏さまの種まき』

今回のお言葉をお届けいたします。

 

 

 二月は仏教徒において大変大切な月であります。

それは、仏教を開かれたお釈迦様が入滅された月であります。

 お釈迦様は亡くなる前、

「自らを灯とし、法を灯として、決して他を灯とするな」、

と申されました。

 これは、自分だけを信じて他を信用するなということではありません。

本当の自分、自己に目覚め、目覚めた自己を唯一の灯とし、

生きていくことが一番大切なことであるということです。

さらには、お釈迦さまが説かれた仏法を灯とし、

迷い悩んだときは、いつでもこの法という教えに

戻ってきなさいということであります。

 自分が自分に救われる道というのは、本当の自分、

つまり自分の中の仏様が、いつもあなたの一番傍で見守ってくださり、

そしてその自覚によってその自分が救われるということなのです。

これがお釈迦様の残された仏の道ではないでしょうか。


平成二十八年二月

 


サラちゃんの恩返し

2016-01-15 12:04:34 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です

ここ数日特に冷え込みが厳しい日が続いておりますが、

皆様いかがお過ごしでしょうか?

来週には平地でも雪の積もる恐れがあるそうです。

天候の変化には充分ご注意ください。

 

さて、先日、皆様に寄付していただいたご飯類を

愛護センターさんへお届けに参りましたのでご報告致します

このご飯でが少しでも多くの子たちの助けになればと思います

 

この愛護センターさんへのご飯の寄付のきっかけにもなったのが

そう、サラちゃんです。

今年の1月14日でサラちゃんが亡くなって3年が経ちました。

 

とても優しい仔でとても食いしん坊な皆のアイドルでした

 

サラちゃんはお葬式で悲しんでいるご家族様だけでなく

多くの方を笑顔にしてくれたと思います

 

現在お骨は、サラの苑二階本堂の供養棚131番に安置しております

階段にもお写真とお位牌を安置しておりますので、ご来苑の際は是非お参り下さい

 

 

いつも多くの方からのご寄付スタッフ一同感謝申し上げます。

これからもご協力のほどお願い申し上げます

 




仏さまの種まき

2016-01-04 16:32:57 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です。

本藏院住職による『仏さまの種まき』

今回はこちらの言葉になります。

ちなみに下の写真は本藏院の門前にございます掲示板です。

機会がございましたら、ぜひご覧になられてください。

 

 

自利利他円満という言葉がございます。

これを分解すると、「自利」 「利他」 「円満」となります。

自利とは、「己の利益」を言うことであります。

利他とは、「他の利益・他を利益する」ということであります。

その双方が円満であるというわけです。

なかなか難しいと思いませんか。

どうしても己の利益を優先するのが人間の心であります。

伝教大師最澄様は「自利とは利他をいふ」と仰っておられます。

利他を実践していればいつか巡り巡って、自利に繋がるというような

狭い考え方を円満とは言わず、利他の実践こそが自利

つまり自分の幸せであるということに円満ということが成り立つのです。

新しい一年、お一人お一人がこのような気持ちを持って

お過ごしされますことを心よりお祈り申し上げます。

 

平成二十八年正月発行


週刊女性でも紹介されました!

2015-12-10 10:11:39 | 仏さまの種まき

こんにちは、サラの苑です!

先日当ブログでもお伝えした

本藏院住職による

『仏さまの種まき』の

手を抜く方が疲れる」ですが、

週刊女性さんの方にも記事がございました!

『仏さまの種まき』は本藏院入口横の掲示板に

張り出されておりますので、

機会があれば是非ご覧下さい!

ちなみに今月はこちらです!

 


仏さまの種まき

2015-12-01 14:14:17 | 仏さまの種まき

こんにちはサラの苑です。

まずはご紹介ですが、

以前の仏さまの種まき

『手をを抜く方が 疲れる』 が

ヤフーニュースにて紹介されました!

その記事はこちらから!

 

それでは本藏院住職によります

『仏さまの種まき』

今回の言葉です。

 

 


人間の心で善い行いをすればどういう心が起きるのか。

初めは少しの善意の心で自分のできる範囲の行動をしました。

もちろん相手が喜ぶと思って。

ところがその清らかなはずの心は次第に、

「自分は善い事をしてあげたのに、

あの人はちっとも分かってくれない。」

という心に変わってくるのです。

これが人間が持っている自我の心です。

 実は、人間の心の奥には、善い事をしたいという心と同時に

それを認めてほしいという心が存在します。

それを無視すると、ひとりよがりな勝手な善意になってしまいます。

 自分の出来る事を差し出すという布施行は、見返りを

求めない心で行うところにその難しさがあるのです。

この言葉自体まさに、布施の心そのものであります。

 

平成二十七年十二月発行