※切腹覚悟(嘘)で書きました。たくさんのミサ廃人の方、どうか無視して他へ移動お願いいたします。m(__)m
「あなたが望んでいたのはこういうことだったの。それなら望みどおりにするわ。ユンのためなら。汚い手をどけて、自分で脱ぐから・・・」
要約すれば、ウンチェ(イム・スジョン扮す)がチェ・ユンを助けるため、ムヒョク(ソ・ジソブ扮す)に心臓をくれと頼む場面でいうセリフです。
「あなたを助けるために、仕方なかったと言えば理解してくれるわ。取引をした、って・・・。ユンを助けるためなら、何だってできる」
この時のムヒョクの顔。徹底的に見捨てられた人間の総括とも言える表情・・・。遠く離れた見知らぬ街(ソウル)で頭を下げられ、今まさに、自分の恋人にも見捨てられた瞬間です──。
ずっと何故自分が“ミサ廃人”になれなかったのか考えてきました。(ストーリーはあえて説明不要ですよね)
感動したし、傑作だと思った。日本にこんなドラマがかつてあっただろうか、とも思い、日本人として嫉妬もしました。
でもどうしてもはまれなかったんです。世間が熱狂していることに同調できない自分が理解出来なかったし、焦りもありました。何か見落としたのだろうか?何か自分に欠落した部分があったのだろうか・・・?
そうして考えて約一ヶ月、ほぼ結論に達しました。それは結局私の『死生観』だったのです。(なんか大げさだな~相変わらず^_^;)
ドラマでこんなことを考え込んでしまうなんて・・・と、我ながらおかしな気がしますが、人々の熱狂ぶりからいって考えざるを得ませんでした。
恋人の夫を助けるため、頭に銃まで突きつけられて、期限付きの人生を生きるソ・ジソブ(ムヒョク)。しかし、再び愛するようになったウンチェ、彼女さえもムヒョクを捨てる・・・。
ずっと大事に思ってきた、初恋の相手で、兄のような存在のユンが心臓移植しなければ死んでしまう。その彼に自分が心臓をあげるから付き合って欲しい、とムヒョクに言われたとき、ウンチェは
「絶対死んでね!」と言いました。
人の死を前に、取引めいたことを言うなんて、なんてデリカシーのない人なんだろう──そんな怒りがこもったセリフ、とここは甘めに解釈しましょう。
でも、ドラマの総括として、このウンチェとムヒョクの愛は永遠で絶対的なものとして描かれているはずです。それなら、このセリフは“あり”なのでしょうか?
私はどうしてもここで違和感を覚えてしまうのです。
そして今度はそのムヒョクがもうすぐ死ぬとわかった瞬間、ウンチェは彼に対して愛情を爆発させます。それはもう、見ていて切ないほどで、いろいろな矛盾を通り越して、私も感情移入して泣けてしまいました。
けれど、結末を知っている人ならおわかりのとおり、“死”は当人であるウンチェにもやってくる、公平かつ絶対的な現象です。(この“死”に関しても、不満は残るのですが、ここではあえて言及しないことにします)
それこそ「私の名前はキム・サムスン」ではないけれど『死は生きている人間、全てに必ず訪れる』のです。
それがわかったから態度を変えるというのは、私はちょっと同調しかねる、というのが本音・・・。(あ~ミサ廃人の皆さんから矢が飛んで来るのが見える…^_^;)
周囲の人間にとって愛する者の“死”は、失うこと、喪失感であるけれど、“愛すること“自体は過去、現在、そして未来も存在し続けます。だからタイムリミットに左右される愛は、私にはなにか“違う“のです。
そこで後悔するのは「?」で、相手が明日死のうが、五十年後に死のうが、愛しているなら変わらず慈しむべきで、そうでないなら、その人がどうなろうと余計な涙を流すべきではない。極論すぎるでしょうけれど、そう私は思うのです・・・。
言い訳めいていますが、ここで、改めて、私が「ごめん、愛してる」をなぜ傑作と思ったのかを分析してみます。(もう今更遅い?)
それは“ソ・ジソブを取り巻く憂鬱な空気”そしてそのキャラクターの無言の“眼差し”ではないでしょうか。その目にはカリスマ性が溢れ、涙と笑顔の間、そして合間の沈黙と言葉の合間の余韻、それらがみごとに浮き彫りになっています。彼にしか出来ない演技であり、それゆえ、視聴者は惹きつけられてやまないのだろう、と私は思いました。自分もそうでしたから──。
ドラマの展開、特にムヒョクの母への届かない思慕に言及するのは当然ですが、それはドラマの空気から連鎖する一つのサイドラインに過ぎません。よくよく考えれば似た設定のドラマがいくつか存在するのですが、それらが「ごめん、愛してる」のように廃人をもたらしたかと言えば答えは“否”です。ということは、感情移入の本質は別にあると結論付けられるはず──。
ムヒョクに涙するのは、捨てられることでもたらされる苦痛と悲しみ、そして予定された死です。それプラス、一種の“陶酔”(追加しますと主題歌の「雪の華」効果も大きい)が重なり、思い出すたびに号泣してしまう、というわけなのです。
頭に弾丸が入ったままあのように生きられるのか?という医学的言及や、ストリートチルドレン出身のムヒョクが何故パソコンを駆使出来るのか?または、墓碑銘の矛盾…などなど、そういったことに突っ込みをいれるつもりは毛頭ありません。
そんなことはドラマを見る側が黙認して当然のひとつの“マナー”ですから。
ただ、とにかく、私は感動したけれど、酔えなかった──言いたいことはそれだけだったのですが、長々と書きすぎましたね。ごめんなさい(^_^;)。
多くのファンの方、さぞ気分を害されたことと思います。私もソ・ジソブ、本当に好きですよ。「男の人なのにすっごい手がきれいだな~」なんておばさん的煩悩をしょっちゅう爆発させてます。他の出演作も大好きだし・・・。
でも自由な発言が容認されるブログゆえ、つい我慢しきれず、書いてしまいました。どうかご容赦願います・・・m(__)m。