恥ずかしながら、まだ読んでおります!!m(__)m
つまみ読み、今何冊あるのかな。考えただけども恐ろしい…(><;)
とにかく!我が敬愛する倉本聰さんの本より、またタイムスリップして、ニッポン放送時代にちょっと戻ってみました(^_^;)。
実はしつこく読み返していたら、これも面白いな~あれも面白いな~、というエピソードが多々ありまして、またその一つをご紹介。
寺山修司氏(※1)との出会い。のエピソードです。
(理論社刊「愚者の旅」より抜粋)
『ある日羽佐間さん(ニッポン放送の上司)が僕を呼び、作家が遅筆で間に合わないから俺たちで台本を書いちまおう、と小さな犯罪の誘いをかけてきた。
母と妹と弟を抱えていた僕には、この秘密収入(といったって自らが伝票を切ってたんだからひどいもんだ)はありがたかった。』
…そんな内職を続けているうちに、番組のメインライターの阿部徹郎さんからテレビを書いてみないかとすすめられたのだそうで、初めて日本テレビのシナリオ「パパ、起きて頂戴」を書いたそうです。(勿論ニッポン放送には秘密)
テレビはまだ生放送。テレビシナリオの確たるルールもなく、新しいジャンルへの様々な模索がなされていたとき。
「判ればいいからどうでも書いてこい!」
と日テレの大酒のみのPD増田善次郎氏(のちのちお世話になることになる)に言われ、
外国映画の画面から逆にシナリオを起こす「採録シナリオ」という、頭に演出・演技・音楽の映像を置く、完成形方式をとろうと思ったのだそうです。
演出権の侵害との意見があったものの、時間がないので増田氏がどんどん許可
(^_^;)。
で、そんなときに寺山修司氏と一緒に仕事をする(しつこいようですがニッポン放送には内緒!)機会が訪れたわけです。
『寺山修司と逢ったのはたしか神楽坂の旅館ではなかったかと記憶する。篠田正浩とカンヅメになっているところへ、山本直純にひっぱっていたれた。そのときたまたま遊びに来ていたのが、後に寺山夫人となる九条映子で、相思相愛アツアツの仲だった。(中略)二人の対話は思わずニヤつきたくなるような、変てこ、かつほのぼのとしたものだった。』
『そのころニッポン放送でまかされていた仕事は、コントからドキュメント仕立てのものまであり、僕の頭の中に、これらを結合することが出来ないかという密かな企てが生じていた。
ドラマは、都合よく進行するが、セリフは次第に現実から離れていく。それに対してドキュメンタリ-の中のセリフはまことにリアル。但し筋書き通りに進んでくれない。この両者のメリットを合体させる手はないものか。
そこで僕は寺山と映子ちゃんの生の、他愛のない、恋人同士の会話を、隠しマイクで採らせてもらえないか。但しその会話の集積が一つの筋立てを持つように中身を誘導して欲しい、と提案した。
寺山は面白がり、これに乗った。』
なんだかまた奇天烈なことを初めてしまった倉本さんですが、この企画は具体的に説明しますと、
★架空の男女の履歴書をつくる(寺山氏は「信ちゃん:クリーニング屋」、映子さんは「ヨシコ:床屋の店員」)
★二人は貧しく、月に一度しか休日が合わない。そのたった1日のために、有り合わせのお金を持って上野駅で待ち合わせる
★そのあとは勝手に愉しくやってくれればいい。そのあとを倉本さんが録音器を風呂敷に包んで追跡する
で、初日はまず失敗。二人がどうしても倉本さんを意識してしまってリラックス出来なかった。
そのくせ、クリーニング屋にあるまじき高尚かつ文学的セリフを吐いてしまう…(笑)。
揚げ句の果てに、浅草で香具師の叩き売りをバックに盗み撮りしていたら、それがばれ、倉本さんだけ逃げ遅れ、
「関東姉ヶ崎一家事務所」かなんか(これって○クザ?)に拉致されて、脅されて5万円とられたんだそうで・・・(^_^;)。
(しかも「領収書をください」と言って怒鳴られた)
ですが、2日目は大成功!
寺山氏カップルはリラックスし、次第に倉本さんを無視して自由奔放になり、食事をしながら無意味な議論(これこそがまぎれもないラブシーン!)をし始めたのでした。
『それまで頭でセリフを書いていた自分のつたないセリフ術を、この即興的ドラマ創作はいやという程打ち砕いてくれた。
信ちゃんは行きずりの男とけんか。口から血を出した信ちゃんとヨシコの夜の公園でのラブシーン。
蚊に喰われながらベンチの下にもぐりこみ、懸命にマイクをつき出し頭上で本当に抱き合ってキスをしている二人の切迫した息づかいを採りながら、
やったぞ!これは傑作が出来たと狂喜乱舞をしたのもつかの間。局へ帰って再生してみたら、自身興奮した寺山修司は、吐く息も荒く「キス!キス!」と迫り、揚げ句「ヨシコ!」というべきところを本息で「映子!」と叫んでしまっていて。
それでそこのとこ使えずにカット。
しかしこの仕事は楽しかった。』
ドキュラマ(ドラマとドキュメンタリ-の合体)一号はその後、山本直純、谷川俊太郎の協力を得て、日の目を見たのですが、二匹目のどじょうはなかなかいなかったのだそうです。
即興に応じられる役者がいない。
『即興の妙味は相手のいったことに対する役者の役としての当意即妙(状況や変化に対して、即座に機転をきかせて対応すること)がある。
しかし多くの役者は相手に反応すると、まずそこでセリフを組み立てようと左の理性脳で考えてしまう。揚げ句ヘタなセリフとなって口から出てくる。
シナリオ作家もこれは同じである。左脳を通さないで右脳でまず応ずること。寺山との仕事で得たものは、そうしたセリフ術の第一歩だった気がする。』
これは私が言うのもすっごいおこがましいのですが、例えば北野武の映画。
左脳を通さないで右脳でまず応ずる──というのは彼の演出に強く感じます。リアクションが殆どないように見えるところが、彼の映画における“リアクション”なのかな…なんて、
すみません。そんなことは全然論じられるほど、映画を見倒していなしし、知識もないです。
ただ、昨今のドラマは「そんなの現実では絶対やらない!」という演技、リアクションが多すぎるな~
なんてちょっと思っている今日この頃なのでした。
では、またこの「愚者の旅」、他の「!?」なエピソードをぜひご紹介したいので(しつこくてごめんなさい!)、お時間がある方は、ぜひぜひお付き合い、よろしくお願いいたしますm(__)m
(※1)【寺山修司・プロフィール】
1935(昭和10)年、青森県生まれ。高校時代に俳句雑誌『牧羊神』を創刊。1954年、早稲田大学入学。同年『チェホフ祭』50首で『短歌研究』第2回新人賞を受賞し、同年、ネフローゼを発病。1959年、谷川俊太郎の勧めでラジオドラマを書き始める。 1960年には『乾いた湖』(篠田正浩監督)のシナリオを担当する。同年、戯曲『血は立ったまま眠っている』が劇団四季によって上演された。
1967年からは演劇実験室「天井桟敷」を組織し、精力的に演劇活動を続けた。著作としてはエッセイ集など多数。競馬の世界のものも多い。放送作品でも『山姥』、『犬神の女』など、話題となった作品をあげるのに事欠かない。舞台作品には『青森県のせむし男』、『毛皮のマリー』、『奴婢訓』、市街劇に『人力飛行機ソロモン』、『ノック』など。映画監督作品には『田園に死す』などがある。1983年5月4日、47歳で死去。
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