ブログのお蔭で、川上弘美さんを知った。
既に小説を沢山書かれて、芥川賞ほか数々の賞を取っている有名な作家ということも初めて知った。
どんな文章をお書きなのか、アマゾンに『ゆっくりさよならをとなえる』というエッセイ集を注文していたのが届き、まずは「はじめての本」を読んでみた。
私は、人の文章を鑑賞するのに、お気に入りの文章そのままをパソコンで印字してみている(昔はノートに筆記していた)。こうすると、著者の心がより解り、文章の工夫・推敲の跡も見えて、自分の文章書きの糧にもできるので。
小さい頃は本を読まなかった。
本を読むよりも面白いことが、山のようにあった。人形たちの世話もしなければならなかったし、友達と「基地」を作らねばならなかったし、原っぱでバッタ捕りももしなければならなかったし、ぷーぷーラッパを鳴らしながらやって来るおとうふ屋さんを呼び止めもしなければならなかった。
この出だしの調子に乗せられて、次はと読まされて行くのだが、
本を読むようになったのは、小学三年のときに病気をして以来である。病気といったってそれほどの大病ではない。それでも学期始めから夏休みが終わるまで、床につかなければならなかったのだ。
こうして、買ってもらった漫画、クラスメートからの手紙は何度も読み、「つまんないよう」とお母さんに文句を言って、「本でも読めばいいじゃない」と返され、「しぶしぶ読み始める」が、これが読めなかったのだそうで、この方にしてと意外だった。
「読めない。つまんない。」と私は母に言ったのだったか。「しょうがない子ね」と嘆きながら、母は仕方なしに、読み聞かせをしてくれたのである。
驚いた。自分で読んでいるときには面白くもなんともなかった本だつたのに、読んでもらうと、これがめっぽう面白い。わくわくする。本って、こんにいいものだったのかと、ぼうぜんとした。毎日母に読み聞かせをしてもらう時間は、黄金のひとときとなった。
一冊全部を聞かせてもらった後に、こんどは同じ本を自分で読んでみた。読めたか? 読めた。ここに至り、ようやく私は本を読めるようになったのであった。
著者は書いていないが、朗読して聞かせてくれたお母さんのお声は美しく、爽やかで、坦々として、リズムに乗ってお読みになったのではないかと僭越にも思った。そして、病床の私とお母さんが一つになり、その本(『ロビンソン・クールソウー』)の物語に浸り切ったその「黄金のひととき」は、なににも代えがたく、それがきっかけとなって著者が読書の面白さに目覚めたというその瞬間は、たとえようもなく美しく思った。
読み聞かせをしてくれた素晴らしいお母さんのお姿も見えるようで、私はしみじみとした時間の中で、読むことの歓びを改めて見直していた。
既に小説を沢山書かれて、芥川賞ほか数々の賞を取っている有名な作家ということも初めて知った。
どんな文章をお書きなのか、アマゾンに『ゆっくりさよならをとなえる』というエッセイ集を注文していたのが届き、まずは「はじめての本」を読んでみた。
私は、人の文章を鑑賞するのに、お気に入りの文章そのままをパソコンで印字してみている(昔はノートに筆記していた)。こうすると、著者の心がより解り、文章の工夫・推敲の跡も見えて、自分の文章書きの糧にもできるので。
小さい頃は本を読まなかった。
本を読むよりも面白いことが、山のようにあった。人形たちの世話もしなければならなかったし、友達と「基地」を作らねばならなかったし、原っぱでバッタ捕りももしなければならなかったし、ぷーぷーラッパを鳴らしながらやって来るおとうふ屋さんを呼び止めもしなければならなかった。
この出だしの調子に乗せられて、次はと読まされて行くのだが、
本を読むようになったのは、小学三年のときに病気をして以来である。病気といったってそれほどの大病ではない。それでも学期始めから夏休みが終わるまで、床につかなければならなかったのだ。
こうして、買ってもらった漫画、クラスメートからの手紙は何度も読み、「つまんないよう」とお母さんに文句を言って、「本でも読めばいいじゃない」と返され、「しぶしぶ読み始める」が、これが読めなかったのだそうで、この方にしてと意外だった。
「読めない。つまんない。」と私は母に言ったのだったか。「しょうがない子ね」と嘆きながら、母は仕方なしに、読み聞かせをしてくれたのである。
驚いた。自分で読んでいるときには面白くもなんともなかった本だつたのに、読んでもらうと、これがめっぽう面白い。わくわくする。本って、こんにいいものだったのかと、ぼうぜんとした。毎日母に読み聞かせをしてもらう時間は、黄金のひとときとなった。
一冊全部を聞かせてもらった後に、こんどは同じ本を自分で読んでみた。読めたか? 読めた。ここに至り、ようやく私は本を読めるようになったのであった。
著者は書いていないが、朗読して聞かせてくれたお母さんのお声は美しく、爽やかで、坦々として、リズムに乗ってお読みになったのではないかと僭越にも思った。そして、病床の私とお母さんが一つになり、その本(『ロビンソン・クールソウー』)の物語に浸り切ったその「黄金のひととき」は、なににも代えがたく、それがきっかけとなって著者が読書の面白さに目覚めたというその瞬間は、たとえようもなく美しく思った。
読み聞かせをしてくれた素晴らしいお母さんのお姿も見えるようで、私はしみじみとした時間の中で、読むことの歓びを改めて見直していた。