サザンVネットの ブログ です

熟年者ばかりのボランティア グループ 『サザンVネット』が
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第93回泉北近郊ウォーキング<大鳥神社~浜寺公園>

2020-12-26 | 泉北近郊ウォーキング

 2020年10月29日 泉北高速鉄道深井駅に集合し、野々宮神社~深井花のこみち~家原寺~大池公園~大鳥神社まで歩き、大鳥神社前から、バスで浜寺公園前までバスで移動し、バラ園の見学をしました。(参加者:17名)

 

 深井駅で待っていると、「初めて参加します」と来られた人がいて、おやっと思い話を聞くと、深井駅集合と聞いて来たが誰も来ていない。開催者とは連絡が取れない。との事。
 出発の前に「誰も来ないなら、ご一緒しませんか?」とお誘いし、参加されることになった。解散時に「また、参加したいので連絡ください」との申し出があった。
以前もなかもず駅に集合して、白鷺公園へ行った時も同じようなことがあり、それ以降何度も当会のウォーキングに参加されている。
こんな、気さくな会だから、長く続いているのかも!

 
 
 出発を前に、深井駅のバス停留所側のロータリーに立つ、モニュメントについて、新井さんから説明を受ける。
駅名の「深井」は行基が「人々のために深い井戸を掘った」ことから地名が「深井」となり、駅名にもなった。そして深井駅建設に当たり「躍水(やくすい)」という水の雫をかたどったこのモニュメントが建てられたとの事。

 駅のすぐ北側に、「野々宮神社」がある。
 400年前に創建されたと伝えられ、素盞嗚尊(すさのおのみこと)と火産霊尊(ほむすびのみこと)が祭られていて、火産霊尊に因み「火の宮」と称されている。
 境内には、撫牛(なでうし)の像がある。撫牛は菅原道真公との関係があるとされているが、素盞嗚尊が祭られているので、牛頭天王との関係があるのではないかと思っている?
また、境内の「常陵郷の森(とこはかのもり)」は堺市保存樹木に指定されています。

 

 

 堺狭山線の野々宮神社前交差点を西に渡ると、「深井花のこみち」に出る。南西に伸びる「深井花のこみち」は高圧線の鉄塔の下を花壇に利用したもので、花壇は地域の住民や、堺市の花のボランティア”花いっぱいゃさかい”の会員が、春、夏、秋、冬と区分けされた花壇で花守りをしている。

 

 

 

 

 

 「深井花のこみち」の終点から、北へ進むと、和泉方面から伊勢詣でに向かう伊勢道に出る。伊勢道の真ん中に伊勢路川が流れていて、下流は石津川に合流する。
 伊勢道は深井清水町から津久野に出るバス通りとほぼ平行に走っている。バス通りは車が多く混雑するが、この道は車はたまに通るくらいで、閑静な住宅街の中で、ジョギングやウォーキングに利用されている。春は桜並木で、知られている。

 

 

 大池の手前を北に行くと、「知恵の文殊さん」で知られる家原寺に出る。行基の生誕の地と言われ、行基が建立した最初の寺です。入試のシーズンになると、たくさんの血とが合格祈願に詣でます。大門を中に入ると、池があり趣のある寺でしたが、いつしか駐車場に改造され、殺風景な寺に様変わりしてしまいました。
 
                          以前の家原寺

家原寺を出て、道路を渡ると、家原大池体育館と家原大池公園に出る。大池公園の鯉を見ながら、駐車場を横切り、石津川を渡って、大鳥神社に向かう。

 

  

 大鳥神社(通称大鳥大社)は、日本武尊が伊吹山で病に倒れ伊勢国で薨去したのち魂が白鳥となって飛び立ち、大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが、最後に大鳥の地に舞い降りたので、社を建てて祀ったのが始まりとされている。
 神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。
本殿は大鳥造といい、「切妻造・妻入社殿」という出雲大社造に次ぐ古形式を保っている。近年本殿前の鳥居は新築された。
本殿の入り口には、日本武尊の像がある。

 

 

 



大鳥神社前から、浜寺公園前まで南海バスに乗車する。
浜寺公園の噴水前の松林の中で弁当を食べ、恒例の歌を唄った後、バラ園の見学をする。
「どんぐりころころ」「村祭り」「あかとんぼ」「バラが咲いた」

 

 

 

 

 

 

 

 

20200928第92回泉北近郊ウォーキング<檜尾大橋~美多彌神社~光明池

2020-12-21 | 泉北近郊ウォーキング


 泉北高速鉄道又は泉北1号線を、栂・美木多から光明池に向かうと、真っ赤な大きな橋が目に入る。しかしこの橋を渡ったことが無かった。
 ある日、「須恵器の窯跡を巡るハイキング」で、この橋を渡った。立派な大きな橋だが、橋の両側の道は、幅の狭い道路で、車がすれ違うのが難しいくらいである。そんな道路になんでこんな立派な橋が出来たのか?
 泉北1号線と泉北高速鉄道の建設に当たり、檜尾の村を南北に分断することになり、南側にある墓地に行くのに困ると住民が反対運動をおこしたため、それを解決するために立派な橋を作ったという。
 泉北ニュータウンの住人は、誰でもこの赤い立派な橋は知っていると思うが、おそらく渡った人は少ないのではないか? そんなことで、泉北近郊ウォーキングで、この橋を渡るコースを計画した。

 
泉北高速鉄道光明池駅に集合し、駅にあった付近の地図を見ながら、参加者の新井さんから、檜尾の村が、泉北1号線で分断されたという説明を受け、いざ 出発




 新檜尾公園のメタセコイアをバックに、集合写真を撮る。ハス池には一凛のハスの花が残っていた。


新檜尾公園を出て、ニュータウン内を通り、檜尾の尾根に上がり、細い旧道を檜尾大橋に向かう。

   

 
 檜尾大橋からは、泉北ニュータウンが一望できる。PLの花火の時は、この橋に多くの人が集まるという。栂・美木多方面と、光明池方面の風景。

泉北1号線の南側にある立派な大きな墓を抜けて、美多彌神社に到着。
 
 美多彌神社は、流鏑馬とシリブカガシの森で知られている。2014年に720年ぶりに「流鏑馬祭り」が復活し、2018年3月に2回目の祭りが開催されている。⇒「美多彌神社神社流鏑馬」で検索できます。動画もあります。
 新井さんより、美多彌神社神社についての説明を聞く。

 
 南北朝時代の英雄として知られる大楠公(楠木正成)、楠木家の家紋「菊水の紋」を刻んだ狛犬があるとの事で探す。


「幸せなでいっちん」とシリブカガシのどんぐり

 
美多彌神社の駐車場に、「川柳文学碑」がある。
 この十三基の川柳文学碑は泉北ニュータウンの史跡である小谷城址に昭和五十九年より三度にわたり建立され、平成十八年 この美多彌神社の境内に移設されました。
 文学碑がこれほどまとまって一同に建立されたことは特筆すべきことであり作者は全員番傘川柳社同人で川柳文学に高い志を持って取り組まれた方々です。
 平成十八年 番傘川柳会』記


光明池緑地を、光明池大橋に向かう。


光明池大橋 この場所で手を打つと、「鳴き龍」の様に反響する。




 光明池大橋を和泉市側に渡り、市民体育館の方に行くと、円形劇場がある。付近の木陰で弁当を食べた後、円形劇場で、準備した多田先生と清原先生の伴奏で、「ミニうたごえ広場」を開催。コロナウイルス感染対策で、円形劇場の周りに並び、久しぶりにマスクを外して唄う。
「虫の声」「月の砂漠」「あざみの歌」「小さい秋見つけた」

※「うたごえ広場」
 「パンジョホール」で、月1回、多田先生のキーボードと、清原先生のフルートの演奏でみんなで唄う催しです。平均150名の参加者があり泉北の皆さんに楽しく歌っていただいています。残念ながらコロナウイルス感染対策で、現在は中止しています。再開時には、「泉北コミュニティ」にその旨掲載いたします。